2010年3月30日火曜日

秋の訪れ

先日の嵐で周辺の山々のあたまにはうっすらと雪が被り、ガレージを改造した宿のラウンジに備え付けてある暖炉には今年初めての火が入りました。常夏に思われたここゴールデン・ベイにも、いつの間にか秋が迫ってきているようです。

昨年、ニュージーランドにワーホリで入って、これから始まるスキーシーズンのため最初に生活の拠点をクィーンズタウンにおいたのが、やはり秋。ワーホリのビザが切れて日本へ帰らなければならない日が近づいてきました。

今後の予定は、ここKiwiana Hostelでは4月あたまのイースターホリデーまで働き、その後さらに北端のフェアウェル・スピットまで数日の小旅行をしたら一路クライストチャーチへ戻り、10日間ほどオーストラリアへ横っ飛び。以前からオーストラリア縦断鉄道The Ghanに乗ってみたかったという祖父母に随伴するかたちで、オーストラリアの東半分をぐるりと周遊してきます。
そして4月の22日にふたたびクライストチャーチにもどってきたら、最後NZ出国まえに銀行口座の解約や、持ちきれない荷物の郵送(なにせぼくらはまたキャンプ道具一式やスキー板まで持ちこまなくてはならないのです……)、若干のおみやげ購入などあわただしい数日を過ごし、25日早朝発の飛行機で日本に帰国という流れになります。

ニュージーランドにきて最初のうちは、「あー、もう15日ってことは○ヶ月経ったのかぁ」なんて思ったりもしていたけど、「NZに来ている」という感覚がしだいに「NZに住んでいる」という感覚に変化するにしたがいそんなふうに思うこともなくなり、気がつけば帰国日目前、いろんないろんなことがあってアッという間の一年間でした。おなじニュージーランドでも、旅することと生活することでは、こうも違うものなのですね。
ワーホリでニュージーランドに来たひとの中には、途中で飽きてしまって数か月で帰ってしまうひともいるなんて話も耳にしますが、どうしてなかなか、ワーホリとはその国をじっくりと、ローカル(地元民)の立場で見せてくれる、なんと良い制度ではないですか。

、、、なんて。もうワーホリの「まとめ」みたいになってしまっておりますが、まだまだタカカの周辺でだって行ってみたいけどまだ行けてない場所もたくさんあるし(ワイヌイフォールとかタカカゴルフクラブとか!)、それどころか、水の透明度NZ No.1のププ・スプリングや鍾乳石のツララが大迫力のラフィティ・ケーブなどの行った場所ですらまだ日記に書けてないし!
本当は、もっとタカカの素晴らしいところを積極的に紹介していきたかったのに~!!p(>_<)

まぁタカカの魅力については、ぼくらのタカカ生活の最初から最後までお世話になりっぱなし、ゴールデンベイ・カヤックのカナさんがつづっているブログで詳しくみることができますので(じつはぼくらが最初にゴールデン・ベイという地名を知り、その美しい風景に魅せられたサイトでもあります)、興味をもたれた方は是非のぞいてみてくださいな♪

<Golden Bay Kayaks(日本語)⇒http://www.goldenbaykayaks.co.nz/japanese/indexjp.html
<カナさんブログ⇒http://goldenbay.seesaa.net/

2010年3月24日水曜日

バックパッカーのオーナーというお仕事

晴天率の高いゴールデン・ベイにしては珍しく、一昨日、そして今日とかなりしっかりした、もとい嵐のような雨が降っているタカカです。
先週の金曜日から小旅行にでかけていたオーナーが、一昨日の悪天候で予約していたセスナ機が飛ばずに一日足止めをくらったものの、昨日の晴天をついてようやく、宿に戻ってきました。

振り返ってみると、けっきょく当初の予定よりも一日多くなった四日間のバックパッカーのオーナー体験。

電話での問い合わせや予約の対応。レセプションとお客さんの部屋振り。金銭の授受。宿で発生する、あらゆる種類のトラブルへの対処……
これは、とてつもなく長い四日間でした。

ここKiwiana Hostelは、ドミトリーが2部屋とシングルorダブル用の部屋が4部屋、そして前庭にテントがいくつか張れるくらいで、満室になっても宿泊客はせいぜい30人前後。これはバックパッカーの多いニュージーランドにおいては、かなり小さい部類に入ると言えます。
しかし、その管理運営のいっさいを双肩に任されたときの、その重さといったら!

オーナーからは、いつもどおり午前中の掃除が終わったら、レセプションの電話を留守録モードにして3時半までは自由に外出してかまわないと言われていたのですが、とてもそんなココロの余裕はなく、けっきょく彼女が出発してから帰ってくるまでの丸四日間、一歩もホステルの外に出ることができませんでした。

「もしも外出中に、だれもスタッフが宿に居ないときに、なにかトラブルが起きてしまったら……」
そう考えただけでも恐ろしくて、そして実際、宿に残っているお客さんが少ない日中でも、予約や問い合わせの電話はけっこう頻繁にかかってくるもので、それらを帰宅後にチェックしたり、必要に応じてはこちらからかけ直したりという手間を考えると、とても外出する気にはなれないのです。

そうしてまた、神は人びとに試練を与え賜うもの。
ちょうどオーナーが出発するのと入れ違うように入ってきたテント泊の親子。お父さんと、1歳ちょいの男の子の二人連れだったのですが、この子どもが宿の備品を持っていってはその辺に投げ捨ててくるは、キッチンのスパイスを床にぶちまけるは、他のお客さんのところにいってはかまってもらいたがるは……
もちろん子どもなのである程度は仕方がないとはいえ、どうしてもお父さん一人だと目が離れてしまう瞬間ができてしまうのですね。そしてそれが、バックパッカーはホテルとは違って他の宿泊客と共用する設備や時間が多いが故に、(全員ではないとは言え)他のお客さんの不快感の原因になってしまったのです。

他のお客さんのために親子を追い出すか。

それとも他のお客さんに、子どもへの理解を求めるのか。

一般的に考えれば、親子を追い出すのがより多くのひとの満足を得るでしょう。しかしこれは多数決であり、大を生かし、小を切り捨てる考え方です。
多数決はいかなる状況においても「平等」だと、いったい誰が言い得るか?

どこに行ったって「切り捨てられやすい」立場にある親子連れのことを思うと、なかなかその決断は難しいものになるのです。

しかしそこまで大きな問題でなくとも、たとえば毎晩キッチンに残される食後の食器を目の当たりにすると、あたまの中に巨大な「なぜ??」が多少の怒りとともに渦巻きます。
どうして共用のキッチンで、お皿や鍋をそのまま残しておいて平気でいられるのか?かれらに恥の感覚や、他のひとが使いたがっているだろうという思いやりの気持ちはないのか?まさか英語でも「旅の恥はかき捨て」なんて言葉があるわけではなかろうに。
「上善は水の如し」という老子の言葉を想うとき怒りは諦めと遺憾の溜息にかわり、代わりに孫子の「次善は火の如し」の語が浮かんできます。

たしかにバックパッカーは、いろんな国のいろんな種類の旅人が交錯する、いわば旅の交差点のようなじつに愉しい場所です。あらゆる種類の宿のオーナーの多くが、自身以前は旅人であったというのも、その愉しさを自ら味わい知っているからという理由を考えれば当然のことでしょう。
でも、宿泊業の愉しさとじっさいの運営大変さは別モノだということを、今回の四日間で身に沁みて感じることができました。

火曜日の掃除中に帰ってきた、バックパッカーの管理人歴14年のKiwiana HostelオーナーJulesは「Noriを救うために、私はいまここに帰ってきたわよ~!!」と、開口一番、ニヤニヤしながら叫びました。まるで彼女の不在中に起きたトラブル、ぼくを悩ませた全てを知っているかのように……

宿を経営するというのは、じつにタイヘンなことなのです。
みなさんもこれからどこかに泊まりにいくときは、それがどんな宿泊施設であれ、このことをちらりと思いだして、人知れぬ場所で責任を背負いつづけている経営者、管理人に、救いの「おつかれさま」や「ありがとう」をお忘れなく!

2010年3月21日日曜日

「裸の」後日譚

先日の日記で書いた「Naked Bike Ride」。あれで新聞に載ってしまいましたw

小旅行で宿を数日空けているオーナーJulesのかわりに焼きつけるような日差しのなか物干しヒモにかけていたシーツを畳んでいると、街中に出かけていたお客さんが帰ってきて、開口一番、「Nori, I saw you on the paper!」と教えてくれました。

paper? 紙? 新聞??

どうも詳しく聞いてみたら、先日のNaked Bike Rideが地元紙「GB Weekly」に掲載され、そこにぼくとこたろうのツーショット写真が載っていたらしいのですね。そういえば、走り終わったゴール地点で、だれかに「ちょっと二人のボディペイントを撮らせてもらっていいかな?」と訊かれたっけ。
まぁネタはともかくとして、そして間違いなく読まれている地域も非常に限られているでしょうが(そういえばタカカの人口や世帯数ってどのくらいなんだろう?)、ぼくもこたろうも新聞に載るなんて初めてのこと。これは記念に買っておかないとでしょ!と、お出かけできないぼくのかわりに、こたろう君に町に出て買ってきてもらいました。

じつは仕事探し以外の目的で新聞を買うのは初めてかも。さすがは地元紙だけあって、第一面はおなじく先週末のTimbumトライアスロンと、先週タタビーチで撮影されていたという映画について。
そして第二面が例のNaked Bike Rideで、そこに、ありましたよ~!


この記事によると参加者は100人を超えていたらしいですね!
記事全文は「去る土曜日にサイクリストの安全と、自転車追い越し時の1.5m間隔を呼びかけるキャンペーンとして"Naked Bike Ride"が行われ、百人以上の人々が、あるいは裸で、あるいは服を着てタカコヘ港からポハラまでを走り抜けた。地元のサイクリストは、最近はだいぶ自動車も配慮してくれるようになったが、まだまだサイクリストが危険を感じることがあるのも事実だと報告している」。
べつにぼくら二人のことについて特に書いてあるわけではありませんが、写真のタイトルは「サイクリストの安全問題は、もはや世界的トピックだ」と、やはり敢えて漢字で描いてみたのが良かったみたいです♪

相方がぼくの首もとに描いた「the SOUL of cycling」の、cyclingのスペリングが間違っているのと、なによりもぼくが相方の背中に描いた「自転車愛」の文字がふつうに下手なのが、改めて見るとかなり恥さらしな感じデス……(^^;)

まぁ漢字の汚さは、きっと外国人にはわかるまい。。。

と、切に願いたいうっしーなのでした。

2010年3月19日金曜日

Naked Bike RideとTinbumトライアスロン

朝晩は半袖半ズボンで出てくるにはちと肌寒すぎるのに、昼にもなれば日なたで動くのも億劫になってしまうほど太陽ギラギラの日が続いております、ゴールデン・ベイです。ネルソン周辺のこのあたりは「Sunny Nelson」と呼ばれるほど「晴天率の高さ」で知られる場所ですが、ぼくらがここにきて二週間、雨が降ったのは、、、二日くらい?それも終日は降り続いたりせずに、数時間であがってしまうような雨でした。相方と、そのうち曇りの日にでもゴルフ場に行ってみようかと話しているのですが、いったいそんなナイス天候の日はいつ訪れることやら。

しかし、そんなギラギラ太陽にも負けないくらい「熱い」イベントが、先週末、ここゴールデン・ベイのPoharaで行われておりました。

まず土曜日が「World Naked Bike Ride」。

手っとり早くいうと、Naked(つまり、裸)でBike Ride(自転車に乗ろう)しようぜ!というイベントですね。Worldというくらいだから、世界中からこのために人が集まるかというとそうでもなく、まあせいぜい車で二、三時間のネルソンから来ていれば、はるばる……といった感じでしょうか。
しかしスタート場所のTarakohe港に集まった人数は、少なくとも目測で6~70人。しかも、どちらかというと下着や水着などで局部を隠しているのはむしろ少数派!で、まわりのひとは、老若男女、芝生のうえで素っ裸になっては思い思いの絵柄でボディペインティングをしたり、このイベントの本来の趣旨である(らしい)「もっと歩行者や自転車に優しい道路作りを」という訴えや「自転車⇒自動車間1.5m」といったモチーフのサインを描いたり、なかにはただ「割れ物注意!」のシールを貼っている人など、とにかくさまざま。地元の人が多いのか、みんな全裸にボディペイントで、知り合いを見つけては談話を楽しんでいます。

ぼくらも負けじと、宿の他のスタッフやお客さんといっしょに宿の自転車を借りて参加。ぼくは手ぬぐいを結び合わせてふんどし風に、相方は水着着用で、それぞれ前面は「Kiwiana Hostel」と宿の名前と、この勇姿に憧れて泊りに来たくなった人のために住所をペイント。
そして背中には、ぼくが日の丸に漢字で「自転車魂~the SOUL of cycling~」と、相方がハートに漢字で「自転車愛~the LOVE of cycling~」。
いろんな人に「Coolだね!どういう意味なんだい?」と訊かれ、なかなか好評のようでした♪(ぼくが書いたほうがキタナイだなんて、思っても言っちゃダメ!習字なんてあんまり経験ないんだもん >_<;)


出発前に相方のチャリがパンクするというトラブルもありましたが、GBカヤックのナイジェルさんが車で替えの自転車を取ってきてくれて、ぱぷ~!!という笛の音とともに全員出発!
走行距離は2km弱とわずかながら、海沿いの道路を埋め尽くして走る全裸の大集団はかなりの壮観です。いちおう片側しか塞いでないのに、対面を通行している車も茫然と(あるいは称賛のクラクションを鳴らしながら)止まってしまって、完全通行止め状態。道路わきで待ちかまえていた観光客や地元民もやんややんやの拍手喝さい。
海を右手にみながら素肌を吹き抜ける午後の風が気持ちよく、2kmといわずにTakakaの町まで走っていきたい爽快感でした。(ちなみにカナさんいわく、以前はTakakaの街中でやっていたけれど、あまりにイベント後にそのまま全裸でカフェでくつろぐ参加者が多く、事情をしらない観光客が驚いてしまうので会場をPoharaに移動したのだとか……)





ちなみに最優秀ペイントは、ニュージーランドらしく胸にキウイフルーツの断面を描いた女性。だったのか、前面背面にトランプを描いた女性だったのか、、、英語力の乏しさによぅ分かりませんでした(汗)

そして翌日日曜日も、またまたPoharaを舞台にローカル・イベントが。

今度はTakakaの街ですらポスターや掲示を見かけないのに、昨日よりもイベントとしては賑わっていた超ローカル・イベント「Tinbumトライアスロン大会」!このへんの地元住民が集まって、下は小学生から上は60代まで、男女個人かファミリー、ビジネスなどの3人チームで、swim 300m、bike 7km、run 1.4kmを競おうという大会です。
ぼくらはGBカヤックのカナさんとチームを組み、日頃から海に親しむカナさんがswim、元チャリダーのぼくがbike、根性娘の相方こたろうがrunを担当。チーム名は、ぼくらの宿の名前とカナさんの名前をあわせて「Team Kiwikana」ということに。

大会は午前10時からなのでこの日だけは特別に宿のオーナーから休日をいただき(ローカルはみんな知ってる大会だから、Tinbum出場の為といったら「是非行ってきなさい!」と力強く送りだしてくれました)、それぞれしっかり(?)事前のトレーニングも積んで、いざ参戦!



大会当日。もはや当然のように素晴らしい青空のもと、スタート・ゴール地点のPohara Top10 Holiday Parkには大勢の参加者が集合。大会の部門が年齢でこまかく区分されているためか、小学生くらいの子供たちもたくさんいて、大会本部での選手登録やコースの確認、自転車の最終チェックなどに余念がない本気なのもいれば、ただワイワイ友達と楽しんでいるのもいて、なかなかの賑わいでした。
今年は昨年までと一部コースが変更されて(上の地図は昨年のコースです)、ぼくの担当する自転車パートが砕石工場(?)の私有地をつかった、より細かいアップダウンの多いオフロード率の高いコースに。だいたい、速いひとでswimが6分、bike18分、run15分というのが基準みたいです。

、、、しかしまさかこれが、あんな結果につながることになろうとは(--;)

個人の10分後に各チームのスイマーが一斉スタート。カナさんは「遅かったらゴメンね」とか言っておきながら、上位三分の一に入るナイスタイム、7分38秒でぼくにバトンタッチ。


それこそ大学時代は毎日片道22㎞を1時間の道のりを自転車で通学し、旅は自転車、じつはサイクルマラソンにも(たったの一度だけれども)出場したことのあるうっしーは、とくに昔からヒルクライムを得意とし、この登りでもその実力を遺憾なく発揮!途中から砂利道の登りになったのもなんのその。四、五人は抜いたでしょうか。
しかし悲劇はそのあと。
頂上まで登りつめてこんどは細い砂利道のダウンヒルをガタガタ下っていると、さきほど抜き去った中学生くらいの男の子たちに次々と抜かれるのですね。こっちはけっこう大きな石のおおい道に、ただハンドルを握ってバランスを崩さないので精一杯なのに、彼らときたらまるで跳ぶように、それこそタイヤが地面に触れているのか!?という勢いで下っていきます。(それは、まさに冬クィーンズタウンのスキー場で味わったショックを彷彿とさせました。彼らはあたまのネジが抜けているのではなく、きっともともとないのでしょう)
そして、「こなくそ!」とおもって、ぼくもペダルをこいでみようとした瞬間!

ガキンッ!!!

ペ、ペダルが前にすすまない……

瞬間、茫然。あわてて自転車から飛びおり原因を探るも、パンクではないし、ギアにもなにも見当たらないし。
しかしいくらいじってもペダルはまわらず、つぎつぎと後続に抜かれてゆく現状、リタイヤをする以外に(そしておそらく最初で最後の参加に途中リタイヤだけはしたくない!)残された活路は「自分で走る」しかないのです。

傍に立っていた係員のおっちゃんに「自転車壊れたから走ってイイ?」ときくと「ここからはループで、どうせまたここに戻ってくるから自転車は置いていけ」といわれ、それがアップダウンのつづく砂利道マラソンスタートの号砲でした。
採石場らしき場所を一回ちいさく、一回おおきく、登ってはくだって、登ってはくだって、炎天下のなか予想外のランニングに息も絶え絶え。参加者も最後尾のほうの小学生くらいの子供たちと抜きつ抜かれつしながら走りに走って、途中で自転車をピックアップしたら、こんどは自転車を手で押しながらのランニング。下りなら、ペダルさえ漕がなければ、ただ乗って重力に引かれて進めたのが不幸中の幸いでした。

記録されたぼくの自転車のタイムは、37分42秒。

さぞかし最後のrun担当の相方は待ちながらヤキモキしたことでしょう。20分で戻るといって出発したのだから……
最後は相方が、前半は潮が引いた砂浜と、後半は走りやすい遊歩道を17分55秒で力走しフィニッシュ!

午後に結果発表と表彰式が行われたのですが、チームKiwikanaの総合タイムは63分14秒59。当然、ぼくのせいで成人チームとしては非常に遅いタイムなのですが、大会の区分上では「40歳以下の女性チーム」の部(チームのうち2人以上が女性なら女性の部なのです)が我々だけだったためにカテゴリー順位は1位。
下の写真のステキな?トロフィー(Tinbumのbumとは「お尻」のこと)は個人の各カテゴリー勝者に与えられるので、ぼくらはチームとしての表彰はありませんでしたが、最後にぼくが個人で「Hard As Stone賞」、日本語でいえば「石のような意志で頑張ったで賞」をゲット。カナさんによると、毎年トラブルに見舞われてしまった参加者に贈られ、そのトラブルが大きかったひとほど良い(?)らしいのですが、、、それは果たして名誉なのか、不名誉なのか、、、(--;)



ちなみに総合優勝者は、なんと個人18歳以下(男子)の部の42分20秒27!ひとりで三種目すべてをやって、なおかつチームより速いとは。その強さに驚きです。
そして個人50歳以上(男子)の部で出場したカナさんのパートナー、ナイジェルさんは、「足が痛くてrunは走れないから」とか言いつつもさすがは海のオトコ、最初のswimで圧倒的なスピードを披露し、47分36秒55のカテゴリー別2位、総合でも9位の好成績。

表彰後はローカル企業の提供によるspot prize(抽選会)も行われ、ぼくはポロシャツを、相方こたろうはオーガニックのはちみつ、カナさんは自転車ショップの商品券、そしてナイジェルさんは地元アーティストの、買えば数百ドルもするキャンバス・ペイントをいただきました~。

トライアスロンって、なんだかあまりにもハードそうなイメージがあったのでいままで敬遠していたのですが、このくらいのショート・コースでワイワイ競うレベルなら、個人で出場しても楽しそうですね。
大会が終わったあともココロの昂りは冷めやらず、その日の午後はさらにポハラでピピ貝を採ったり、タタでカヤックをだしてマッスル(ムール貝のことです)を採ってきたりと、アウトドアなゴールデン・ベイを満喫した休日となったのでした。

そしてここKiwiana Hostelは、今日からオーナーが数日間、宿の管理をうっしーに任せて旅行に出発。
彼女が帰ってくるまで、無事に宿をまわしていけますように。

2010年3月15日月曜日

タカカの食卓・2

ここタカカに来てイの一番に参加したツアーがご縁で(?)、最近ゴールデンベイ・カヤックを運営しているナイジェルさんカナさんカップルに、よくお世話になっています。カヤック会社のオフィスも兼ねているビーチフロントの広いお宅で食事を御馳走になったり、ローカル(=地元民)ならではのお話を教えてもらったり。そして、山ヤさんのぼくらにとってなによりも新鮮だったのが、地元の、それこそローカルも観光客もみんなが海水浴に集まるようなビーチで、美味しい貝やお魚が獲れるということでした。
タカカの町から自転車で30分ほど走ると、ゴールデンベイ・カヤックのオフィスがあるPohara Beach。さらに15分くらい走るとゴールデン・ベイ一帯でもイチオシのTata Beachなのですが、干潮ならあさりに似たピピ貝が、そして満潮なら20cmほどのニシンが獲れるのです。

ぼくらがまず教わったのは潮干狩り。じつは、うっしー&こたろうは内陸育ちのためかこれまで潮干狩りというものの経験がなかったのですが、カナさんに言われるがままバケツとミニ熊手を手に、引き潮で波うちがはるか遠くにいってしまった遠浅のビーチに出ていき、「このへん」とカナさんが立ちどまったあたりを掘ってみると、ホントだ!いるいる!!
頼るべきはローカルの知識か、本当の潮干狩りにはちゃんと「スポット」というものがあるらしく(日本の潮干狩りでは、種をまいて養殖しているところもあるのだとか)、ここポハラでも経験的にある程度かたまっている場所とそうでない場所があるそうで、いるところでは3~4個の群れ(家族?)がそこここで採れるのです。先日行ったときは干潮にすこし遅れてしまい、スポットはすでに水没していたのですが、膝くらいまで海につかって手や足で砂を探ってみると、潮に表面の砂が流されたのか海水を感じて表面近くに出てきているのか、案外これも簡単にザクザク採れたので、やっぱり潮干狩りで重要なのは「場所」のようですね。
大きさは、ちいさいのはまた海に返してしまいますが、だいたいあさりと同じくらいのものから、それより少しおおきいくらい。ふたりで食べるだけを採って、毎回砂抜きもそこそこにその日の晩には茹でてしまうのですが、茹でたあとに身を洗えばそこまで砂も気にならず(本当はひと晩くらい置いたほうがイイらしいです)、味もむしろあさりより濃くてむしろ美味しい気がします。

あさりの炊き込みご飯、あさりの味噌汁、あさりの佃煮、クラムチャウダーのスープとパスタ……
特にあさりの煮汁をつかった炊き込みご飯はもう、海の香りが満天で、最高でしたp(T-T)

そしてニシン。英語ではHerringというそうなのですが、ちいさい群れでかなり波打ち際まで泳いできているんですね。ぼくらも以前から砂浜で遊んでいたときに「この小魚はなんなんだろう?食べれるのかしら?」なんて言っていたのが、まさにそれでした。
漁の手法は、以下の通り。

1)上に浮きをつけた長いバレーボール用みたいな網(と両端に竿代りの棒)を用意する
2)ひとりが片端の棒をもっておき、もうひとりがもう片方の棒をもって海に入る
3)網が砂浜から半円になるように運び、そのまま両端を岸に揚げる
4)大量のピチピチ跳ねるニシンを手あたりしだいバケツに放り込む!(もし入っていれば……)



要するに、岸辺で泳いでいるヤツらを知らぬ間に一網打尽にすくいあげてしまえ!と、じつに単純明快。まあ一網打尽とはいえ網の目はそこまで細かくないので、ちいさいサイズのは逃げられるようになっているのですが、それでも群れがかかれば一度に数十匹。波打ち際を泳いでいるのを上から見ているとちいさいのしか見えないのに、網を引き揚げてみればけっこう大きいサイズのもかかってます。ニシンって初めてしっかり見たけど、目が黄色さがなんて特徴的。
獲れたニシンはその場で腹腸をとりだして、家にもどって三枚下ろし。最初はすごくぎこちなく時間もかかって、ようやく一匹、ようやく二匹だったのが、カナさんの手つきを真似しながら数をこなすうちにぼくらも上達(?) だんだんナイフを握る手も手練れてきて、調理台のまわりに拡がるお魚の香りとともに気分はお魚屋さんです♪





下ろした切り身は、そのまま醤油を垂らして刺身でも美味しいし、ムニエルにしてレモンを添えても良いし、むしろそのまま塩焼きでもイケています。先日はカナさんが開いて一夜干したのをいただいたのですが、これも骨までいっしょに美味しくいただいてしまいました。


日本と同じ島国でありながらじつは滅多に魚屋というものを見ないニュージーランドにおいて、スーパーの魚コーナー(たいていは肉よりも値段が高い)か養殖場から直買いする(とくに鮭はサーモン・ファームという養殖場がところどころにある)以外でも新鮮な魚をゲットできるというのは、すごく貴重なのです。

エクスチェンジ、つまりは居候の身にとって、パンや魚貝といった日々の糧がタダで得られるのが嬉しいのはもちろんですが、それ以上に、直接自分たちの手で自然の恵みを収穫し、味わうことができるこの土地の豊かさに感謝の念を覚えずにはいられません。たとえお金が惜しくてあっちこっち街に遊びにいけなくとも、現在のぼくらの生活は不思議と満ち足りています。

「食」の充実は「生活」の幸せ。そう思いません?

2010年3月8日月曜日

タカカの食卓・1

というわけで、二週間も昔のコースト・トラックの記録も無事に終わり、ようやくここタカカでの生活風景をお伝えすることができるようになりました。
毎日の詳細は相方こたろうも詳しく書いてくれていますが、基本的には10時から12時半か13時くらいまでホステルの清掃をして、午後は自由時間。なにか用事があってオーナーが出かけたりするときは、英語のできるぼくがレセプション兼電話番を頼まれたりしています。

そして下は、ある日の献立。

<朝食> うっしー作の食パン、オーナー宅の裏庭で採れたグレープフルーツをつかったこたろう作のマーマレード、お客さんが残していったマーガリン、キャベツ炒め

<昼食> こたろうが毎朝つくってお客さんに1ドルで売っているマフィンの残り

<夕食> 白米、網をつかってビーチで採ってきたニシンのお刺身と焼き魚(with オーナー宅で採れたレモン)、おすまし

、、、最近、食べ物に凝っています。

アーサーズ・パスでもいろいろと焼いて楽しんでいた相方こたろうが、ここでもオヤツにマフィンを焼いてみたのが、ことの発端。
オーナーに「どうぞ~」とあげてみたら、「なかなか悪くないわね。小麦粉なら以前つかっていたのが大量に残っているから、それを使いなさい」と言われ、出てきたのが小麦粉20kgバッグ……(デカい) なんでも以前は手作りバナナチョコチップマフィンを焼いてお客さんに売っていたのだけれど、労力のわりにあまり売れないから、材料の粉やチョコチップが大量に余ってしまったとのこと。
それからというもの、こたろうは毎朝6時半に早起きしてマフィンを焼いては、受付において小銭を稼いでいるのです。

そしてうっしーも、クィーンズタウンでお世話になったご夫妻からニュージーランドのご家庭には必ず一冊はあるという"Edmonds Cookery Book"というレシピ本を進呈されていたのと、こたろうのその涙ぐましい努力に(そしてそのマフィンの美味しそうな香りに)刺激されて、パン作りやピザ作りをはじめてしまったのです。なにせ小麦粉はそれこそ山のようにあるし、イーストやベーキングパウダーもスタッフ用で残っていたのを自由に使えるし、「居候」で極力お金を節約したいぼくらにとっては「むしろ何故しない!?」という環境じゃないですか。
パン作りなんて、スーパーで強力粉を買ったのも初めてなら、イーストを使うのも初めての超初心者。初回は焼くときに型を置いた位置がすこし高くてか、上面に比べて内部の下のほうの焼きが甘かったというのはあったけど、二回目の前回は位置を調整して見事大成功!周囲のお客さんからも賛辞の言葉ををいただいてしまいましたv
早起きして、自分で発酵させて、コネコネしたパン種がふんわりと焼きあがった姿香りは、愛らしいとしか言いようがありません♪
ピザも意外と簡単につくれる上に、コネコネするのも楽しく、上の具も普段から常備しているケチャップ、ベーコン、玉ねぎと冷凍野菜を乗せるだけで十分美味しいのができたのでハマりそうですね。今度はパイナップル缶でも買ってきてハワイアンをつくってみたいなぁ。



先日は、ひそかにこれまで失敗を重ねてきたニュージーランドのお菓子、パブロバもかなり完璧にちかいものが焼け、Baking波に乗っている感のあるうっしー。
ただメレンゲに砂糖をあわせて焼き上げたケーキに、生クリームとキウィフルーツなどをのせて味わうものですが、自分でつくるが故に調整できるほどよい甘さと、これまでは再現できながった口に入れた瞬間にとろける柔らかい食感が最高でした。


クィーンズタウンのシゲコさんマイケル夫妻、マウント・クックの皆さん(とくにアキコ夫人!)にも、是非これを味わっていただきたかったデス……

こんな毎日でホームメイド洋食を堪能しているぼくらですが、じつは最近は日本食もキテいます。
ここで働きだす前にお世話になったゴールデンベイ・カヤックの方が誘ってくれて、干潮で遠浅の浜辺であさり貝に似たピピ貝を掘ったり、網をつかって浜のちかくを泳いでいるニシンを獲ったり。

でも今日はもう長いので、それはまた次回にということで。

2010年3月2日火曜日

Abel Tasman Coast Track

いったい毎日なにをしているのか。日々労働は2~3時間なのにもかかわらず、日記を書くことすら出来ずに今日まで過ごしてしまいました。下山してからもう一週間以上が経つというのに……

それでもやはり、このAbel Tasman(エイベル・タズマン)国立公園のことは書いておきたいのです。
ニュージーランド国内でもっとも小さい国立公園でありながら、年間の訪問者数がもっとも多いというこの国立公園。ここにはおおざっぱにわけて、内陸をゆく「インランド・トラック」と、海沿いをゆく「コースト・トラック」があるのですが、このコースト・トラックがすなわち国内に9ヶ所あるグレート・ウォークのひとつに数えられているのです。

ずっと海岸線に沿って、わずかな標高のアップダウンをくりかえすコースト・トラックの特徴は、なんといっても「Low Tide(干潮時)にしか渡れない」個所があるということでしょう。
ぼくらは南側からスタートしたため、Tide Walkの初体験は、一泊目のアンカレッジ湾の小屋(もちろん宿泊は今回もテントだけれど)を出発してすぐのトレント湾。コースマップには「干潮時刻の前後2時間のみ通行可能」と書いてあり、入山前にDOCでもらった潮汐表にはその日の午前中の干潮時刻は6:35amとあるので、余裕をもって8時にはそこを通過できるように出発。すると、なるほど。干潮時には湾内の海水がすべて引いてしまって、対岸まで一直線に、あるいは砂地の、あるいは貝殻ジャラジャラの上を歩いていけるというわけなのです。
とはいえ、やはり多少は川のように水が残っているところもあり、相方と「へぇ~、へぇ~!」と感心しながら登山靴を脱いでズボンの裾を捲くって、サンダルで無事通過。

しかし海を知らない山カップルな我々は「いったい海の潮はどうやって満ちるのだろう?渡っている途中の人がいたら、その人はどうなるんだろう??」なんて話をしながら歩いていたら、次のバーク湾で見事その「渡っている途中の人」を体験することになってしまいました。
トレント湾からコースタイムどおり2時間半歩いて、10am過ぎにバーク湾到着。ここは地図によるとLow Tideコースなら20分、陸上の迂回コースをとると1時間との由。あきらかにLow Tideの前後2時間というリミットは超えているけど、パッと見まだ向こう岸までほとんど水はないし、実際、5分ほど先行していた連中は膝くらいまでジャブジャブ浸かりながら渡っていっているし。
「これなら急げばイケるだろっ!」と砂浜の湾を横断しはじめたら、、、

あれ?先行パーティーの最後尾の人が、さっきは膝までだったのに、いつの間にか下半身が浸かってる??

と、思っていたら、あっという間にザブザブと打ち寄せる海水に取り囲まれてしまったぼくら。こうなってしまったら、ぼくらに残された道は急いで靴を脱ぎ、いちばん近い陸地にとにかくダッシュすること!いくら海を知らないぼくらとて、低いところからみるみる砂浜を呑みこんでゆく海水の勢いを目の当たりにすれば、もうほかに選択肢はないということを瞬時に理解できましたヨ。海ってスゴイ!!

のちに聞いた話では、潮汐表を無視して渡ろうとしたら湾のど真ん中で潮が満ちはじめてしまい、ザックを頭に乗せて、胸までの海水に浸りながら渡った(泳いだ?)人なんかもいるそうです。

こんな調子で海岸線の砂浜を歩いては、標高100mくらいの山を越えてまたつぎの砂浜へと、全行程三泊四日、もしくは途中のトタラヌイまでで終わらせれば二泊三日、続くわけです。最初は日本の模範的な登山者たるべく、長ズボン、厚手の靴下に登山靴を(さらに雨天時は雨具まで)履いていたぼくらでしたが、行程も半分を過ぎると、その服装はTシャツに黄色いハーフパンツの水着、足元はビーチサンダル履き、山越えのときのみ登山靴というスタイルに。
実際、周囲の外人トレッカー連中や、ウォータータクシーで途中のビーチに入り1dayハイクを楽しんでおられるオジサマオバサマ方の格好を見ていると、じぶんたちの重装備がバカみたいに思えてきます。ぼくらはテントに食料に寝袋に、それぞれ20kgちかい大荷物を背負っているというのに、かれらはそれらの荷物すらウォータータクシーでつぎのビーチまで運んでもらって、じぶんたちは手ぶらに水着で歩いているんですから!
年間を通じて気候が暖かいというのももちろんありますが、とにかく気軽に入山してデイウォークを楽しめるシステムが整っていて、ここの年間の訪問者数がもっとも多いというのも頷けます。

もっともオススメのキャンプ場はMutton Cove(マトン・コーブ)。コースト・トラックには4つの小屋のほかに、全部で21か所のキャンプ場(2か所はシーカヤックなど海からのアクセスのみ)があるのですが、それらを管理しているDOCのスタッフも強く薦めるのかマトン・コーブなのです。
さらに1時間ほど歩けば小屋もあるのですが、ぼくらもその日はそこでストップ。この(南側からいくと)最後のトタラヌイからワイヌイ湾までの部分はカットしてしまう人も多く、またキャンプ泊のみというのもあり、ハイカーの多いコースト・トラックにしては珍しく、ここではテントから海岸まで10歩という好立地でプライベート同然の美しいビーチと海を満喫。夜明けもキレイでした~。
近くには歩いて30分くらいでセパレーション・ポイントという岬もあり、先端の急な山肌を下りていけば、おなじみシャグ(鵜)やファーシール(オットセイ)のコロニーがほんの数メートルの距離で見られます。
個人的には、ここか、バーク湾のキャンプ場が"Abel Tasman's MUST place to stay"です!



最後に、記録も兼ねてコースト・トラックに関するジェネラル・インフォメーションを。
・まずトラック内での宿泊は、他のグレート・ウォークと同様、ハット・パスもしくはキャンプサイト・パスが必要。キャンプは一人一泊12ドル。小屋泊はいくらか忘れたが、どこも相部屋のベッドにマットレスがあるだけで、寝袋やガスクッカーなどは要持参。水は各小屋でならフィルターを通した水が入手可能だが、キャンプ場のみの場所では要煮沸。
・入山、下山の際のバスは、たいてい車道の終点(駐車場のシェルターなど)に電話があるが、予約はなくとも空席があれば乗せてくれる。
・アワロア湾には私有地に集落があるが、食品の購入などは不可。ただし、アンカレッジ湾のAqua Packersやアワロア湾のAwaroa Lodgeなど、DOC管理以外の宿泊施設はいくつかあり。
・ウェスト・コーストに比べるとサンドフライは少ないが、蚊は多い気がした。肌を露出することも多いので虫よけは必須。

このエイベル・タズマン国立公園や現在ぼくらがいるゴールデン・ベイの周辺は、日本からの旅行者があまり訪れない土地なのですが、ちょっと時間や旅費に余裕のある方なら是非訪れてみてほしい場所です。ここには壮大な氷河や山岳風景はありませんが、そのかわり美しい海と豊かな自然、甘い温暖な南国の香りに溢れています。
これらも、マウントクックやミルフォード・サウンドとはまた違う、ニュージーランドの誇れる自然のひとつですよ。