2009年5月28日木曜日

QT; Room for couple WANTED!

バックパッカーを出て、値段の安いホリデーパークに移動。つまりは「キャンプ場でのテント暮らし」ですね。

、、、さ、さむいdeath↓↓

昨夜は極寒でした。朝起きたら足の指先が冷たくてしびれてて、死んじゃうかと思いました。
いまさら気がついたのですが、ここって緯度が高い(北海道くらい)だから、陽が短いんですね。山に囲まれているってのもありますが、10時に日が昇り、午後の3時くらいには山のむこうに沈んでいきます。

先日見学に行って、ここにしようと決心し、昨晩電話をかけたら一足違いでほかの人にとられてしまった物件が悔やまれて仕方ありません。前の晩にかけていれば……(T-T)
はやくフラット(一軒屋やアパートのシェア)を見つけたいです。

だれか安くてイイところ、知ってる人いませんか~?

2009年5月25日月曜日

Queenstownに到着




昨日、早朝にクライストチャーチのkiwi houseをチェックアウトし、半日バスに乗ってクィーンズタウンに到着しました。
ここが、RemarkableやCoronet Peak、Cardronaといったスキー場へのベースタウンとなります。

とりあえず今はバックパッカーに滞在中。長期滞在に向けたフラットや仕事を探しているところです。
で、たった今現在は、ワカティプ湖の湖畔のPatagonia Chocorateというお店で、free Internetしながらアイスとほどよくビターなココアをいただき中♪しあわせ~♪♪

それにしてもQTはあいかわらず美しい街ですね。

2009年5月21日木曜日

Christchurchにて

ニュージーランドに来て、はや五日が経ちました。

ここクライストチャーチに到着するのは、なかなか大変でしたよ。
オークランド空港での乗りかえ(日本からの到着時刻と乗継便の出発時刻まで)に1時間半しかないなか、空港に移るためのゲートの故障、ながながと待たされた入国審査、キャンプ道具の消毒作業(ザックからテントを出されて全面に消毒液をぶっかけられる。ぼくたちは持ってなかったけど登山靴もあればそちらも同様。スキーブーツはOKでした)、勝手のわからない国内線ターミナルへの移動、重たくて山のような荷物がぼくらの行動を阻むのです。幸い乗継便の出発が15分遅れていたから駆け込みで間に合ったけど、、、危うかった(--;)
ダメ押しは国内線機内持ち込み荷物の、重量制限!ぼくも相方も、7kgの制限のところそれぞれ9~10kg。多少は大丈夫っしょ、とたかをくくっていたら、前のほうの人たちがかなり厳格に(秤にまで乗せられて)チェックされてるではないですか!搭乗待ちの最後尾で、必死にカメラを手回り品に突っ込んでみたり、衣類を腰にまいてみたりと必死の抵抗の末、ようやくクライストチャーチ行きの飛行機に乗り込めたのでした。

その後は日本から一週間分ほど予約をしていった日本人宿にひとまず落ちつき、NZ生活に向けた準備をしております。
とりあえず銀行口座は開設。図書館でFree Wireless Internetができることも発見。同室のワーキングホリデー経験者から仕事やアパート(こちらではフラットと呼ぶ)に関することも聞けたし、昨日はやはり同居人に誘われて英語のfree schoolにも行ってきました。

そして、当たり前のことなんだけど、こちらは秋。これから冬になろうというところ。
こちらにきてからの数日間でも、日に日に寒くなってきて、昨日はバラバラあられも降ってきましたよ。今朝でかけてみたら郊外の丘が白くなっているので驚きました。

来週からはいよいよスキー場のベースとなる街、クィーンズタウンに移動します。実はそこからが(思い描いていたという意味では)本当のNZ生活スタート!
たのしみだなぁ~♪

2009年5月15日金曜日

いってきます!

いってきます!

とりあえず12時に相方と上野で待ち合わせ。
そこでちょっとNZから帰国したばかりの相方の親友とあって、その後成田へと向かう。

ニュージーランド航空90便、19時発。
オークランドで乗り換えて、クライストチャーチに明日の12時(日本時間の9時)到着予定。


おもいっっきし、楽しんでこよう♪

2009年5月14日木曜日

旅立ち前夜

いよいよ明日出発。
今日は終日、荷物のパッキング。

「この世は舞台だ」とシェイクスピアは言った。「そこでは誰もが一役演じなければならぬ」とも。
しかし舞台を舞うには、歌も必要だ。

それなら現在のぼくにはこの歌だ。


GOING UNDER GROUND "ロール アンド ロール"


もう24時間後には機上の人。48時間後には、現在の自分とはまったく異なった環境に在る自分がいるはずだ。

ぼくが演じるこの行く当てもない青年役には、これからいったいどんな運命が待ち受けているのだろうか……

2009年5月13日水曜日

ケイタイという名の係累

これまでの契約を解約して、2年間愛用してきた携帯電話を手放した瞬間から、いっきにニュージーランドにむけたテンションが上がってきました。

加速度的に。y=x3乗、いや4乗くらいの勢いで。

携帯電話というのが、良い意味でも悪い意味でも、一般社会とじぶんをつなぐ重要な係累であることをいまさらのように実感しました。
高校3年のときに白黒画面の携帯を持つようになってからいままでというもの、海外旅行などで使わない時期もありましたが、それでも長くて2ヶ月。そのときも携帯は使えないままに持っていっておりました。大学卒業して山小屋にはいっても、八ヶ岳で電波が入る会社の携帯に変えて持ち込み。とにかく、それまでの友人やmixiでのつながりが途絶えてしまうのがすごく恐かったんですね。ずっと携帯を持たない生活に憧れていたのですが、いちど持ってしまうとなかなか手放せないもの。

しかし、いざ携帯を捨ててみれば、それは素晴らしいほどの開放感!これは、これまでポケットに入っていた3×7×1cm(これはテキトウな値ですが……)の直方体がなくなった以上の軽快感!!

リンドバーグ夫人もこう言っています。
「別れる時が一番辛くて、別れている期間がどんなに短くても、それはどうしても苦痛を覚えさせずにはおかれない。……中略……それでもそれが終わってしまえば、一人でいるということがいかに貴重なものであるのかということが解ってくる」

都会にいれば、どこかしらに何もかもが用意されているこのご時世。ときには「ない」という不便さを体感するのも大切なのかもしれません。たぶん山小屋生活の良さなんかもこういうところにあるんでしょうね。
「足るを知れ」とまで言わずとも、モノは少なければ少ないほど、ココロは満ち足りるものなのです。

あと今日はスキーバッグを宅急便で成田空港に送り、円T/Cを購入し、自宅のskype用のwebカメラ購入。
これで準備はほぼ終了。あとは荷物をパッキングするだけですかね。
いよいよだぁ~!!

2009年5月12日火曜日

市役所とskypeと

今日は市役所に行ってきました。
住民票を抜いて、国民年金、国民健康保険から外してもらうためです。というか目的は逆で、NZに行っている間は年金や健康保険代を支払わなくてもいいように、「海外転出」という形をとるんですね。

昨日の国際免許証同様、手続きは実にあっさりでした。
転出届に名前住所などの他「転出先:ニュージーランド」「転出日:5月15日」を記入して市民課に提出、待つことしばしで終了。最後に住民票が抜かれる日にちの説明を受け、ついでに年金と健康保険の除籍に関する紙切れをいただいたら、今度は年金課。市民課でもらった紙切れを差しだし待つこと5分で終了。国保課でも同様で、なんもかんもがスムーズに終わったのでした。

以前、まだ年金を止めようか払っていこうか悩んで市役所に電話したときはなんだかやけにメンドくさそうな印象を受けたのですが、案ずるより生むが易し。行ってみたらあっけないくらい簡単に済んでしまったのでした。

あと、相方にお願いされて、skypeに加入しました!
なんでもネットにつながっていれば、無料でテレビ電話を使えるんだとか。さいわいぼくのノーパソはカメラ内蔵だったんで、さっそく登録して埼玉の相方と喋ってみたのですが……
こっちはカメラで映像を送っているのに、向こうがまだマイクだけしかないため、会話はできるのに、映像はこっちからだけの一方通行。
なんだかえらくこっぱずかしかったデス(--;)

というわけで、どなたかskypeユーザーの方がいらっしゃったら、ご連絡くださーいm(__)m


気がついたら、もう出発までたったの三日。
ぜんぜん実感がなくて困るのですが、明日はいよいよ携帯解約にでも行ってきますか。

2009年5月11日月曜日

国際免許証

自動車の国際免許証をとってきました。

ええ、普段はon foot/bicycle大好き人間なぼくですが、持ってますよ。マニュアル免許です。
昔は車のスピード感に慣れることができず運転は苦手だったのですが、自転車でツーリングするようになってから道路標識やまわりの車の動きを把握するのができるようになりました。自転車をこいで自動車が運転できるようになるなんて、思わぬ特典ですね(笑)

ぼくは自宅が小金井市なので、府中試験場までは自転車でのんびりいって5分。「はけのみち」と呼ばれる坂を下って、アスファルトに固められていない自然豊かに残る武蔵野公園の小経に自転車を押せば、府中試験場の試験コースが見えてきます。都内でも良くいえば緑が多い、悪くいえば田舎くさい(^^;)小金井市のなかでも、とくに気持ちのよいお散歩コースのひとつです。

さて、肝心の免許証取得はというと、、、じつにあっさり。ものの10分もかからずに終了。
必要なものは現在使っている免許証と、4×5cmの写真、航空券など渡航を証明するもの、そして手数料2,650円。案内係の指示に従い、簡単な必要事項を用紙に記入して手数料分の印紙を貼ったら、あとは窓口に提出。「すぐに出来るのでお掛けになってお待ちください」と言われ腰をかけたら、本当に1、2分で呼ばれてしまいました。
免許更新のように受け取るまで長々と待たされるような想像をしていたので、逆にビックリするほどのスピードでしたね。実際に使う機会があるかはいまのところ未定ですが、これで一年間有効。

むしろそのあと何気なくした献血のほうがよっぽど待たされましたよ。
高校を卒業して教習所に通い、ここ府中で初めて免許証を手にしたとき、車を運転するようになることがなにか高校を卒業したことなんかよりもよほど重大な社会的責任を帯びたような気がして、その昂ぶった心を(肉体的にも精神的にも)静めようとして献血をしたのが初めての献血でした。若かったんですね(笑)
そのときに、それまで18年間A型だと信じていた血液型がほんとうはAB型であったことを知ったのも、いまでは笑い話。
それまで信じていた血液型占いは!?とも思いましたが、逆にいえばそこで献血をしていなければ、いまでもA型だと信じていたかもしれないわけで…… なにごともしてみるものですね。

というわけで、一日一日と出発日は近づいて、準備も大詰め。
明日は(天気がよければ)市役所に転出届でも出しに行きましょうかね。

2009年5月9日土曜日

歯医者

お日様が出たと思ったら、近所の農工大の「緑の匂い」がグッと増したように感じられます。二日前まで雪の山にいたとは信じられませんね。冬からいきなり初夏に来たようです。

歯医者に行ってきました。

思い出すに、最後に歯医者とやらに行ってから何年の月日が流れたでしょうか?高校入学前に歯の矯正をとって以来行った記憶がないから、、、8年ぶり!?
最近たまに冷水が歯に沁みることがあってずっと診てもらわないとなぁとは思っていたのですが、なかなか思い切りがつかずに放っておいたのです。さんざん友人に脅されて(みんな「自分は十何本虫歯があった」とか「治療費がウン万円かかった」とか言うのですT-T)、いったい何本虫歯が出来ているのか戦々恐々。。。

初診のため保険証を出し、問診表に記入をしながら順番待ち。先に入っていった人たちのキュイーンキュインいう音を聞きながら待つこと15分。最初にレントゲンを撮ってもらったら、いよいよ先生とご対面。
ありましたありました。上下左右の奥歯がそれぞれ虫歯!どうも磨き方がよくないみたいで、一本は横っ腹に穴が開いており、他のやつらも今はまだ痛くなくても、もう神経層に達するギリギリ手前。しかし残された猶予は残り一週間。しかたがないので、一番ヤバそうな横穴だけお薬を埋め込んでもらったのでした。
あとどうやら、左上の奥に親知らずが一本、横向きに生えてきて、正常な歯をちょっと押しているようですね。まぁこれ以上どうとなることはないようですが……

親切な先生で、今回一回診てもらっただけでも、海外で歯が痛くなったとかなにかあったら電話をくれれば相談にのるからと言ってくださいました。
昨年の行者小屋でいっしょに働いていた従業員が「歯の痛みがガマンできない!」と叫んでいたのを見ているので、心底むこうではどうもならないでいてほしいです。旅行保険も利かないことですし。

2009年5月7日木曜日

帰宅

八ヶ岳より帰宅いたしました。

けっきょく昨日は、頂上山荘の小屋閉めを手伝いにいこうとおもったのですが、あまりの悪天候と雪の状態の悪さに登山をあきらめ、あらためて「居候」として行者小屋で一泊したのでした。
とはいえ、約束は約束ですから、ちゃんと頂上まで登るつもりで小屋を出発したんですよ。前日みぞれで昨日も重たい雪が降っていたのでビーコンをつけ、皮ブーツには12本刃アイゼン、手にはピッケルを持ち、ふだんはスキーヤーのぼくが慣れない冬山登山。しかしどうにも雪崩が恐く(なにせ小屋番ですら高価なアックスは持っていてもビーコンは持っていないような山域ですから、埋まったらまず助からないでしょうし)、ともあれ地蔵尾根の核心部手前で弱層テストをしようと思っていたら、たまたま地蔵を下りてきた県警の人に「上部は(案の定!)踏んだだけで表層30cmくらい雪崩れるよ」と教えられ、出発20分、あっさりと県警のお二人について引き返したのでした。
聞いてみれば、日本の南の低気圧や台風の影響で、暴風レベルの東風が吹き、あろうことか稜線の西側(諏訪側)に雪庇ができているんだとか!あまりの状態の悪さに、4本刃アイゼンしか持っていない軽装パーティーが下山できずに天望荘での停滞を余儀なくされているらしいです。怪我こそしていませんが、かるく遭難ですよね。今日地元のガイドさんが、フィックスロープを張って彼らを確保しながら下山させるために、「救助」に向かったそうです。

思えば今年のGWは、特に前半は天気がよかっただけに、あまりに軽装で入山する登山者が多かったように思われます。まだまだ雪も氷もあるのに、軽アイゼンとストックとか、スニーカーとか…… 中にはアイゼンなしのジーンズ姿で、おまけになぜか背中のリュックサックにはテニスラケットが刺さっていた方もいらっしゃいました。
ぼくら小屋番に、登山者に対して「絶対に行ってはいけない」という権利はありません。せいぜい「その装備ではなにか起こったときにまず助かりませんよ」というアドバイスが関の山。べつに軽装備だからといっても登れないわけではないし、じっさいは確かにけっこう登れてしまうものなのですが、見送る小屋番側としては北アルプスのように事故が起こらなかったのが不思議なくらい不安を感じていたものでした。

ともあれ、今日も山は雨。入山者は片手もいらないくらいに減り、これから一ヶ月ほどは一年のうちでももっとも静かな時期になります。

ぼくは15日のNZ出発までのこり一週間。
いよいよ準備も大詰め(に向かわねば)、ですね。

2009年5月6日水曜日

テレマークスキー@南八ヶ岳

連休最終日の今日で、ぼくの行者小屋でのお仕事は終了。(もちろん小屋自体は11月までずっと営業してますよ!) 昨年の小屋閉めのときからすれば予定外な10日間でしたが、気心知れた支配人一家やパトロールに来た県警・遭対協の方々も交えた愉快な時間でした。

昨年の小屋開け時は革ブーツと自衛隊スキーを持ち込んだぼくですが、今年は満を持してのプラブーツとカービング。
前年の様子から、あれやこれや滑ってみようと妄想していたのですが、けっきょく使用した回数は、赤岳中岳間の沢(行者小屋沢)を2回と南沢登山道のルート整備のために小屋から下のゆるゆる斜面を途中まで板に乗った、計3回にとどまったのでした。
行者小屋沢はコル付近から出ている岩の支尾根の左側からで、二ヵ所ほど岩やダケカンバの木に気をつけさえしたら、30〜40度くらいの心地よい斜面です。本当はもうすこし斜度はありそうだけど立木のない支尾根の右側も滑ってみたかったのですが、それは次の機会に持ち越しとなりました。
あと滑ってみたいのは中岳沢、赤岳天望荘の佐久側斜面、文三郎尾根から左側の沢、地蔵尾根の右側の沢(滝があるという噂ですが^^;)などなど。支配人からは小同心ルンゼを滑った某ガイドさんの話も聞いたのですが、どうやったらあんなとこを滑られる(下りられる)んだろう?という細さと急斜面。そんなのにチャレンジするのはまだまだ先のことでしょうね(汗)
しかし何はともあれ、ようやくこれで今シーズンも滑り納め。妙高をあがった後も、高谷池や八ヶ岳でずいぶんと楽しんでしまいましたが、いよいよ次に板をはくのはNZ渡航後となるでしょう。

今日はこれから上に登って、仲よくさせてもらっている頂上山荘の(6月までの)小屋閉めをお手伝いする予定。
外は雪のような雨ですが、、、やっぱり小屋入りしたからには一回くらい登らないとだよね。

2009年5月5日火曜日

さようなら

GW前半とはうってかわって、冷たい、みぞれ混じりの雨が降りはじめた。身も心も凍るような冷たさだ。

我が家の飼い犬が死んだ。

ベル 享年15歳

昨年の秋に口から血の泡をふいて以来、下半身不随のように立てなくなってしまい、今日まで主に母とたまに自宅に帰るぼくとで面倒を看てきたのだが、三日前から水も飲まなくなり、昨夜一晩吠え続けて今日の昼に死んだそうである。

シカゴ在住時、小学一年生だった妹が現地校に入るならという条件で買ってこられた犬。そんなことをぼくは全然知らずに、ある日学校から帰ってきたら自宅に子犬がいたのにずいぶんと驚いた。木曜日で、ぼくが英語の家庭教師を受けているあいだに名前が決まっていたのをよく覚えている。『美女と野獣』のお姫さまの名をとって、belleとなった。
しかし実際の性格は、名前とはうらはらにずいぶんと野性味のある犬で、しつけといえば調子が良ければオスワリができる程度、吠えるわ咬むわ跳び跳ねるわでエラく苦労をさせられたものである。それもどこに行ってもアスファルトの東京に来てからはあまり外にもでなくなり、次第しだいに年老いていった。

立てなくなったときから想像はしていたし、自分で思うように動けない姿を見ていたから、正直すこしホッとした部分がある。そもそも妙高をあがるまでは「もたない」だろうと思っていたのだ。
それでもやはり死による別離は悲しく、また寂しいものである。

ぼくが八ヶ岳から帰る前に遺体は引き取られ、焼かれるだろう。でもぼくの中には在りつづける。これからも。

2009年5月1日金曜日

南沢登山道にご注意!

南八ヶ岳登山道情報です。

美濃戸口から行者小屋に上がる南沢登山道ですが、ここ数日、道迷い続出!美濃戸山荘を出て南沢づたいに上がるルートのはずが、気がついたら阿弥陀岳に登る御小屋尾根に出てしまう例が多いようです。

行者小屋まで来られてそう仰る方があまりに多いので、支配人命令で調査に行ってきました。
美濃戸山荘まで往復するあいだにも、すれ違う登山者から気がついたら道を見失って……みたいな話をチラホラと聞きました。どうも入ってきた情報を総合すると、南沢に入ってからすぐの荒れた河原を左岸から右岸に渡るところで、そのまま左岸についている踏み跡を辿ってしまうケース。もうひとつは、ルートの中ほどからやはり右に逸れてしまうケース。どちらも滝(南沢大滝か?)に行き当たり、詰まってしまうようです。

最初の荒れた河原の手前は、今日ぼくがグリーンロープを張っておいたので間違える人も減るかと思いますが、登山に来られる方はご注意ください!