2010年9月30日木曜日

ラストひと月

数日来、なんに対しても無感動な日々が続いている。

未読の本はたくさんあるのにぼくの目を捕らえるタイトルはなく、自分が好きなDVDも本棚に並んではいるがどれも億劫で開くには至らない。バイオリンはしばらく自室の片隅でケースに収まったきり、山を歩こうにも晴れた日は歩荷で、暇な日に限って霧と雨が山を渦巻いている。
アップテンポな曲は敬遠され、中学時代にずっと聴いていたglobeをリピートしたりする。

あまりに冬の到来を待ち焦がれて待ち焦がれつづけて、最近ようやくテンションが急上昇したことでむしろエンストしたのか?
それとも眼前に押し付けられつつある「将来の選択」からの現実逃避?
ただの疲れなら良いのだが……

このぼくの魂を感動で揺さぶり、且つ導いてくれるモノは、いまどこにいるのか。


小屋閉めまで、あとちょうど一ヶ月。

2010年9月27日月曜日

巳でに秋声

前回の更新から、随分と経ってしまいました。
台風12号以来、急に下がってしまった気温のせいで多少鼻水気味ではありますが、まぁまぁ元気です。

もうすっかり昔の話だけど、笠ヶ岳は無事に登頂できました。二泊三日の前半はなんとか晴れ間にも恵まれ、雲海の夕陽や槍穂高をシルエットにした星々の夜空も堪能させていただきました。相方も元気そうで良かった。

そして大学時代に所属していた農楽塾のメンバーの結婚御披露目パーティー。
彼女は(本人に怒られるの覚悟でいえば)良いとこ育ちのお嬢様で、卒業後も一流リゾート企業で働いていたけれど、その仕事は退職して大学時代から付き合っていた農業をしている彼氏に嫁いで北海道に行くそうです。
仕事を理由に会合の誘いを断りつづけていたぼくは、他のメンバーともずいぶん久しぶりに顔を合わせました。良くて一年半ぶり、人によっては在学中以来だから五年以上ぶりという人も。
新郎が手ずから育てた食材による料理が美味しいのも勿論ながら、これだけの友人たちを集められる彼女らの人望の厚さをこそ祝い、讃えるべき良きパーティーでした。
トシくんにエミちゃん、本当におめでとう!必ず北海道まで遊びに行くよ。


漢詩に、

未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉巳でに秋声

というのがありますが、まさにそんな感じでNZから帰国してというもの、春夏と夢でも見ていたかのような勢いで通り過ぎ、いま早くも山の木々は秋声に染まりつつあります。
今週か来週には八ヶ岳でも初雪か?最近は赤岳鉱泉においてあった『冬の八ヶ岳�』を観ながら冬に焦がれています。

一年ぶりの冬よ。冬よ、来い。

2010年9月13日月曜日

再び、笠ヶ岳へ

さてさて、相方こたろうは無事に黒部川源流部を巡る縦走から戻ってきて、ナニヤラ素敵な写真をupしているではないですか。いいなぁ、うらやましいなぁと思うぼくが、今週は休暇をもらってふたたびこたろうの働く笠ヶ岳山荘を目指そうとおもいます。

前回登ったときは折りしも梅雨明け直前の豪雨で、岐阜県内にも大雨・洪水警報が出ていたくらいのドシャ降りのなかを笠ヶ岳山荘に到着。けっきょく二泊三日したものの、その間一瞬たりとも雨混じりのガスと風が治まることはなく、小屋から徒歩10分(?)の笠ヶ岳に登頂するどころか、三日間小屋から一歩も屋外に出ることなく終わってしまったのでした……
学生時代からぼくは北アルプスに縁がないのか、北アは行くたびに嵐を経験しています。そしてそのことを笠ヶ岳山荘のひとに言ったらぼくは「相当の雨男」という印象を与えてしまったらしく、今回こたろう経由で「行きます」と言ったら、彼女は「その日はヘリの予定が入ってるから、別の日にしてもらえない?」と返されたそうな。笑
いまのところはそんなに天気予報は悪くなさそうだけど、、、さてはて、どうなることやら(^^;)

今回こそは、笠ヶ岳登頂したいなぁ。

2010年9月7日火曜日

台風直撃

明日は台風が直撃の八ヶ岳です。

山での影響はすでに昨晩から現れており、休暇下りで行者に立ち寄っていった頂上山荘のスタッフによると、稜線部では今朝からすでにかなりの強風となっていたそうです。
ぼくも午後の休憩中に稜線まで登ってみましたが、登山に慣れていない人だと少し恐怖を感じるであろう、明日さらに強くなればもう立った状態では一歩も動けない(いや、むしろ立っていられない)ような感じになるでしょう。

こんな日は、八ヶ岳に限らず、海や山には近づかないのがベスト。
せっかく何日も前から予定していたからといって無理しても、結局暴風雨のなか小屋から一歩も外に出られずに、下手したら下山することすら出来なくなってしまうのがオチですよー


というわけで、、、今週がシーズン中唯一の休暇で、双六・雲の平方面にテント泊縦走すると言っていた相方のこたろうは大丈夫だろか?
山でもスキーでも「転ぶときは前のめり」な性格をしているだけに心配だぃね(--;)

2010年9月5日日曜日

9月5日あたりのこと

9月5日
Cardrona練習最終日。Biffさんにいきなり初心者レッスンを任されワタワタ。やはりスムーズな英語レッスンにはほど遠い。
明日はMt.Cook面接。

(ニュージーランド日記帳より)

あれからもう一年も経ってしまったのかと思う。
BiffさんとはCardronaのスキー場でテレマークスキーのインストラクターをしている人で、カナダや欧州とNZをいったり来たりでアルペンスキーは30余年、テレマークは25年、スノーボードが15年、「全部足したら自分の年齢をゆうに超えるよ」と髭面でわらう飄々とした五十過ぎのナイスガイだった。
日本でもNZでも、きちんとスキーレッスンを受けたことのなかったぼくは、インストラクター試験に向けて実際のレッスンがどのように行われているかを知るために、週末毎にBiffさんのいるCardronaに足を運んでいたのである。
その数回で得た知識やノウハウや英語での言い回しは、実際大いに試験の場で活躍してくれた。

しかしこのときぼくは、翌日にMt.Cookのガイドに採用されるための面接を、その翌日からは5日間にわたるNZSIAのイントラ試験を控えて、ずいぶんと緊張をしていたことだろう。
いや、正直にいうと、そのときのぼくはほとんどイントラ試験のことしか頭になかった。とにかく妙高とNZとで通年で滑ったからには(そして海外にまで出てきたからには)、なにか目に見える成果を持って帰らなくてはと焦っていたと思う。
Mt.Cookの面接は、当時ぼくらが住んでいたQueenstownから片道3時間レンタカーを走らせたものの、車を借りる以外の下準備などは何もせずにぶっつけ本番で挑んでしまった。面接自体は1時間ちょい。マクドナルドでバイトしていたときの話や山小屋の話をしたのは覚えているが、面接が終わったらまたすぐ出発し、その日のうちにイントラ試験が行われるスキー場のベースであるWanakaまで移動しておくという過密スケジュールだった。

そんな面接でも、幸運なことにぼくは競争率の高い審査を通過し、翌月10月から晴れてMt.Cook村の住民になった。あれが合格ってなければ、ぼくらのNZの夏はずいぶんと違うものになっていただろう。もしかしたら、翌年の4月までNZに滞在していることすら出来なかったかもしれない。
そうしたら、夏に出会ったMt.Cookの人々やGolden Bayの人々とも知り合わなかったわけで、ぼくらの旅の内容はかなり薄貧なものになっていたに違いない。

ニュージーランドでお世話になった皆々さんに、「相変わらず山で元気にやっています」と便りを出したい出したいと思いつつ、終らぬ夏の忙しさにかまけてなかなか手紙を書けずにいる。
次に休暇で街に下りれるのは再来週。その後は10月どこかで一回休暇があって、10月末には小屋閉めだ。

日本では夏が終わり、ニュージーランドではまた夏が始まる。