9月5日
Cardrona練習最終日。Biffさんにいきなり初心者レッスンを任されワタワタ。やはりスムーズな英語レッスンにはほど遠い。
明日はMt.Cook面接。
(ニュージーランド日記帳より)
あれからもう一年も経ってしまったのかと思う。
BiffさんとはCardronaのスキー場でテレマークスキーのインストラクターをしている人で、カナダや欧州とNZをいったり来たりでアルペンスキーは30余年、テレマークは25年、スノーボードが15年、「全部足したら自分の年齢をゆうに超えるよ」と髭面でわらう飄々とした五十過ぎのナイスガイだった。
日本でもNZでも、きちんとスキーレッスンを受けたことのなかったぼくは、インストラクター試験に向けて実際のレッスンがどのように行われているかを知るために、週末毎にBiffさんのいるCardronaに足を運んでいたのである。
その数回で得た知識やノウハウや英語での言い回しは、実際大いに試験の場で活躍してくれた。
しかしこのときぼくは、翌日にMt.Cookのガイドに採用されるための面接を、その翌日からは5日間にわたるNZSIAのイントラ試験を控えて、ずいぶんと緊張をしていたことだろう。
いや、正直にいうと、そのときのぼくはほとんどイントラ試験のことしか頭になかった。とにかく妙高とNZとで通年で滑ったからには(そして海外にまで出てきたからには)、なにか目に見える成果を持って帰らなくてはと焦っていたと思う。
Mt.Cookの面接は、当時ぼくらが住んでいたQueenstownから片道3時間レンタカーを走らせたものの、車を借りる以外の下準備などは何もせずにぶっつけ本番で挑んでしまった。面接自体は1時間ちょい。マクドナルドでバイトしていたときの話や山小屋の話をしたのは覚えているが、面接が終わったらまたすぐ出発し、その日のうちにイントラ試験が行われるスキー場のベースであるWanakaまで移動しておくという過密スケジュールだった。
そんな面接でも、幸運なことにぼくは競争率の高い審査を通過し、翌月10月から晴れてMt.Cook村の住民になった。あれが合格ってなければ、ぼくらのNZの夏はずいぶんと違うものになっていただろう。もしかしたら、翌年の4月までNZに滞在していることすら出来なかったかもしれない。
そうしたら、夏に出会ったMt.Cookの人々やGolden Bayの人々とも知り合わなかったわけで、ぼくらの旅の内容はかなり薄貧なものになっていたに違いない。
ニュージーランドでお世話になった皆々さんに、「相変わらず山で元気にやっています」と便りを出したい出したいと思いつつ、終らぬ夏の忙しさにかまけてなかなか手紙を書けずにいる。
次に休暇で街に下りれるのは再来週。その後は10月どこかで一回休暇があって、10月末には小屋閉めだ。
日本では夏が終わり、ニュージーランドではまた夏が始まる。