聞けば小屋では、ぼくが日曜日に下山してから今シーズンの宿泊者0人記録を六日間に更新中とか。下界もずっと天気イマイチだったし、さぞかし静かな一週間だったろうなぁと思う特急スーパーあずさの車内から。
夏になれば南北アルプスや八ヶ岳に出かける登山者で賑わう中央本線も、まだまだデカいザックとともに二席ゆったりと陣取れる余裕が残っている。
座席に腰かけて車窓を眺め居れば、以前浜松にいくために自転車で走った甲州街道が線路に付かず離れずでついてくるのもまた面白く、しかしまたあれが自転車にツェルトやキャンプ道具を積んでのツーリングとしては目下のところ最後になっているのを悲しくも思う。
あそこを薦めてくれたO君のいうとおり、笹子峠は気持ちのよい峠であった。ちょうど峠のトンネル手前で、臭すぎて家を追い出されたというオッサン三人組が焼いていたクサヤをたんまり御馳走してくれて、笹子峠はいつだってあのクサヤの臭いとともに思い出す。
列車はまっすぐ西進する甲州街道と離れ、塩山へ。
塩山は、言わずもがな大菩薩峠への登山口。
部活で個人で、山に自転車に、春夏秋冬、大学時代は奥多摩のつぎによく通った場所だろう。格別大きな山ではないが、なにかピクニックにでも良さそうな広々としたイメージがある。
盆地の底からポコッと生えたような「塩の山」にはいつか登ってみたいなと思いつつ結局また足を踏み入れたことすらない。『ドラえもん』の学校の裏山をひとまわり小さくしたような、絵にかいたような小山である。
甲府盆地に入って初めて姿を見せる富士山と南アルプスの高峰は、前衛の山々の濃い緑とは対照的にいまだ春遠き雪白に覆われている。
じつは富士山には一度も登ったことがないが、この時期の南アルプスといえばぼくが大学で一時所属していた部の黄金コースだ。それはそれは恐ろしい合宿で、その名も錬成合宿という。
40kg以上という、いまにして思えば歩荷並みのザックを背負わされ、木の枝を鞭にして(愛の)怒号浴びせる先輩に追われて2000mの標高差を息も絶え絶えに登る。あれを良き思い出といえるのは真性山ヤのMっ気の為せる業か……
あのとき新人だった皆、キツさの余り記憶が飛び飛びだから、いまでもあの頃のメンバーで集まると錬成の話で盛り上がる。
小淵沢のあたりで、遠方からでもよく目立つオベリスクを有する地蔵岳と黒戸尾根を前面に控えた甲斐駒ヶ岳とを左に見送ると、つぎはいよいよ右手に現れたのが八ヶ岳だ。
正解にいえば、少し左寄りの裾野のきれいな三角形の山が八ヶ岳連峰最南端の編笠山。さらに左のが西岳で、奥の山が権現岳。権現の奥に、八ヶ岳のキレットを挟んで主峰の赤岳、横岳、硫黄岳とつづく。
初めて八ヶ岳を歩いたのは高校3年生のときの夏合宿で、そのときにテント泊した行者小屋の水の美味かったことだけははっきりと覚えている。まだまだ赤岳越えがあるのに、予備の2リットルのポリタンクいっぱいに詰めて帰って、自宅でカルピスを作ったほどだった。
ぼくが大学卒業して、山小屋で働こうと決めたとき、真っ先にあたったのが赤岳鉱泉・行者小屋だったのも、あのときの記憶があったからに他ならない。
そうこうしているうちに、スーパーあずさは茅野駅に到着する。
特急の旅は、あの頃の各駅停車の旅に比べてあっという間だ。
こうしてぼくはまた、いつものように山にかえるのである。