2010年6月22日火曜日

『南極越冬記』

NHKのニュースで、昨日は夏至だったことを知る。
一年でもっとも太陽の出ている時間が長い一日でありながら、八ヶ岳は梅雨入り以来、くもりやガス(山霧)をベースに雨が降ったりときたま晴れ間が覗いたりといったお天気が続いており、夏至の昨日もまた御多分にもれず小屋のすぐ目の前にあるはずの主稜線は、透けそうで透けない乳白色のヴェールに包まれたままだった。

ぼくはストーブを焚いた小屋の受付で、西堀栄三郎氏の『南極越冬記』(岩波新書)を読む。前回の休暇中、長野市の平安堂4階の古書コーナーで見つけた一冊だ。100円也。
西堀栄三郎氏は第一次南極観測隊副隊長と越冬隊隊長を勤めた人であり、ぼくはその名前と役職を植村直己の『北極圏一万二千キロ』という本の冒頭に初めて知った。西堀氏はその序文に「探検とはどういうものか、探検家とはどうあるべきか」ということを書いている。

その西堀氏の南極越冬は、名目は国際的な南極観測(国際地球観測年)への参加のための下見にあったが、その実際はそれまで日本人では前例のなかった南極での越冬を、それが可能なのか不可能なのか、どうしたらそれが技術的に可能となるのかを自らの身をもって「試す」という、失敗の場合は生命すら保証されない多分に実験的要素を含むものだった。
「日本を出発するまえ、探検か観測かという議論があったが(中略)、現在の南極で探検的要素をふくまない観測などはあり得ない。条件は未知なのである」と彼は書いたあとに、それを成し遂げるための心得として「最悪の場合を考えて準備し、その上にうまくいったときの準備を積み上げる」と説いた。そしてまた、「そうでなければ、最上の条件だけをあてにするという大変な冒険をおかすことになる」とも。

この本には、隊の越冬の様子はもちろんだが、同時に彼が南極の越冬隊を率いる上で生じた他の隊員や本国の役人らとの意識の相違による悩み、ジレンマ、不満なども随所に書かれている。
余暇の時間はマージャンに熱中し、科学的観測や未開拓地の調査に興味を示さない隊員たちの覇気のなさ。机上の理論だけで南極という土地を計ろうとする学者や役人たちの無理解さとあたまの固さ。西堀氏は常にこれらと闘いながら、現在にまで至る南極観測隊の基礎を作っていったのである。
ぼくがこの本を読んでまず驚いたのが、全員無事越冬を果たして帰還したという華々しい結果の裏側に、これほどまでの葛藤や問題が隊の内部に存在していたということだった。

植村直己の北極圏犬ぞり旅行は第一次南極越冬隊の17年後の1974年。
『一万二千キロ』の序文を「読者諸賢においては、未知なるものに挑む一人の探検家の行為の裡に、その人間性を読みとっていただきたいと私は願っている」と締めくくった西堀栄三郎氏の、その探検家としての自身の熱い記録が、この本にははっきりと刻まれている。

2010年6月17日木曜日

山雑誌『PEAKS』に載りました

おひさしぶりです。
はい。タイトルのとおり、6月15日発売の山雑誌『PEAKS』に、ぼくが働いている行者小屋の特集が載りました。

たまたま取材が支配人一家が休暇で下山していた週だったために、ふだんの支配人のファミリー小屋ではなく、あたかも唯一の小屋番だったうっしー小屋のように書かれております。
、、、というか、なんだか思った以上にぼく個人が掘り下げられていて、若干恥ずいッス(〃-〃)

まさか、あんなことまで書かれてしまうなんてっ!!

てなことは冷静に無視(スルー)していただくとしても、小屋に関しては本当に(まぁ個人的なことも嘘ではないですが)ワレワレ行者スタッフ一同が胸を張ってオススメしたいことばかりなので、皆さん是非全国の本屋さんで手にとって(そして買って)みてくださいね♪
文章は旅作家・バックパッカーとして有名なシェルパ斉藤さん、そしてイラストレーターの神田めぐみさんが腕を奮って描写してくださった行者小屋解剖図も一見の価値ある力作です☆

そして皆さんのご来場を、心よりお待ちしておりまーす(^-^)/

2010年6月10日木曜日

妙高高原と戸隠山へ

月曜日に地元の熊谷からでてきた相方こたろうと長野で合流。
先に長野に到着してこたろうを待っていたら、駅前の交差点でばったりザックを背負った元赤岳鉱泉従業員のAくんと出会い驚き。聞けばこれから友人たちと戸隠山に行くとか。

合流後、ぶらりと善光寺参りをし、夕方妙高高原へ。毎年冬にお世話になっている赤倉ユアーズ・インに荷物を下ろす。ここのオーナーが妙高バックカントリースキースクールも経営しており、ぼくは毎年冬になるとこのスクールで生徒さんにテレマークを教えたり、週末のバックカントリーツアーでサポートをしたり、宿のお手伝いをしたりして暮らしている。
このご主人は「妙高自然ソムリエ」という肩書きも持っている方で、夏は(ペンション経営はもちろん)妙高や黒姫周辺の登山ガイドとして活躍されている。もともと神奈川大学山岳部の出身で、山岳部のセブンサミッツの一環でマッキンリーにも登頂し、エベレストの遠征にも参加した御仁である。(エベレストは隊としては登頂するも、自身は7000mまで)

夕食では家族の皆さんとニュージーランドの報告やエベレストのお話を聴いたりして、最後は自慢の温泉に浸かる。ぼくらがいないあいだに改装されていたお風呂はより綺麗になっており、何ヵ月ぶりか知らぬ熱々の温泉に身も心も蕩けそうだった。

翌日はご主人に、今度お客さんをつれて戸隠山を案内しないといけないんだけどいっしょに下見に行かないかと誘われて、もちろんそそくさと山準備。サブザックのないぼくは、空気を抜いてコンプレッションできる防水スタッフバックに雨具や水を入れ、それにテープスリングを通してバックパックのように背負えるように工夫した。

ぼくも相方も初めての戸隠山は戸隠神社の奥社から、登山届けを提出して入山。
最初は新緑が瑞々しい山の斜面を急登。道は次第に鎖場の連続となり、稜線でてからの蟻の塔渡り(戸渡り)なんかは噂に違わぬ高度感で、迫力満点な岩の痩せ尾根であった。
あそこを中高年のお客さんを8人も連れて登るのは大変だろうなぁ……

前日長野で遇って戸隠へ行くといっていたA君らは、ぼくらより前のほうを歩いていたのが見えて何度か大声で叫んでみるも通じず、途中からは違う方面へ下ってしまったので、二度目の邂逅はならず。
彼らは来年のいまごろ、アラスカに飛んでマッキンリーをノーマルルートから登るつもりらしいので、是非頑張ってもらいたい。

山頂からは樹林のみちを氷清水の沢筋に沿って、戸隠牧場のほうへ下りる。下りきったところで美味しい戸隠そばと曲がり竹の汁物をいただいて、車道を半時間ほどでスタート地点の奥社駐車場に戻ってきた。
ここまで来たついでに、最後は戸隠忍者の資料館や迷路のようなからくり屋敷で遊んで宿へ帰る。

予報のわりに天候も良く、道中はなかなかスリリングで下山後のお蕎麦も美味かったし、愉快な休日であった。

2010年6月6日日曜日

八ヶ岳開山祭

今日は快晴のなか八ヶ岳開山祭。いわば本格的な登山シーズンの幕開けを飾る山開きのお祭りですね。

お客さんの中には、毎年この開山祭の日程にあわせて(八ヶ岳の開山祭は、毎年6月の最初の日曜日に行われる)泊まりにきていただいている方もいるくらいで、小屋にしてみれば開山祭はGW以来の稼ぎ時。

われらが行者小屋でも、小屋内の宿泊者数こそ近隣の小屋には負けるけど、昨夜のテント泊人数はなんと100人超え!そこそこの広さは誇るうちのテン場でも、昨日ばかりは夏の連休のように本来はテン場ではない森のなかにまで黄色やオレンジのテントが見え隠れしていました。
午後は当然のように受付ラッシュ。支配人がひとり御勝手で客飯の仕込みを頑張っているあいだ、ぼくは受付にかかりきりで小屋泊の受付、テントの受付、売店のお会計に登山道の案内まで…… 落ち着いてイスに腰かけてお茶を飲む暇すらないほどの忙しさです。
そして4時からはそのまま客飯準備になだれ込み。うちの小屋の夕食は18時からで、お客さんの多いときはそのまま翌朝の朝食の準備をしているうちに食べ終わった人たちの食器が戻ってくるので、それらをすべて洗ったらようやく従業員の晩ごはんになるのです。

ようやくやるべきことがすべて終わって、ぼくらの晩ごはんになったのは20時過ぎ。
しかし、やっとゆっくりできると思ったのも束の間……

大半のお客さんは早々に寝静まり、消灯を数分後に控えた20時半。その日一番遅く、夕食スタート後に到着した上にいつまでも食堂でおしゃべりをしていて従業員の不評を買っていた5人パーティーのお客さんが、受付のドアをノックして曰く。
「あのー、明日朝食付きでお願いしたのですが、早めに出発したいのでお弁当に変更を……」

、、、、イ、イマカラデスカァ〜?( ̄○ ̄;)

ぼくも支配人も、ひさびさの忙しさに入りまくっていた気合いを、「すべて終わったぁ!」とたったいまビールとコーラで解いたばかり。思わず顔を見合わせるぼくら。

一瞬口まで出かかった否定の言葉をグッとノドに飲み込み、「分かりました。では朝までに作って置いておきますね」と極力笑顔になるよう努めながら言わせていただきました。

自分たちの遅い夕食が終わり、21時過ぎ。明日も早いからすぐにでも寝たいところを彼らのためにお弁当を作っていると、支配人が一言。
「サービス残業っていっても、うちらは『誰のために』働いているかが分かっているから、幸せだよね」

疲れに効いた一言でした。

今日が開山祭と知っている人も、知らない人も、快晴のなかずいぶんな人出でしたが、どうか皆さん事故なく下山されますように。
ぼくも今日から休暇で下山。東京には帰らず、長野や妙高のあたりをぶらぶらして来ようと思います。

2010年6月3日木曜日

中岳道の状況

気がつけばいつの間にやら6月ですね。

開山祭を今週末にひかえた八ヶ岳ですが、山はまだまだ残雪豊かに、日によっては日中でもみぞれや雹が降ったりもしています。
朝起きて、白い息を吐きながら手を擦り合わせて外にでてみると、2899mの主峰赤岳が夜のうちにうっすらと薄雪をまとっていつになく荘厳な姿を見せており、カッコいいやらいい加減暖かくなってくれないのかと溜め息漏れるやら、小屋番としてはやや複雑な心境です。

週末以外泊まりのお客さんはほとんどいないといえど、この時期は案外夏に向けた作業で忙しく、ぼくも今週は館内の布団のカバー交換(100枚以上!)や外デッキの屋根の張り替えなどに精を出しています。
でもでもやっぱりたまには山にも登りたくなるもの。今日はのんびり日半日休憩をいただいたので、最近お客さんから電話問い合わせの多い中岳道の様子を偵察してきました。

行者小屋→中岳道→阿弥陀岳→中岳沢→行者

夏のあいだは鎖場などもなく心地よい山歩きが楽しめる中岳道ですが、樹林帯のなかをつづら折れに登ってゆく道ゆえに、積雪期は通行不可になります。そのかわり、冬季は中岳沢を沢筋に直登していくルートが採られます。
毎年残雪のこの時期は、夏道が良いのか、冬道が良いのか、雪の残り具合に左右されて判断の難しいところです。

結論からいうと、まだ冬道が正解。ただし雪歩きに慣れていない初心者(が阿弥陀に登りたい場合)は、中岳沢でも中岳道でもなく、少し遠回りにはなりますが文三郎尾根の登山道を使ってください。
最近は気温の上がらない日が多く、沢上部の雪は意外と固いので、底の軟らかいトレッキングシューズではキックステップができずに恐い思いをすることになると思います。もちろん軽アイゼン以上は必須。ぼくは4本刃+ダブルストックで行きましたが、雪や斜度に慣れてない人は4本でも恐いかも。
そのかわり、沢筋の雪は文三郎と中岳道の分岐までしっかり詰まっているため、下りは巧いこと「滑れる」人ならコルから行者まで10分で下れます。

この情報は6月3日現在です。
また時間が経てばそれに応じて状況も変化しますので、最新の情報が欲しい方は直接近隣の小屋まで(行者・090-4740-3808)お電話くださいね♪