2010年11月29日月曜日

引っ越し、そして閉幕


いよいよ明日、妙高に引っ越しです。
今日は午後から相方こたろうがうちに来て、さきほどトヨタレンタカーでハイエースを借りてきてすでにぼくの荷物は積み込み済み。明日は熊谷の相方の実家に寄って、そのまま関越で妙高に向かうことになります。

いよいよ。いよいよ!

まだホテル買取のための融資が銀行から下りていない関係でもともとのオーナーさんも家(ホテル)を出て新しい住居に引っ越すことができず、はたして本当に18日のスキー場オープンに間に合わすことができるのかはなはだ怪しいところですが、遅くともすでに予約が入っている正月までにはなんとかしないとね。

しかし、荷物をすっかり出してがらんどうになった机や本棚は本当に殺風景なものですね。妙に自分の部屋が広くて、そして壁が白くて眩しくて、、、我ながら驚きです。
指折り数えてみれば、中3からこれまで、13年間。
お世話になりました。ありがとう。

そしてここも。
ホテル シルバーホーンのブログ(近日(なるたけ早く!)公開予定!)ができれば、もうここの役割は終わったも同然です。ここは、ぼくが旅する中で出逢った美しい土地や自然たちを紹介するための「場」だったから。
もう「旅」は終わり。
もちっと違う人生がはじまるからね。

ちなみに以前も書いたかもしれないけど、"WIND, LAND AND STARS"のタイトルは、サン=テグジュペリの著書"WIND, SAND AND STARS"(邦題『人間の土地』)から採らせて頂きました。

それでは皆さん。いままでのご愛読、ありがとうございました。
また妙高からお会いできるのを楽しみにしております!

p.s. ホテル シルバーホーンについてはこちら。
   住所 〒949-2102 新潟県妙高市田切218-2
HP http://silverhorn.moo.jp

2010年11月15日月曜日

『もしドラ』を読んでみた

相変わらず福岡で、(祖父母のお伴の)病院巡り以外は大してすることのない不聊の日々を過ごしております。
まぁ幸い相方が非常によく動いてくれているので、最近はむしろ、ぼくはじっと動かず、パワーを溜め込み、静かに湧いてくるイメージやアイデアを汲み取っていくことに集中しています。
そんなときです。父が最近流行りの『もしドラ』を福岡まで送ってくれました。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
(岩崎夏海著 ダイヤモンド社)

読んだことのない人も、きっと本屋の店頭でカバーくらいは見たことがあるでしょう。あの、青い空とスカート丈の短さが気になるカワイイ女子高生が印象的な、これが経営学の本なのか!?と思うようなアニメ絵の本ですよ。
内容を端的に紹介すれば、タイトルのとおり、高校野球部のマネージャーになった女の子が、野球部のことマネージャーという仕事のことをよく分からないままに「マネジメント(経営学)」の本を購入。それが経済学の父P.F.ドラッカーの書いた『マネジメント』という本でした。
彼女はその本で述べられている組織運営の理論を自分の野球部に応用(というか適応)させて、弱小の野球部を強化し、ついには甲子園出場という目標を達成させるのです。

「おはなし」としてのストーリーはともかく、内容はさすがです。原著のドラッカーの『マネジメント』を読んだことがないのでその原著からの忠実さというものは判断しかねますが、ストーリーの展開と共にドラッカーの含蓄に富んだ理論が順序立てられて、理解りやすく登場し、少なくともこれから宿の経営をはじめようという若輩者の心を鷲掴みにするには充分な内容でした。

それは例えばこんな感じです。

……『マネジメント』にこうあった。

  「顧客」によって事業は定義される。

するとみなみ(主人公のマネージャーの名前)は考えた。野球部にとっての「顧客」とは、一体誰なのか?……

一見素人には取っ付きにくく思われる経営理論を、それが大企業ばかりでなく、どんなに小さな企業でも適応し得ることを示すために、敢えてそれが営利目的ですらない甲子園出場を夢みた弱小野球部というトンデモナク経営学とは場違いな集団を持ち出して、そして理論の上でとはいえトンデモナイ目標を達成させてしまうのです。
これぞ経営(マネジメント)の面白さ!! と喝采を贈りたくなる本でした。

経営者の立場の人はもちろん、是非バイトで働いているマックのマネージャーにまで読んでもらいたい。(いや、べつにマックに限らなくてもいいんだけど^^;)
たかがバイトだと思ってナメるなかれ。この実践は、きっと君の人生の役に立つ。

腰を据えれば、半日もあれば読みきれるくらいの分量です。
電車内でパッとカバー絵だけ見られると恥ずかしい感じの本ではありますが、ブームになるだけの内容は備えてますよ♪

ありがとう、親父。

2010年11月12日金曜日

福岡近況

福岡は黄砂がすごいです!ふだんは間近にくっきる見える街の背後の山々が、今日はいったいどこへいったやら。薄ボンヤ〜リ……
さて。福岡の祖父母宅に来からこのかた、なんばしよったかというと、、、

実は、なんもしよらんとです(^_^;)ゞ

ノーパソは持ってきているけど、ネット環境が付近にないため各種調べものはできず。当然プリンターもないから案内ハガキ作りや名刺作りもできず。食材カタログとかないから、メニュー考えても原価計算がイマイチできないし。宿帳なんかは相方が来週福岡に来てからいっしょに作りたいし。
ぼくがこれまでにしたことと言えば、居候でも良いといってくれたスタッフを確保したことと、あとは余暇の時間に経営学の本を読んでいるくらいでしょうか。

でもその代わり、上記の宿の準備は持病の手術から退院した相方がズイズイ進めてくれています。HP作りにハガキ印刷、引っ越しや向こうでのインターネット環境整備のための調べごと。はては両家顔合わせのお店選びまで。
本当に、ぼくは電話で相談に乗るくらいで、申し訳ないくらい働いてもらっています。

ありがとう、こたろう君!「二人」って強いなって、改めて実感したよ。

まぁ宿関係はそんな感じではありますが、他方こちらはこちらで祖父の突然の入院なんかもあり、いちおうそれなりには役に立てているので良かったです。じいちゃんが入院しちゃうとばあちゃんは運転できないから、それだけでも田舎ではけっこう大変になってしまうんだよね。
そんな状況ですが、明日は天神で上映される「バンフ マウンテンフィルム フェスティバル」に行ってきます〜♪

2010年11月7日日曜日

でもいったん福岡へ

昨日は一年半ぶりのマック飲み。
参加人数は5人と多くはなくとも、一年半という時間の流れをほとんど感じさせないこの打ち解け具合というか仲間感というか。まるで先週までみんなで店にインしていたような錯覚に陥ってしまいます。それとも、ぼくらが年をとって時間の流れが早くなっただけなのか?
みんなで遊びにいったり飲み会したり、社員さんには内緒だったり(なにせみんなで遊んじゃったらバイトでインできるのがいなくなっちゃうからね)、逆に社員さんもいっしょに誘ってしまったり。店や仲間には本当に恵まれて愉しいマック生活を満喫していたものでした。

卒業からもう4年も経つとはね……

妙高の宿のことと結婚のことを報告して驚かそうと思ったら、きちんと先読みされていて、デジタルフォトフレームをプレゼントされてしまいました。あいやっ!
ありがとう!!みんなの写真も入れて玄関に飾っておきますので、みんなちゃんと妙高まで(泊まりに)きて確認してね♪笑

今日はこれから福岡へ。
二人して病気してしまった母方の祖父母んとこに行って、2週間ほどお手伝いをしてきます。本当は一刻でも早く引っ越し&妙高入りをしたいけど、いつまで生きててくれるかもわからんもんね。
料理や掃除を手伝いつつ、現地にいなくても出来る準備(案内ハガキや宿帳の作成、詳細料金の決定、食事内容の検討など)を進めながら、本格的に忙しくなる前の骨休めをしてこようと思います。

2010年11月5日金曜日

宿、はじめます

タイトルのとおり、今冬から妙高高原で宿をやることになりました。いわゆる「支配人」というやつです。

ホテル シルバーホーン
全15部屋(和室)、収容60人。赤倉観光リゾートスキー場のゲレンデと道路一本はさんだ向かい側、玄関からゴンドラ乗り場まで徒歩1分!

ことの発端は10月半ばにかかってきた、毎年冬に妙高でお世話になっているユアーズインのオーナーOさんからの電話でした。曰く「ゲレンデ前のホテルでご主人が急死されたとこがあって、牛ちゃん、やらないか?」
現在、新赤倉の観光協会長をやっているOさんは、残された奥さんから宿は潰したくないし、だれか跡を継いでくれそうなイイのはいないかと相談されて、すぐぼくのことを持ち出したらしいのです。
もう何年も宿泊業にたずさわっていて、スキーが好きで、連れがいて、若くて、しかも住所不定でふらふらしている……

ちょうど将来のことで悩むことの多かった26歳は、この話に飛びつきました。
来たっ!乗るしかない!!
それに乗るということは、冬前に買い替えようと前々から話していたカメラやスキーを諦めるどころか今シーズン滑ることすらほとんどままならない、さらには今冬が終わったあとに考えていたカナダ・アラスカ行きをも断念することでもあったけれど、不思議とぼくらはそれらを惜しげもなく捨て去ることができたのでした。
人生には、乗るべき波というものがたしかに存在するからです。

宿の準備は、スキー場がOPENする12月18日に営業を開始できるように急ピッチで進める予定です。
とはいっても、11月は病気をした福岡の祖父母宅に帰省らなくてはならないので、本格的な準備スタートは12月に入ってからになるでしょう。
宿の料金設定から朝晩の食事の内容、関係者への挨拶まわりとそのための名刺作り、昼の喫茶をどうするか、お手伝いさんは?引越しの日程は?考えるべきことがもう山のように、それこそ無限に、つぎつぎと湧いては埋もれていきます。

とりあえず、現段階でたしかなのは、以下の2点。
まずは12月のあたまに、妙高に移住するということ。
そして、そうしたら、これからぼくと一緒になって宿を創り上げていってくれる相方と結婚するとこ。
、、、といっても式やお披露目をしている暇はこれっぽちもないから、市役所で籍をいれるだけだけどね。

まずは三年。三年で将来への目処が立てられるように頑張ろう。
不安?ぼくにはワクワクのほうが大きいね。ぼくには信頼できる相方や頼もしい仲間がついている。

2010年10月31日日曜日

小屋閉め

いよいよ、小屋閉めの日がやって来ました。
昨日は季節外れの台風のおかげで、宿泊客は0。もとい宿泊ゼロどころか、朝から晩まで通りかかる登山者の姿すらまったく有りませんでした。

もう館内の掃除すべき箇所はすべて掃除され、小屋中のガラスというガラスはぴかぴかに磨きあげられて電灯の灯りを眩いばかりに反射しています。誰かに命ぜられるでもなく、ぼくらは全員ストーブの焚かれている受付に集まって、ただ銘々静かに読みかけの本を読み続けておりました。
午後の4時からは、もう今日は誰も来ないだろうと、本来なら小屋閉め当日に行う作業を前倒しで開始。小屋中のジュースやビール、おみやげ品などを段ボールに梱包し、越冬する食品には毛布を何重にも巻きつけて凍結防止。窓には雨戸を、玄関以外の扉にはシャッターまで下ろしてしまいました。

晩ご飯は支配人が腕を奮った小屋閉めパーティーの名に相応しい豪華料理!
それをワインをお伴にもう食えない!ってとこまで詰め込んで、尽きないバカ話と酒とともにいつまでも今シーズン最後の行者小屋の夜は続くのでした……

写真は、昨日の夕方、雨風は相変わらずながら急に外が明るくなったと思って出てみたら、なんと稜線のうえにアーチを掛けていた虹。
広い広い山の裾野の森のなかに、これを見ているのはぼくら小屋番しか居ないのだと思うと感慨もひとしおに、ただその色の彩やかさと鮮明さに、小屋番であったことへの感謝というか幸福感を改めて認識したのでした。

「ありがとう!また来年。」

2010年10月27日水曜日

−8℃

写真は今朝8時半の気温です。これでも、夜明け前の最低気温からは2℃上がってるんですよ(笑)

今朝は気温が一気に急降下!

今日は最高でも2、3℃。頂上山荘では陽に照らされた日中でも、最高が0℃を越えることはなかったようです。
断熱性がイマイチな従業員部屋は、もはやダウンとニット帽なしには寝られません。

残念なのは、それでもまだ雪が降らないこと。休憩時間に登った稜線からは、はっきりと雪のついた白馬岳や妙高山が望めました。
冬はもう確実にすぐそこ。ただもう一歩。ただもう一歩!

このままの気温で明日雨が降れば、間違いなく明日は雪景色でしょう。

雪! 雪!! 雪〜!!!

2010年10月25日月曜日

小屋閉め間近

気がつけば、いよいよ小屋閉めまで一週間を切りました。行者小屋は今週末、土曜日の宿泊をもって今年の営業を終了します。

先週は毎年恒例のアイスキャンディ建設。ぼくら鉱泉スタッフも、忙しいなか手伝いに来てくださるガイドさんたちも慣れてきたのか、年々かかる時間が短くなってきて今年は一日半でほぼ作業が終わってしまいました。
本当に毎年ガイドさんたちにはありがたさで頭が下がりますm(__)m
キャンディの写真2枚目は、完成後さっそくドライパートで遊んでみるガイドさん。

そして今週。今日は低気圧の影響で終日雨とガス。午前中は窓磨きやお勝手の拭き掃除をして、午後は受付でまったり留守番。暇つぶしに、おやつに食べた小豆キャラメルの銀包みで折り鶴を。
せっかくなので、尻尾を下に向け切れ込みをいれて、テーブルにセロテープで貼ってみました。

……んん?
なかなかイイじゃん。

ちょっとしたジオラマ風。
影がまたいかにも飛翔する鶴っぽくてナイス。
出てきた折り紙好きな支配人に見せたら、おぉっ!とひと声唸られて、お褒めのお言葉をいただきました(笑)

まぁ夕食のときには邪魔なので撤去してしまうのですが……

こんな感じで、残り5日!
水曜あたりは待望の雪も降りそうだし、最後まで頑張るぞー p(>_<)

2010年10月22日金曜日

フォトコンに入賞!

今日の午前中のこと。自室で休憩をしていたら、携帯電話に見知らぬ番号から着信が。
なんだろう?と出てみたら、なんと先日応募した「茅野市観光連盟・八ヶ岳観光協会主催 八ヶ岳フォトコンテスト」の入賞のお知らせでした!

しかも、三点応募したうちの、二点も!!

携帯からのブログupで写真を載せられないのは残念ですが、「月沈み阿弥陀昇る」がモンベル賞、「雲海の夢」が蓼科高原賞でした。
写真はともに仕事が終わった小屋の消灯後、地蔵尾根を登って二十三夜峰の岩峰の下でシュラフカバーでビバークしながら撮影したもので、「月沈み……」は月が西の地平線に沈んだ後の光芒に浮かび上がった阿弥陀岳と天の川を高感度・短時間露出で写したもの。そして「雲海の夢」は、低層の雲海が下から街の明かりに照らされて、光る雲海に周辺の山並みがシルエットに浮かび、いちばん奥には富士山の端正な裾野を広げた影を入れた低感度・長時間露出で写したものです。
タイトルは、前者は自分で、後者のはフォトコンに応募する際に支配人の中村さんにいただきました。

コンテストの入賞作品は、茅野市文化センター(ってドコにあるんだろう?)や蓼科のピラタスロープウェイ山頂駅でも掲載されるらしいので、万が一行くことがあれば、是非探してみてください(o~-')b
いちおう11月末には茅野で表彰式もあるらしく、是非出席してくれと言われたので、スケジュールも調整しないと。

入賞者には多少の賞金に副賞の賞品もいただけるらしいのですが、じつは応募に先立って候補作品を10枚ほど規定サイズ(四つ切り)で現像したら、一枚1400円もしたので、じつは経済的にはまったくの「赤字」なのはココダケのおはなし……笑

なんにせよ、フォトコンテストなるものでの入賞はもちろん、応募したのすら初めてのことだったので、このお知らせは嬉しい限りでした。
もっともっと、みんなを唸らせるような写真を撮ってやる!p(>_<)

入賞した写真も、11月に小屋閉めして帰宅したらupします〜

2010年10月17日日曜日

北八ツ縦走レポート

さてさて。前回の日記、具体的になにが起こったのかは、また後日改めてご報告させていただきましょう。
とりあえずは前回の休暇での北八ツ縦走の報告を。

12日
ピラタスロープウェイ〜北横岳ヒュッテ(0.5h)
下界はなかなか良い天気だが、山に登るとガスがかかっていて風も強い。地図では坪庭から北横岳ヒュッテまでは一時間とあるが、実感は鉱泉から中山乗越までといった感じで30分。北横ヒュッテの夕食は食べ放題(に近いたっぷりさ)の桜鍋。つまり馬肉のすき焼きで、それはそれは美味かった。満腹。
基本1人でやっているというオーナーの島立さんも、ポリシーを持って山に対峙し、山小屋を経営している素敵な方であった。

13日
ヒュッテ〜蓼科山〜大河原峠〜双子池〜雨池〜麦草峠〜高見石〜中山峠〜本沢温泉(10.5h)
この日は気合いのロングデー。島立さんに朝弁をつくってもらい、まだ未明の5時に出発。ヒュッテに泊まっていた青年が、山にこだまする犬とも人ともつかぬものの叫び声を気味悪げに訊いてきた。あれぞ彼の有名な「おくやまに もみじふみわけ なく鹿の」声である。この時期、鹿は伴侶を求めてか、すでに相手が見つかった歓びなのか、森中に響きわたる声量で「キャイィーン」と鳴く。
渇水で底を露にした亀甲池で弁当を食い、蓼科山の登りで朝日が昇る。
この日のハイライトは双子池の紅葉であった。噂どおりぶっきらぼうな双子池ヒュッテのご主人自慢の雄池・雌池は赤黄の木々を揺れる水面に写し、容易には離れがたき落ち着いた美しさを造り出していた。
期待していった雨池は、亀甲池同様水面が下がっていて紅葉もイマイチで残念。麦草峠には12時着。滝沢牧場のアイスクリームを食べ、水を補充して高見石に向かう。見晴らしの良い高見石では、学校登山の中学生たちがやたらとヤッホーヤッホー叫んでいて実に賑やかだった。
中山峠まで登った時点で1時半過ぎ。すでに9時間以上歩いてきた疲れに加え、これから天狗岳に登っても東天狗と西天狗を両方ゆっくり見てる時間的余裕もないので、みどり池経由で本沢温泉まで。3時半着。
この日の宿泊客はぼくだけだったので、食事は従業員の人たちと一緒にいただいた。長時間行動後の温泉は最高だ。湯船に浸かっていると、あまりの気持ちよさに気絶するんじゃないかと本気で怖くなって、ほどほどで上がっておいた。

14日
本沢温泉〜東・西天狗岳〜硫黄岳〜横岳〜赤岳〜行者小屋(8.0h?)
本沢を7時半発。白砂新道の稜線直下で、半日休暇で天狗に登りにいっていた本沢の女の子二人に追い付き、東天狗まで三人でブラブラとピクニック気分で歩く。稜線のコケモモももう終わりだ。
東天狗頂上で彼女らと別れたあと西天狗往復。北は昨日登った蓼科山が、南はこれから登る赤岳ははるかに霞んで見える。天狗を下りて、夏沢峠のやまびこ荘で小屋番の緒方さんとココアをいただきながらおしゃべり。宿泊客はおろか通行人すら稀で、ひたすら木彫りをしているが、それにも厭きてきたとか……
そこから硫黄岳に登り返せばあとはもう歩き慣れた道のりで、硫黄岳山荘でお昼をご馳走になり、赤岳天望荘でコーヒーやらおみやげをいただき、赤岳頂上山荘ではスタッフ手焼きのケーキまでいただいて、文三郎道を下ったらもう午後の3時半だった。
行動時間は8時間でも、実際に歩いていたのは半分くらいなものだったろう。

きれいな紅葉も見られたし、これまで行ったことのなかった小屋の人たちともいろいろお話ができて、じつに良い休暇であった。
写真は近日中にupできたらと思います。

2010年10月15日金曜日

ターニングポイント/分岐点

人生とは、何かを計画しているときに起こる別のこと。

(星野道夫の著作から。シリア・ハンターの言葉)

まったく、これだから人生ってのは面白い。
大抵その「別のこと」は唐突に現れて、受け流すか、受け入れるか、ひとは熟慮の暇もなく選択を迫られる。

自らのための一歩を踏み出した者に、神は次なる分かれ道を用意するのだ。答えは神のみぞ知る。ヒトはその答えを想像するしかない。そしてその想像に従ってヒトは新たな一歩を踏み出す。

しかし、運命は常に想像を上回る。
ぼくらはそのときになって知る。次なるステップに昇るために必要なヒトやモノに、すでに自分が出逢ってきたことに。この世のすべての出逢いは、必然となりうる可能性を秘めている。

ぼくはいま、武者震いがする。
眼前に現れた「壁」を見詰めて。ぼくがこれまでの人生で得てきた総てのチカラを使って越えるべき「壁」を見詰めて。

気力は充分だ。きっとやってみせる。

2010年10月12日火曜日

北ヤツ縦走

前半の暴風雨でのんびりだった連休も終わり、今日から明後日まで三日間の休暇。
東京に帰るのも往復で一日かかってしまうし、せっかくだから北八ヶ岳から赤岳まで縦走してみることにしました。

硫黄岳から黒百合までは大学時代に友人と縦走して以来。黒百合から麦草峠は高校3年のときで徒歩クラブの夏合宿で歩いて以来(つまり8年ぶり!?)。
そして麦草峠以北はなんと初めて!の道なのです。

もともと、熱心にあちこちの山を登ってみるよりも、ひとつの山or山域をじっくりと歩いてみるほうが性に合うのか、じつは言うほど山を知らないワタクシだったりします。

とりあえず今日はいったん美濃戸口からバスで茅野駅に出て、所用を済ませたら再びバスでピラタスロープウェーまで移動。軟弱に文明の利器に頼って山を上がり、一時間ほど登って北横岳ヒュッテに一泊。
明日はできれば蓼科山をピストンして、その後麦草峠を経て本沢温泉まで。
そして温泉でゆっくりしたら、翌日は歩き慣れた硫黄岳、横岳、赤岳と縦走して行者小屋まで戻る予定です。

まぁ天気も悪くは無さそうだし、初めての北ヤツ、楽しみだぁな♪

2010年10月7日木曜日

夢見心地のお昼寝時間

連休に向けてひとり40kg×2往復の歩荷。昼飯食べたら二時間ほどの休憩を貰えたので、日差しも暖かいことだし、自室の布団を屋根で干す。
そしてぼくは、読み途中の英国執事を主人公にした"The Remains of the Day"(Kazuo Ishiguro)と、お気に入りの音楽がぎっしり詰まったミュージックプレーヤーを持って、屋根の上の布団の上に横になる。

この時期、晴れた日はつねに日陰の屋内よりも陽光差す屋外のほうが暖かい。
夏だと直射日光が強すぎて屋根の上で寝ていると変な汗をかいてむしろグッタリしてしまう。また、これ以上遅い時期になると晴れていても冬の風に凍えて昼寝どころではない。
布団干しの上で寝る贅沢は、春と秋の晴れた日、太陽はほんのりと包むように暖かく、風は体温を奪わない程度のひんやりさのときに限られる。

太陽が眩しくて、本が数行しか読めないのはいつものことだ。イヤホンのなかで、甘ったるい声の女性シンガーが槇原敬之の『遠く遠く』をカバーしている。本を傍らに置いて軽く目を閉じ、心地のよい音に身をゆだねる。黒いフリース越しに陽の強さを感じる。

太陽が薄雲に隠れたな。肌がうすら寒い……
あぁ暖かくなった。また太陽が現れた……

風が、心地よい……

気がつけば、曲が一周したのかイヤホンの音楽は鳴り止んで、頭上には太陽を覆い隠すように入道雲が湧いている。
こうなると太陽はなかなか出てこなくなるし、運が悪いと夕立まで降りだす。

ぼくはさっさと布団をまとめて窓から部屋に放り込み、こうして夢見心地のお昼寝時間は終わるのである。

2010年10月6日水曜日

雪の報せ

昨日は夜中の星空山行に加え、日中はひさびさの一日休憩をもらえたので疲れた身体でふたたび稜線まで登る。
普段は遠くて遊びにいけない小屋までも顔を出そうと、稜線をいったりきたり、登っては下って、またそこ登り返す。

さんざ身体をいぢめて、ボロッボロになるまで疲れはてて、夜倒れ込むように布団に横になると笠ヶ岳の相方からメールが届いた。


「初雪!!!!」


抗いがたい眠りの世界に吸い込まれながら、ぼくの心は暖まる。
待ち焦がれていた季節の到来だ。

2010年10月5日火曜日

星空山行

夜の10時。60リットルのザックに、カメラ機材、防寒具、少々のおやつ、それにたっぷりのお湯を入れた湯タンポを無造作に突っ込んで小屋を出る。寒冷前線通過後の、満天の星空。

通いなれた地蔵尾根をヘッドライトの灯りで登る。夜の登山は、いかにその道に慣れているかがモノを言う。週にニ、三回は往復しているこの道に、不安はまったくない。足下を照らすわずかな明かりさえあれば、身体が自然と足を乗せるべき場所へと運んでゆく。

10時半、地蔵の頭。稜線上を赤岳山頂、天望荘方面とは逆の方向へ進む。
両側が切れ落ちた細い稜線上でフと立ち止まり、ヘッドライトの灯りを消すと、水平180度を超える視角で広がる秋の星空に南八ヶ岳の山々のシルエットが浮かびあがる。
あまりにもたくさんの星々。この世のものとは思えない美しさ。

前回やはり小屋の消灯後に上がってきてビバーク撮影した二十三夜峰から今日は少し進んで、日ノ岳の一枚岩の鎖場下でザックを下ろした。ちょうど恒常的に吹く強い西風からは隠れて、なおかつ地蔵の頭をはさんで常夜灯の点る天望荘や赤岳山頂山荘を望むことができる場所だ。
登りの汗が冷えないうちに、急いでウールの厚手のアンダーを着て、その上にTシャツ、ダウン、雨具と重ねる。もうこの時期は行者の標高でも朝は0℃に達する。稜線上なら氷点下は確実だ。頭も薄手の目出帽の上にニット帽をかぶる。

岩を巻きこんでくる風が、弱いが冷たい。三脚とカメラをセットして、スキーグローブをした不器用な指でシャッターを切る。

15秒、、、 30秒、、、
 5分、、、 15分、、、

今晩は眼下の雲がイマイチ。
東の空、オリオンが昇りつつある下で雷の稲光がときおり光るが、稲妻が見えることはなく積雲がオレンジ色に輝くだけだ。
しかし月のない、やや紫がかった漆黒の夜空に、オリオン座、牡牛座、スバルとまっすぐ天頂に伸びたラインがとくに星影濃く美しい。

日付がまわる0時頃まで撮影し下山開始。
できれば朝焼けまで居たかったが、5時50分の日の出時刻と仕事開始時刻の6時という時間を考えるとやむを得ない。それに十分に充電していなかったバッテリーも朝まではもたなそうだ。

ふたたびヘッドライトの灯りで慎重に地蔵尾根を下り、行者小屋着1時ちょい前。
先ほど稜線で見たときには東の地平線に昇りかけだったオリオンが、もう標高差400mある稜線の上に現れ始めている。星の動きは緩慢に見えて実は早い。

ぼくは広場のベンチに仰向けになり、流れ星を二つ見てから、今日という日に感謝して床についた。

2010年9月30日木曜日

ラストひと月

数日来、なんに対しても無感動な日々が続いている。

未読の本はたくさんあるのにぼくの目を捕らえるタイトルはなく、自分が好きなDVDも本棚に並んではいるがどれも億劫で開くには至らない。バイオリンはしばらく自室の片隅でケースに収まったきり、山を歩こうにも晴れた日は歩荷で、暇な日に限って霧と雨が山を渦巻いている。
アップテンポな曲は敬遠され、中学時代にずっと聴いていたglobeをリピートしたりする。

あまりに冬の到来を待ち焦がれて待ち焦がれつづけて、最近ようやくテンションが急上昇したことでむしろエンストしたのか?
それとも眼前に押し付けられつつある「将来の選択」からの現実逃避?
ただの疲れなら良いのだが……

このぼくの魂を感動で揺さぶり、且つ導いてくれるモノは、いまどこにいるのか。


小屋閉めまで、あとちょうど一ヶ月。

2010年9月27日月曜日

巳でに秋声

前回の更新から、随分と経ってしまいました。
台風12号以来、急に下がってしまった気温のせいで多少鼻水気味ではありますが、まぁまぁ元気です。

もうすっかり昔の話だけど、笠ヶ岳は無事に登頂できました。二泊三日の前半はなんとか晴れ間にも恵まれ、雲海の夕陽や槍穂高をシルエットにした星々の夜空も堪能させていただきました。相方も元気そうで良かった。

そして大学時代に所属していた農楽塾のメンバーの結婚御披露目パーティー。
彼女は(本人に怒られるの覚悟でいえば)良いとこ育ちのお嬢様で、卒業後も一流リゾート企業で働いていたけれど、その仕事は退職して大学時代から付き合っていた農業をしている彼氏に嫁いで北海道に行くそうです。
仕事を理由に会合の誘いを断りつづけていたぼくは、他のメンバーともずいぶん久しぶりに顔を合わせました。良くて一年半ぶり、人によっては在学中以来だから五年以上ぶりという人も。
新郎が手ずから育てた食材による料理が美味しいのも勿論ながら、これだけの友人たちを集められる彼女らの人望の厚さをこそ祝い、讃えるべき良きパーティーでした。
トシくんにエミちゃん、本当におめでとう!必ず北海道まで遊びに行くよ。


漢詩に、

未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉巳でに秋声

というのがありますが、まさにそんな感じでNZから帰国してというもの、春夏と夢でも見ていたかのような勢いで通り過ぎ、いま早くも山の木々は秋声に染まりつつあります。
今週か来週には八ヶ岳でも初雪か?最近は赤岳鉱泉においてあった『冬の八ヶ岳�』を観ながら冬に焦がれています。

一年ぶりの冬よ。冬よ、来い。

2010年9月13日月曜日

再び、笠ヶ岳へ

さてさて、相方こたろうは無事に黒部川源流部を巡る縦走から戻ってきて、ナニヤラ素敵な写真をupしているではないですか。いいなぁ、うらやましいなぁと思うぼくが、今週は休暇をもらってふたたびこたろうの働く笠ヶ岳山荘を目指そうとおもいます。

前回登ったときは折りしも梅雨明け直前の豪雨で、岐阜県内にも大雨・洪水警報が出ていたくらいのドシャ降りのなかを笠ヶ岳山荘に到着。けっきょく二泊三日したものの、その間一瞬たりとも雨混じりのガスと風が治まることはなく、小屋から徒歩10分(?)の笠ヶ岳に登頂するどころか、三日間小屋から一歩も屋外に出ることなく終わってしまったのでした……
学生時代からぼくは北アルプスに縁がないのか、北アは行くたびに嵐を経験しています。そしてそのことを笠ヶ岳山荘のひとに言ったらぼくは「相当の雨男」という印象を与えてしまったらしく、今回こたろう経由で「行きます」と言ったら、彼女は「その日はヘリの予定が入ってるから、別の日にしてもらえない?」と返されたそうな。笑
いまのところはそんなに天気予報は悪くなさそうだけど、、、さてはて、どうなることやら(^^;)

今回こそは、笠ヶ岳登頂したいなぁ。

2010年9月7日火曜日

台風直撃

明日は台風が直撃の八ヶ岳です。

山での影響はすでに昨晩から現れており、休暇下りで行者に立ち寄っていった頂上山荘のスタッフによると、稜線部では今朝からすでにかなりの強風となっていたそうです。
ぼくも午後の休憩中に稜線まで登ってみましたが、登山に慣れていない人だと少し恐怖を感じるであろう、明日さらに強くなればもう立った状態では一歩も動けない(いや、むしろ立っていられない)ような感じになるでしょう。

こんな日は、八ヶ岳に限らず、海や山には近づかないのがベスト。
せっかく何日も前から予定していたからといって無理しても、結局暴風雨のなか小屋から一歩も外に出られずに、下手したら下山することすら出来なくなってしまうのがオチですよー


というわけで、、、今週がシーズン中唯一の休暇で、双六・雲の平方面にテント泊縦走すると言っていた相方のこたろうは大丈夫だろか?
山でもスキーでも「転ぶときは前のめり」な性格をしているだけに心配だぃね(--;)

2010年9月5日日曜日

9月5日あたりのこと

9月5日
Cardrona練習最終日。Biffさんにいきなり初心者レッスンを任されワタワタ。やはりスムーズな英語レッスンにはほど遠い。
明日はMt.Cook面接。

(ニュージーランド日記帳より)

あれからもう一年も経ってしまったのかと思う。
BiffさんとはCardronaのスキー場でテレマークスキーのインストラクターをしている人で、カナダや欧州とNZをいったり来たりでアルペンスキーは30余年、テレマークは25年、スノーボードが15年、「全部足したら自分の年齢をゆうに超えるよ」と髭面でわらう飄々とした五十過ぎのナイスガイだった。
日本でもNZでも、きちんとスキーレッスンを受けたことのなかったぼくは、インストラクター試験に向けて実際のレッスンがどのように行われているかを知るために、週末毎にBiffさんのいるCardronaに足を運んでいたのである。
その数回で得た知識やノウハウや英語での言い回しは、実際大いに試験の場で活躍してくれた。

しかしこのときぼくは、翌日にMt.Cookのガイドに採用されるための面接を、その翌日からは5日間にわたるNZSIAのイントラ試験を控えて、ずいぶんと緊張をしていたことだろう。
いや、正直にいうと、そのときのぼくはほとんどイントラ試験のことしか頭になかった。とにかく妙高とNZとで通年で滑ったからには(そして海外にまで出てきたからには)、なにか目に見える成果を持って帰らなくてはと焦っていたと思う。
Mt.Cookの面接は、当時ぼくらが住んでいたQueenstownから片道3時間レンタカーを走らせたものの、車を借りる以外の下準備などは何もせずにぶっつけ本番で挑んでしまった。面接自体は1時間ちょい。マクドナルドでバイトしていたときの話や山小屋の話をしたのは覚えているが、面接が終わったらまたすぐ出発し、その日のうちにイントラ試験が行われるスキー場のベースであるWanakaまで移動しておくという過密スケジュールだった。

そんな面接でも、幸運なことにぼくは競争率の高い審査を通過し、翌月10月から晴れてMt.Cook村の住民になった。あれが合格ってなければ、ぼくらのNZの夏はずいぶんと違うものになっていただろう。もしかしたら、翌年の4月までNZに滞在していることすら出来なかったかもしれない。
そうしたら、夏に出会ったMt.Cookの人々やGolden Bayの人々とも知り合わなかったわけで、ぼくらの旅の内容はかなり薄貧なものになっていたに違いない。

ニュージーランドでお世話になった皆々さんに、「相変わらず山で元気にやっています」と便りを出したい出したいと思いつつ、終らぬ夏の忙しさにかまけてなかなか手紙を書けずにいる。
次に休暇で街に下りれるのは再来週。その後は10月どこかで一回休暇があって、10月末には小屋閉めだ。

日本では夏が終わり、ニュージーランドではまた夏が始まる。

2010年8月26日木曜日

リニューアルお釜くん

前回の記事のパンダ手拭い。笠ヶ岳で働いている相方のこたろうにも「かわい〜!いーなー。あたしも欲しい!!」と言われました。
フフン、いいでしょう? でもあげないよ( ̄ー+ ̄)ニヤリ

ここ数日は珍しく宿泊者数が10人を切るような静かな日々が続いています、行者小屋です。そして静かになれば、忙しい時期には手が回らなかったとこにも目が行くもの。
写真は行者小屋のお釜くん。一度に60人分(6升)の米が炊けるスゴいヤツなんですが、夏のあいだは両隣のガス台で揚げ物をされるために、夏終わりになると写真のような見るからに「疲れきった」顔になってしまうのです。

前回の顔(岡○太郎風)も、PEAKS取材当日に急いで描いたやっつけ仕事とはいえ、やはり自分デザインのお釜くんが腐乱死体のような表情になっているのは見るに忍ばず。店番中、手が空いた時間に汚れの拭き上げと顔のリニューアルをしてあげました。

彼の顔は、たいていはそのとき小屋で流行っているマンガから採られることが多く、過去には「響子さん(めぞん一刻)」や「かわうそくん(吉田戦車)」などがありましたが、今回は山のマンガと言ったらコレっ!『岳』でお馴染み「野田チーフ」に来てもらいました♪

この写真に写っていない裏側では「要救を発見!至急米を炊く!!」と台詞入りで、今回は特に炊く気に溢れているイイ感じに仕上がりました(って自画自賛。笑)

年に1〜2人は写真を撮っていってもいいですかと訊いてくる人もいる、本当にコアな行者ファンのみぞその存在を知るお釜くん。
実物をご覧になりたい方が(もし)いたら、是非行者小屋までw

2010年8月24日火曜日

秋はすぐそこ

数日前から、パンダの手拭いを頭に巻いて受付に入っているのですが、突然女性から(しかも若い)声をかけられる率が上がりました。

今週から、赤岳鉱泉から行者小屋に異動してきたコバちゃんにいただいた手拭いなんですが、この数日だけで「その手拭いステキですね」と声をかけられた回数は両手に余るほど。

モテ期か? もといモテアイテム??
東京のどこぞのデパートの和雑貨屋で購入したらしいです。気になる方は探してみては?

さて、山は夏の花も終盤にさしかかり、現在稜線ではトウヤクリンドウ、樹林帯ではアキノキリンソウ、ホタルブクロ、トリカブトなどが見頃です。
今日は歩荷中に、長野県絶滅危惧種に指定されているオノエリンドウ(だと思うんだけど……確証なし笑)を発見!先週わざわざこの花を探すためだけに、休憩時間を使ってめったに人の入らない沢を歩いたりしたのに……案外こんなに身近な場所に咲いてるなんてね(^^;)

花が落ちれば、山の秋はすぐそこ。

朝晩の冷え込みだって、日によっては5℃近くまで下がることも。
9月も後半になれば最低は氷点下を下回って水面は薄氷を貼り、10月になれば初冠雪の報せもあっという間。今年の行者小屋は10月末日での小屋閉めらしいので、今シーズン残すところもあと二ヶ月ですね。

いまはUnparalleledのDVDを眺めては、一年ぶりの冬に向けてイメトレをする毎日です。

2010年8月15日日曜日

夏半ば

ふぅ……
夏も後半に入り、だいぶ疲れが溜まってきた今日このごろ。

ことにこの1週間ほどはいろんな出来事が重なって、夜が遅かったり、支配人が鉱泉に出張しているあいだ週末の運営を任されたり、そんなときに電気水道トラブルが起こったりで、疲れと緊張で皿を洗いながらフラフラしています(-o-;)

こんな中、大学のワンゲル同期だった友人がお盆休みに二泊三日で遊びにきてくれました!
こんな仕事をしていると、週末連休が最たる稼ぎ時であるがために、昔の友だち連中と会う機会は稀になります。仕方のないことと諦めつつも、大学時代のワンゲルやサークルの同窓会の案内を聞くといつも残念でなりません。まさに槇原敬之の『遠く遠く』ですよ。

♪♪同窓会の案内状 欠席に丸をつけた
誰よりもいまはみんなの顔 見たい気持ちでいるけど
遠く遠く離れていても ぼくのことがわかるように
力いっぱい輝ける日を この町で迎えたい♪♪

離れるほどに強く感じる人と人のつながりってのがありますよね?
そういう友人が遠路はるばる山を登って訪ねてきてくれるというのは、本当に幸せな(「贅沢な」と言ったら日本語が間違っている?)人間関係だなと、感謝の念に言葉もありません。

でもありがとう。O崎くん。
スイカとコーラ(1.5リットル)を持ってきてもらった上に、洗い物まで手伝ってもらっちゃって。

明日まで頑張れば、火曜日から金曜日まではひさびさの休暇。
今回はいつもより日数が短いのもあって、八ヶ岳の主稜線を南に縦走し、仲の良いキレット小屋で一泊、翌日は1時間だけ歩いて権現小屋、木曜日は編笠山から小淵沢に下山し、温泉とリゾナーレによって、原村の「星空の映画祭」を観て、翌金曜日に小屋上がりという「山・街満喫プラン」で行ってこようと思ってます。

火〜木、晴れろ!!

2010年8月2日月曜日

センダイムシクイのピー助

先週のことですが、歩荷中になんの種類か、野鳥の雛を拾いました。

場所は赤岳鉱泉から行者小屋に向かう途中にある中山乗越のつづら折れ。なにやら音がすると思いフと足下を見てみると、まだまだゴルフボール大の小鳥が羽をバタバタさせながら登山道上を転げ回っているではないですか。
あっけに取られて歩荷の荷物の重さも忘れて見ていると、どこかケガでもしているのか、羽をバタつかせるばかりで飛べない様子。幅の狭い登山道のこととて、そのままにしておいても登山靴に踏まれるか 、そうでなくともキツネあたりに喰われてしまうのは目に見えており、ぼくは思わずハチマキにしていた手拭いをほどいてその小鳥を拾い上げていたのです。
間近で見てみると、オリーブ色の羽毛は生えているもののまだ密生というほどではなく、足もケガをしていて立てないというよりも、まだ足腰がしっかりしていないようで、誤って巣から転落してしまったようでした。

手拭いの上に乗せたまま行者まで持ちかえると、子どもも大人も大興奮!とりあえず彼(彼女?)を「ピー助」と呼ぶことにし、子どもたちが菓子箱に草を敷き詰めて巣箱をつくっているあいだに図鑑をめくってみると、どうやらセンダイムシクイの雛であることが判明しました。
彼を巣箱に移すと、次なる問題は食べもの。スプーンで水や温めた牛乳を差し出すのからはじまり、米粒や水でふやかしたタマゴボーロ、成鳥のムシクイに倣って羽虫やイモ虫もそのままや潰したやつと色々試してみたのですが、結局彼が口にしたのは水と牛乳のみ。よく鳥の雛にはピンセットやスポイトで餌を与えているイメージがあるけど、あれにもなにかコツのようなものがあるんですかね?

子どもたちも餌を食べないピー助を心配しつつも、巣から落ちたショックといきなり人間に囲まれた恐怖で動転しているのではないかと、ときどき誰かがチェックをしながら、とりあえず巣箱ごと静かな場所に移して落ち着かせることに。

が、客飯作り中、支配人の奥さんがゆで卵の黄身をすりつぶしたものをあげてみようと行ってみたところ、目を閉じて静かに息を引き取っていたのを発見したのでした。

野鳥の雛が巣から落ちたら、もう永くは生きられないというのは自然の摂理であり、そんなことは重々承知で拾ってきたはず。
それでも必死に生きようと羽を不自由ながらにバタバタさせたり、スプーンの牛乳を啜ったりしていた姿をみてしまうと、このわずか数時間のみの邂逅でも、その死が(悲しくとまではいかなくとも)残念で仕方ありません。

ピー助の死を知らされた5歳と2歳の子どもたちは、死が、もう二度と目覚めの訪れない眠りであることを知り、5歳の子は「じゃあなんで『生き返る』って言葉があるの?」と父親の支配人に尋ねたそうです。
その話を支配人から聞いて、彼を連れ帰ってきたのはぼくという人間のエゴだったのだろうかという心の重荷がすこし軽くなった気がしました。

申し訳程度に石を積んだだけのピー助の墓は、行者小屋をすぐ脇の砂利斜面の上から見守っているお地蔵様の隣にあります。

2010年7月29日木曜日

稜線散歩

……先日の日記ではあんなことを書いておきながら、やっぱり昨日も行ってしまいました。稜線散歩。

昨日は歩荷もなく、日中もさほど混まなそうだったため、9時半から15時までの長休憩。
どこにも出ずにゆっくりするぞ!という反面、こんなに天気もいいし、ここ最近横岳縦走もしてないし、なによりもいつものペースなら余裕で昼過ぎには戻ってきて残り2時間はゆっくりできるという打算もあったところに、支配人の奥さんからの一言が背中を後押し。

「かなり珍しいんだけど、ヒナリンドウって花の写真を撮ってこれたら八ヶ岳農場アイスクリームおごってあげるよー♪」

この八ヶ岳農場のアイスクリーム、本当はお客さんに販売するように上がってるんですが、本当に美味いんですよ!
ぼくはカメラとレンズ、それにヒナリンドウの写真が載っている花図鑑の3点をいれたウエストポーチを肩がけにして、意気揚々と小屋を出発。

この時期の稜線はピークは過ぎたとはいえ、まだまだ十分に花盛り。ダイコンソウやイワオウギ、イブキジャコウソウ、ムシトリスミレ、そして特に硫黄岳山荘周辺のコマクサの大群落は見事です。
しかしどんなに注意深く周囲に気を配りながら歩いても、お目当てのヒナリンドウは見つからず。広い稜線は最初に右側を歩いて、また戻ってこんどは左側を歩くという念の入れようだったのですが。

そしたらなんと「あ、ゴメン。あれは7月じゃなくて、6月の下旬だった(^^;)」 とな。

がくーん↓↓↓↓

ですよ、もう。

しかし、昨日は嬉しいことも待ってました。なんと、半年前にぼくがNZのマウントクックでガイドしたお客さんがテント泊でいらしてたんですね。
聞けば、そのときのNZ旅行が楽しかったので、また今年の年末年始も行ってきます、とのこと。潮の加減で違うルートを歩くこともあるコースと仰っていたので、ぼくらも歩いたエイベル・タズマン国立公園かもなぁなんて当時のことを思い出したりして、ひさびさにNZの空気を吸った気分でした。

NZを気に入ってまた行くんですなんて話を聞くと、なんだかNZを好きになってくれて嬉しいような、また一年後に行けるのが羨ましいような、むず痒い気分ですね(笑)
ぼくもまたNZに行きたいよぉ〜。

2010年7月27日火曜日

夏の或る一週間

毎日暑い日が続きますね。皆さん体調はいかがでしょうか。山ではここ数日、日中はカーッと暑く、夕方になると激しい雷と共に夕立が降るというサイクルが続いています。
ところで昨日は土用の丑の日でしたが、皆さんは鰻は食べましたか?

ここは標高2340mの山の中。本当は美味しいお魚が食べたいなんて贅沢は口にも出せない場所ですが、昨日は社長が気をきかせて人数分の鰻を上げてくれたのでした!
鰻自体は中国産でしたが、なんでも「岡谷市観光協会推奨品」(たれは岡谷市特産のものでも使っているのかな?)とかいう一人前が三千円ちかくする代物でしたよ。社長の心意気に感謝しつつ、午前中の歩荷後、昼食として美味しく頂きましたm(__)m

海の日からの1週間は、いまにして思えばずいぶん頑張ったものです。

連休……前述のとおりの記録的受付&喫茶ラッシュ
火曜日……骨休みしようと午後いっぱいの半日休憩を貰えたので、ここぞとばかり文三郎登りでキレット小屋経由の権現岳往復、復路は赤岳越えて地蔵下り(所要約4時間半)
水曜日……歩荷(食材の荷上げ)
木曜日……歩荷
金曜日……歩荷。昼食後休憩(昼寝)をしていたら急遽社長に呼び出され、学校登山の入っている赤岳鉱泉で怒濤の客飯180人お手伝い
土曜日……鉱泉掃除を少し手伝ったあと行者に戻り、午後は受付&生ビールラッシュ!ジョッキが無くなっても生の注文が途切れない。団体さん多し
日曜日……前日行者泊したツアー登山の団体24名を引き連れて、朝から赤岳&阿弥陀岳ガイド
昨日月曜日……歩荷。午後の休憩中、稜線の花の撮影のため中岳道登りの赤岳越えて地蔵下り
今日火曜日……歩荷

お仕事で山を歩けるのは、仕事でずっと小屋に閉じ込められているよりかはもちろんずっと嬉しいのですが、さすがにそれが連日となると身体が堪えます。
それでも天気のよい日に休憩を貰えると、身体の疲れも後先も何も考えずに山に登ってしまうのが山好きの悲しい性というもの。

聞けば明日は歩荷無しということだから、明日こそはドコニモイカズにゆっくりするぞ〜!\(--;)

2010年7月18日日曜日

276

梅雨明けと同時に3連休。一般的に梅雨明け十日は天気が安定して良いと言われますが、初日の昨日も多少稜線がガスったりもしたものの、全体的には「いま来ないでいつ登るの!?」といった登山日和となっております。

ことに今年は「テント泊ブーム」でもきているのか、毎週週末ともなればテン場は例年にない大賑わい。
なんと昨夜のテン泊者数は歴代ダントツ1位となる267人!!!! これまでの記録が190人だったのを考えれば、いきなり1.5倍。

もう通常のテン場の範囲は昼過ぎにはテントでいっぱいになり、木々のすき間に見える森の奥にまで赤や黄色や黄緑色のテントが見え隠れし、小屋前の広場はさながら各社テントの展示会のような有り様です。
夏の忙しい日はそれぞれ売店や客飯仕込みなどの「持ち場」を終日担当することになるのですが、例年ぼくの担当はテン場・宿泊の受付と昼食喫茶の一部。しかし昨日今日はテン場受付の件数があまりにも多く、ほかの喫茶メニューには手がまわりかねるような忙しさでした。

そして連休中日の今日も、昨日ほど数字は伸びませんでしたが、199人という歴代2位の記録に。昨日連泊の受付をしていて今日は受付なしの人たちも含めれば実際は220人くらいだったのではないかと思われます。そのかわりというか、今日は上から下りてきたお客さんと下から登ってきたお客さんとで小屋前がゴッタ返し、喫茶や生ビールなどによる売店の売上がこれまた歴代最高額の記録となりました。

とりあえず明日の昼までなんとかこなせば、ホッと一息。
明日は今日ほどの受付もないだろうから、御案内の喋りすぎでガラガラになりそうなこのノドも多少は休めるといいのですが……(^_^;)

2010年7月16日金曜日

笠ヶ岳山荘へ

7月12日 新穂高~わさび平小屋(1時間)

早朝に長野を出発し、松本で平湯温泉バスターミナルまでのバスに乗り換える。平湯温泉は豪雨。梅雨時期の登山に雨は付き物とさして気にもせずに新穂高温泉行きの路線バスに乗るも、到着してみたらそこの観光案内所のおばちゃんに「いま大雨洪水警報が出てるから今回は諦めなさいよ」と諭される。
本当はわさび平から小池新道を登って鏡平山荘まで行こうと思っていたが、予定を変更し、今日は林道途中にあるわさび平小屋まで行き翌日笠新道を登って笠ヶ岳山荘に向かうことにする。わさび平小屋の手前に、今回の大雨で林道上の斜面が崩落している箇所があるが、歩いて通過するぶんには問題なし。
わさび平小屋は快適な風呂もありご飯もまぁまぁ、びしょ濡れになった雨具なども強力な乾燥室で完璧に乾き、なかなか良い小屋だった。一泊二食8000円。

7月13日 わさび平小屋~笠新道~笠ヶ岳山荘(5時間30分)

朝食を5時半に用意してもらい、準備ができたら前日の林道を10分ほど戻り笠新道入り口へ。明け方はいったん止んでいた雨がまた降り出しているが、暖かいので雨具は下のみ、上はTシャツ。
樹林帯の急登をひたすら登る。雨は弱まるどころかますます強く、休憩ごとに手拭いとTシャツをバケツ内の雑巾のように絞る。1800m付近の岩屋が雨宿りに最適でナイス。杓子平まで3時間半。杓子平から稜線までのあいだはまだ残雪が残っており、稜線直下は30mほどだが雪の急斜面をアイゼン・ピッケルで直登する。4本刃じゃなくて12本を持っていって本当に良かった。さすがは(?)北アルプス。八ヶ岳とそこまで標高は変わらないのに、残雪の量はケタ違いだ。こたろう、ナイスアドバイスをありがとう。杓子平から上は、さすがに風が強いので上もアンダーと雨具を着る。周囲は雨とガスでまったく展望がきかないが、雄の雷鳥を一羽だけ見た。
12時ちょうど、相方の働く笠ヶ岳山荘着。濡れたものを乾燥室に掛けおき、昼食に笠ヶ岳自慢の(?)「播隆ラーメン」をご馳走になる。旨い。冷えた身体に最高だ。その後も、食堂にある薪ストーブのまわりで他の小屋番さんたちとおしゃべりしながら過ごす。ほかにお客さんもいなかったため、ウチ飯を一緒にいただく。マヨネーズスープ、鶏皮炒め。

7月14日 笠ヶ岳山荘もう一泊

天候の変化はまったくなし。終日驟雨とガスが渦巻くので、歩いて10分の笠ヶ岳山頂にも行かず(むしろ一歩も外に出ず)まったりして過ごす。こたろうとバラの折り紙を折ったり、スラックラインを張って綱渡りしてみたり、暖かいストーブ周りでごろごろマンガ読んだり。この小屋はじつにマンガがよく揃っている。これならどんなに暇でも飽きることはないだろう。しかしぼくが持っていったお土産書物のなかでもっとも人気を博したのは『岳』最新刊でも『もやしもん』最新刊でもなく、例の行者小屋特集が載った『PEAKS』であった。やはりカラーページが多いのと、取り上げるファッションが若者向きなのとで好印象を抱くのであろう。
この日も客はおらず。夕食は鳥の軟骨炒め、カボチャサラダ、アジの干物など。

7月15日 笠ヶ岳~笠新道~新穂高(3時間45分)

今日もまったく同じ天気がつづく。もう今回の滞在では山頂は諦め。
朝食後パッキングをし、こたろうや小屋の皆さんに見送られてふたたび雨のなかへ。下りは笠新道を4時間とみていたが、実際は笠新道入り口まで3時間。さらに林道を1時間弱だった。

けっきょく今回の滞在では槍穂高どころか小屋からわずかの笠ヶ岳すら見ることができなかったが、もともと目的は笠ヶ岳山荘で「まったり」することだったからまぁ良しということで。なんたって休暇中だもんね♪
ひさびさにこたろうとも会えたし、小屋も若オーナーさんの下和気藹々としたじつに良い雰囲気だったのでむしろ羨ましく感じるくらいであった。

9月の休暇にでも、また来よう。

2010年7月9日金曜日

7月休暇

わーい!\(^o^)/

明後日日曜日からは1ヶ月ぶりの休暇です。前回の休暇から数えて、ちょうど30日。
夏になれば一ヶ月以上山にいるのが当たり前とはいえ、やはりこのくらいの長さになると自分に「よく頑張った!」と言ってあげたい気分になります。ことに先週今週は、本格的なシーズンインに向けて週の半分は歩荷(食材などの荷上げ)という肉体労働週間だったので、肉体的にも精神的にもホッと一息な感じです。

休暇中は例によって東京には帰らずに、相方こたろう君の働いている北アルプス笠ヶ岳山荘に行ってみようと思っています。
もともと北アルプス自体積極的に歩きにいく山域ではないので、おそらくこんな機会でもないかぎり、主稜線から一本外れた笠ヶ岳に登るチャンス(というか登ろうと思うこと)はないでしょう。来週はずっと天候がイマイチそうだけど……チラッとでも槍穂高が見れたらいいなぁ☆

今年はイタリア人も入って例年よりも従業員数が多いため、もしかしたら8月にも休暇があるかもだけれど、とりあえずこれが夏前最後のお休みだと思って、ちがう山域・ちがう山小屋の雰囲気を満喫してきたいと思います。

晴れますよーにっ!

2010年7月1日木曜日

公用語English

さてさて。ついに7月がやって参りました。連休から始まるであろう(いや始まってくれ)夏最盛期ももう目の前です。

行者小屋も昨日から従業員が増え、従業員4人体制に。支配人の家族も数えれば、全部で7人の大所帯となりました。
食事ともなれば、もともとさして広くはない受付のテーブルにどうにか全員スペースを作って、大人5人幼児2人の席とお皿を配置するだけでもひと仕事です。

しかし何よりも大変(?)なのが、小屋内の公用語が英語になったこと。実は昨日入ってきた従業員のひとりが、日本語まだまだ勉強中のイタリア人なんですね!
幸い山小屋稼業なんてのは旅好きな面々が集まるものだから、みんな多少なりとも英語が喋れるので、(日本人同士では日本語ですが)そのイタリア人の彼もいっしょの場ではついつい英語での会話がメインになってしまうのです。
お客さんにとっては不思議な光景だろうなぁと思っていたら、さっそく今日食後に「……ところで皆さんは何語で喋ってらっしゃるの?」と訊かれてしまいました(^_^;)

でも今朝テレビのニュースを見ていたら、楽天も近いうちに社内の公用語を英語のみにするとかしないとか。
実は時代の最先端……なんですかね?笑

今年も愉快な夏になりそうな行者小屋なのでした。

2010年6月22日火曜日

『南極越冬記』

NHKのニュースで、昨日は夏至だったことを知る。
一年でもっとも太陽の出ている時間が長い一日でありながら、八ヶ岳は梅雨入り以来、くもりやガス(山霧)をベースに雨が降ったりときたま晴れ間が覗いたりといったお天気が続いており、夏至の昨日もまた御多分にもれず小屋のすぐ目の前にあるはずの主稜線は、透けそうで透けない乳白色のヴェールに包まれたままだった。

ぼくはストーブを焚いた小屋の受付で、西堀栄三郎氏の『南極越冬記』(岩波新書)を読む。前回の休暇中、長野市の平安堂4階の古書コーナーで見つけた一冊だ。100円也。
西堀栄三郎氏は第一次南極観測隊副隊長と越冬隊隊長を勤めた人であり、ぼくはその名前と役職を植村直己の『北極圏一万二千キロ』という本の冒頭に初めて知った。西堀氏はその序文に「探検とはどういうものか、探検家とはどうあるべきか」ということを書いている。

その西堀氏の南極越冬は、名目は国際的な南極観測(国際地球観測年)への参加のための下見にあったが、その実際はそれまで日本人では前例のなかった南極での越冬を、それが可能なのか不可能なのか、どうしたらそれが技術的に可能となるのかを自らの身をもって「試す」という、失敗の場合は生命すら保証されない多分に実験的要素を含むものだった。
「日本を出発するまえ、探検か観測かという議論があったが(中略)、現在の南極で探検的要素をふくまない観測などはあり得ない。条件は未知なのである」と彼は書いたあとに、それを成し遂げるための心得として「最悪の場合を考えて準備し、その上にうまくいったときの準備を積み上げる」と説いた。そしてまた、「そうでなければ、最上の条件だけをあてにするという大変な冒険をおかすことになる」とも。

この本には、隊の越冬の様子はもちろんだが、同時に彼が南極の越冬隊を率いる上で生じた他の隊員や本国の役人らとの意識の相違による悩み、ジレンマ、不満なども随所に書かれている。
余暇の時間はマージャンに熱中し、科学的観測や未開拓地の調査に興味を示さない隊員たちの覇気のなさ。机上の理論だけで南極という土地を計ろうとする学者や役人たちの無理解さとあたまの固さ。西堀氏は常にこれらと闘いながら、現在にまで至る南極観測隊の基礎を作っていったのである。
ぼくがこの本を読んでまず驚いたのが、全員無事越冬を果たして帰還したという華々しい結果の裏側に、これほどまでの葛藤や問題が隊の内部に存在していたということだった。

植村直己の北極圏犬ぞり旅行は第一次南極越冬隊の17年後の1974年。
『一万二千キロ』の序文を「読者諸賢においては、未知なるものに挑む一人の探検家の行為の裡に、その人間性を読みとっていただきたいと私は願っている」と締めくくった西堀栄三郎氏の、その探検家としての自身の熱い記録が、この本にははっきりと刻まれている。

2010年6月17日木曜日

山雑誌『PEAKS』に載りました

おひさしぶりです。
はい。タイトルのとおり、6月15日発売の山雑誌『PEAKS』に、ぼくが働いている行者小屋の特集が載りました。

たまたま取材が支配人一家が休暇で下山していた週だったために、ふだんの支配人のファミリー小屋ではなく、あたかも唯一の小屋番だったうっしー小屋のように書かれております。
、、、というか、なんだか思った以上にぼく個人が掘り下げられていて、若干恥ずいッス(〃-〃)

まさか、あんなことまで書かれてしまうなんてっ!!

てなことは冷静に無視(スルー)していただくとしても、小屋に関しては本当に(まぁ個人的なことも嘘ではないですが)ワレワレ行者スタッフ一同が胸を張ってオススメしたいことばかりなので、皆さん是非全国の本屋さんで手にとって(そして買って)みてくださいね♪
文章は旅作家・バックパッカーとして有名なシェルパ斉藤さん、そしてイラストレーターの神田めぐみさんが腕を奮って描写してくださった行者小屋解剖図も一見の価値ある力作です☆

そして皆さんのご来場を、心よりお待ちしておりまーす(^-^)/

2010年6月10日木曜日

妙高高原と戸隠山へ

月曜日に地元の熊谷からでてきた相方こたろうと長野で合流。
先に長野に到着してこたろうを待っていたら、駅前の交差点でばったりザックを背負った元赤岳鉱泉従業員のAくんと出会い驚き。聞けばこれから友人たちと戸隠山に行くとか。

合流後、ぶらりと善光寺参りをし、夕方妙高高原へ。毎年冬にお世話になっている赤倉ユアーズ・インに荷物を下ろす。ここのオーナーが妙高バックカントリースキースクールも経営しており、ぼくは毎年冬になるとこのスクールで生徒さんにテレマークを教えたり、週末のバックカントリーツアーでサポートをしたり、宿のお手伝いをしたりして暮らしている。
このご主人は「妙高自然ソムリエ」という肩書きも持っている方で、夏は(ペンション経営はもちろん)妙高や黒姫周辺の登山ガイドとして活躍されている。もともと神奈川大学山岳部の出身で、山岳部のセブンサミッツの一環でマッキンリーにも登頂し、エベレストの遠征にも参加した御仁である。(エベレストは隊としては登頂するも、自身は7000mまで)

夕食では家族の皆さんとニュージーランドの報告やエベレストのお話を聴いたりして、最後は自慢の温泉に浸かる。ぼくらがいないあいだに改装されていたお風呂はより綺麗になっており、何ヵ月ぶりか知らぬ熱々の温泉に身も心も蕩けそうだった。

翌日はご主人に、今度お客さんをつれて戸隠山を案内しないといけないんだけどいっしょに下見に行かないかと誘われて、もちろんそそくさと山準備。サブザックのないぼくは、空気を抜いてコンプレッションできる防水スタッフバックに雨具や水を入れ、それにテープスリングを通してバックパックのように背負えるように工夫した。

ぼくも相方も初めての戸隠山は戸隠神社の奥社から、登山届けを提出して入山。
最初は新緑が瑞々しい山の斜面を急登。道は次第に鎖場の連続となり、稜線でてからの蟻の塔渡り(戸渡り)なんかは噂に違わぬ高度感で、迫力満点な岩の痩せ尾根であった。
あそこを中高年のお客さんを8人も連れて登るのは大変だろうなぁ……

前日長野で遇って戸隠へ行くといっていたA君らは、ぼくらより前のほうを歩いていたのが見えて何度か大声で叫んでみるも通じず、途中からは違う方面へ下ってしまったので、二度目の邂逅はならず。
彼らは来年のいまごろ、アラスカに飛んでマッキンリーをノーマルルートから登るつもりらしいので、是非頑張ってもらいたい。

山頂からは樹林のみちを氷清水の沢筋に沿って、戸隠牧場のほうへ下りる。下りきったところで美味しい戸隠そばと曲がり竹の汁物をいただいて、車道を半時間ほどでスタート地点の奥社駐車場に戻ってきた。
ここまで来たついでに、最後は戸隠忍者の資料館や迷路のようなからくり屋敷で遊んで宿へ帰る。

予報のわりに天候も良く、道中はなかなかスリリングで下山後のお蕎麦も美味かったし、愉快な休日であった。

2010年6月6日日曜日

八ヶ岳開山祭

今日は快晴のなか八ヶ岳開山祭。いわば本格的な登山シーズンの幕開けを飾る山開きのお祭りですね。

お客さんの中には、毎年この開山祭の日程にあわせて(八ヶ岳の開山祭は、毎年6月の最初の日曜日に行われる)泊まりにきていただいている方もいるくらいで、小屋にしてみれば開山祭はGW以来の稼ぎ時。

われらが行者小屋でも、小屋内の宿泊者数こそ近隣の小屋には負けるけど、昨夜のテント泊人数はなんと100人超え!そこそこの広さは誇るうちのテン場でも、昨日ばかりは夏の連休のように本来はテン場ではない森のなかにまで黄色やオレンジのテントが見え隠れしていました。
午後は当然のように受付ラッシュ。支配人がひとり御勝手で客飯の仕込みを頑張っているあいだ、ぼくは受付にかかりきりで小屋泊の受付、テントの受付、売店のお会計に登山道の案内まで…… 落ち着いてイスに腰かけてお茶を飲む暇すらないほどの忙しさです。
そして4時からはそのまま客飯準備になだれ込み。うちの小屋の夕食は18時からで、お客さんの多いときはそのまま翌朝の朝食の準備をしているうちに食べ終わった人たちの食器が戻ってくるので、それらをすべて洗ったらようやく従業員の晩ごはんになるのです。

ようやくやるべきことがすべて終わって、ぼくらの晩ごはんになったのは20時過ぎ。
しかし、やっとゆっくりできると思ったのも束の間……

大半のお客さんは早々に寝静まり、消灯を数分後に控えた20時半。その日一番遅く、夕食スタート後に到着した上にいつまでも食堂でおしゃべりをしていて従業員の不評を買っていた5人パーティーのお客さんが、受付のドアをノックして曰く。
「あのー、明日朝食付きでお願いしたのですが、早めに出発したいのでお弁当に変更を……」

、、、、イ、イマカラデスカァ〜?( ̄○ ̄;)

ぼくも支配人も、ひさびさの忙しさに入りまくっていた気合いを、「すべて終わったぁ!」とたったいまビールとコーラで解いたばかり。思わず顔を見合わせるぼくら。

一瞬口まで出かかった否定の言葉をグッとノドに飲み込み、「分かりました。では朝までに作って置いておきますね」と極力笑顔になるよう努めながら言わせていただきました。

自分たちの遅い夕食が終わり、21時過ぎ。明日も早いからすぐにでも寝たいところを彼らのためにお弁当を作っていると、支配人が一言。
「サービス残業っていっても、うちらは『誰のために』働いているかが分かっているから、幸せだよね」

疲れに効いた一言でした。

今日が開山祭と知っている人も、知らない人も、快晴のなかずいぶんな人出でしたが、どうか皆さん事故なく下山されますように。
ぼくも今日から休暇で下山。東京には帰らず、長野や妙高のあたりをぶらぶらして来ようと思います。

2010年6月3日木曜日

中岳道の状況

気がつけばいつの間にやら6月ですね。

開山祭を今週末にひかえた八ヶ岳ですが、山はまだまだ残雪豊かに、日によっては日中でもみぞれや雹が降ったりもしています。
朝起きて、白い息を吐きながら手を擦り合わせて外にでてみると、2899mの主峰赤岳が夜のうちにうっすらと薄雪をまとっていつになく荘厳な姿を見せており、カッコいいやらいい加減暖かくなってくれないのかと溜め息漏れるやら、小屋番としてはやや複雑な心境です。

週末以外泊まりのお客さんはほとんどいないといえど、この時期は案外夏に向けた作業で忙しく、ぼくも今週は館内の布団のカバー交換(100枚以上!)や外デッキの屋根の張り替えなどに精を出しています。
でもでもやっぱりたまには山にも登りたくなるもの。今日はのんびり日半日休憩をいただいたので、最近お客さんから電話問い合わせの多い中岳道の様子を偵察してきました。

行者小屋→中岳道→阿弥陀岳→中岳沢→行者

夏のあいだは鎖場などもなく心地よい山歩きが楽しめる中岳道ですが、樹林帯のなかをつづら折れに登ってゆく道ゆえに、積雪期は通行不可になります。そのかわり、冬季は中岳沢を沢筋に直登していくルートが採られます。
毎年残雪のこの時期は、夏道が良いのか、冬道が良いのか、雪の残り具合に左右されて判断の難しいところです。

結論からいうと、まだ冬道が正解。ただし雪歩きに慣れていない初心者(が阿弥陀に登りたい場合)は、中岳沢でも中岳道でもなく、少し遠回りにはなりますが文三郎尾根の登山道を使ってください。
最近は気温の上がらない日が多く、沢上部の雪は意外と固いので、底の軟らかいトレッキングシューズではキックステップができずに恐い思いをすることになると思います。もちろん軽アイゼン以上は必須。ぼくは4本刃+ダブルストックで行きましたが、雪や斜度に慣れてない人は4本でも恐いかも。
そのかわり、沢筋の雪は文三郎と中岳道の分岐までしっかり詰まっているため、下りは巧いこと「滑れる」人ならコルから行者まで10分で下れます。

この情報は6月3日現在です。
また時間が経てばそれに応じて状況も変化しますので、最新の情報が欲しい方は直接近隣の小屋まで(行者・090-4740-3808)お電話くださいね♪

2010年5月28日金曜日

中央本線の風景

やれやれ、なんだかワタワタしていた街での休暇がやっと終わって、ようやく山に戻れる……そんな気分(笑)

聞けば小屋では、ぼくが日曜日に下山してから今シーズンの宿泊者0人記録を六日間に更新中とか。下界もずっと天気イマイチだったし、さぞかし静かな一週間だったろうなぁと思う特急スーパーあずさの車内から。
夏になれば南北アルプスや八ヶ岳に出かける登山者で賑わう中央本線も、まだまだデカいザックとともに二席ゆったりと陣取れる余裕が残っている。

座席に腰かけて車窓を眺め居れば、以前浜松にいくために自転車で走った甲州街道が線路に付かず離れずでついてくるのもまた面白く、しかしまたあれが自転車にツェルトやキャンプ道具を積んでのツーリングとしては目下のところ最後になっているのを悲しくも思う。
あそこを薦めてくれたO君のいうとおり、笹子峠は気持ちのよい峠であった。ちょうど峠のトンネル手前で、臭すぎて家を追い出されたというオッサン三人組が焼いていたクサヤをたんまり御馳走してくれて、笹子峠はいつだってあのクサヤの臭いとともに思い出す。

列車はまっすぐ西進する甲州街道と離れ、塩山へ。
塩山は、言わずもがな大菩薩峠への登山口。
部活で個人で、山に自転車に、春夏秋冬、大学時代は奥多摩のつぎによく通った場所だろう。格別大きな山ではないが、なにかピクニックにでも良さそうな広々としたイメージがある。
盆地の底からポコッと生えたような「塩の山」にはいつか登ってみたいなと思いつつ結局また足を踏み入れたことすらない。『ドラえもん』の学校の裏山をひとまわり小さくしたような、絵にかいたような小山である。

甲府盆地に入って初めて姿を見せる富士山と南アルプスの高峰は、前衛の山々の濃い緑とは対照的にいまだ春遠き雪白に覆われている。
じつは富士山には一度も登ったことがないが、この時期の南アルプスといえばぼくが大学で一時所属していた部の黄金コースだ。それはそれは恐ろしい合宿で、その名も錬成合宿という。
40kg以上という、いまにして思えば歩荷並みのザックを背負わされ、木の枝を鞭にして(愛の)怒号浴びせる先輩に追われて2000mの標高差を息も絶え絶えに登る。あれを良き思い出といえるのは真性山ヤのMっ気の為せる業か……
あのとき新人だった皆、キツさの余り記憶が飛び飛びだから、いまでもあの頃のメンバーで集まると錬成の話で盛り上がる。

小淵沢のあたりで、遠方からでもよく目立つオベリスクを有する地蔵岳と黒戸尾根を前面に控えた甲斐駒ヶ岳とを左に見送ると、つぎはいよいよ右手に現れたのが八ヶ岳だ。
正解にいえば、少し左寄りの裾野のきれいな三角形の山が八ヶ岳連峰最南端の編笠山。さらに左のが西岳で、奥の山が権現岳。権現の奥に、八ヶ岳のキレットを挟んで主峰の赤岳、横岳、硫黄岳とつづく。
初めて八ヶ岳を歩いたのは高校3年生のときの夏合宿で、そのときにテント泊した行者小屋の水の美味かったことだけははっきりと覚えている。まだまだ赤岳越えがあるのに、予備の2リットルのポリタンクいっぱいに詰めて帰って、自宅でカルピスを作ったほどだった。
ぼくが大学卒業して、山小屋で働こうと決めたとき、真っ先にあたったのが赤岳鉱泉・行者小屋だったのも、あのときの記憶があったからに他ならない。

そうこうしているうちに、スーパーあずさは茅野駅に到着する。
特急の旅は、あの頃の各駅停車の旅に比べてあっという間だ。

こうしてぼくはまた、いつものように山にかえるのである。

2010年5月15日土曜日

記念日×記念日

一年前の今日、ぼくらはニュージーランドに向けて成田を飛び立った。
一年後の今日、ぼくはいつものように八ヶ岳は行者小屋で働いている。

ニュージーランドでのワーキングホリデー生活は、この行者の「いつもの雰囲気」に浸っているとすごくあっという間だった気がして、なんだかふわふわな夢の中にいたような、とても不可思議な時間に感じられる。
たしか出発のあの日も、今日みたいに暖かい、気持ちのよい天気じゃなかったか。今日のニュージーランドの天気はどうだったろう?

今日はニュージーランド生活の最後にたいへんお世話になったゴールデンベイ・カヤックのナイジェルさんとカナさんお二人の結婚式。
ポハラのビーチに面した、あの広い芝生の庭をもつ彼らのオフィス兼自宅は、美しい新郎新婦と彼らを取り囲む多くの友人たちでおおいに賑わったに違いない。お二人の明るさと他人を惹き付ける魅力はまったく驚くほどで、打診された式のカメラマン役をお引き受けできなかったのは心底残念だった。
あの青い空と海の下、お二人の人生の記念の一枚はどんなに映えたことだろう?

どうか、この太平洋を遠く隔てた日本の、しかも本州ど真ん中の山奥から祈るお二人への祝福が、彼らのこころにまで届きますように。

ところで明日からは、支配人一家が休暇で山を下りてしまうために、行者小屋は五日間ぼく一人。
まぁお客さんも多くないしずかな時期なので、のんびり小屋内を夏にむけてキレイにしたり、小屋まわりのゴミ拾いをしたり、ただただ本を読んで時を過ごそうかと思う。
あー……お客さんがいないのも困るけど、一日くらいは他に誰もいない静寂な山の生活を楽しめると嬉しいなぁ。

2010年5月11日火曜日

主稜線縦走

ゴールデンウィークも終わり、山は一年のなかでも特に静かな時期を迎えました。毎年この時期は冬山クライマーには雪が少なく、また軟らかすぎて歩きにくいだけだし、逆に夏山ハイカーには残雪が多すぎて登れないんですね。
宿泊客はおろか登山道を歩いている人影もほとんど見ない、そんな日々が一ヶ月ほどつづいて、6月あたまの開山祭の頃になるとぼちぼち咲きだす高山植物を目当てにまた登山客が戻ってくるのが、だいたい毎年の流れになります。6月も半ばになると登山道上の雪も完全になくなってあとは沢筋にわずかな雪渓が残るだけとなり、それも7月には完全に解けて、山は本格的な夏山シーズンを迎えます。

今年もいつものように小屋にスキー板を背負いあげたのですが、今年は例年よりぼくの小屋入りが遅かったために雪が少なく、ついに山を滑れたのは一回だけのまま終わってしまいそうです。
もう雪も気温でベチャベチャだし、滑るのに気持ちよい沢筋はそろそろ雪崩が恐い時期ですからね。

そのかわり、といってはなんですが、今日は支配人から「一日のんびり日!」の宣言をいただいたので、じつにぼくが小屋入りした年(つまり今から三年前?)以来となる残雪の南八ヶ岳縦走をしてきました!
手足にはストックとスキー板の代わりにピッケルとアイゼン。主稜線の縦走は一年以上のブランクがある上、本格的な冬山ではないとはいえ岩と氷雪の混じる登山道。本当に一人で行って大丈夫なのか?と心配つつも、周りの山小屋への挨拶なぞもしながらまぁとにかく行ってみたら、あっさり五時間ほどで行者小屋基点の一周できてしまいました(^^;
ホント、八ヶ岳のお手軽サイズっぷりには助かります。笑

ちなみに昨日現在の登山道状況は、稜線部では半分以上(とくに硫黄岳周辺は)雪が解けていますが、稜線上の一部と樹林帯は全体的に硬くしまった雪が残っているので、12本刃である必要はなくとも、まだまだアイゼン・ピッケルは必携です。

といっても、夕方からは雪が降りだしたので、またこれで登山道の状況もだいぶ変わってしまうでしょう。
この時期に山に入ろうという奇特な皆さんは、入山前に山小屋などに電話して、山の最新情報をゲットしておいてくださいね♪

2010年5月1日土曜日

行者小屋

午前6時の屋外気温、マイナス6℃。従業員部屋の室温、0℃。
はたして、ちゃんと仕事の時間に起きられるだろか?という初日の不安も、布団の隙間から忍びよる明け方の凍気によってまだまだ寝たいのにもう寝てられない、まったくの杞憂でした。

これぞ行者の小屋開けですね。とはいいつつ、二日前から入っていた支配人夫婦の奮闘により(?)、水パイプの開通や最低限の雪かきなど、小屋開け作業自体はすでに終わっていたのですが……

しかし朝の冷え込みが嘘のような陽気とスカッ晴れ。お山は今日も登山日和。
登山者の皆さん、天気は良いけど、雪は多いし朝晩は放射冷却で非常に雪面が硬くなりますので、安全第一で楽しんでくださいね。

2010年4月28日水曜日

帰国、その後。

さてはて。前回の日記をupしてから、その晩は一睡もせずに午前4時に宿を出発。クライストチャーチからオークランドを経て合計12時間ほどのフライトで、同日の夕刻、無事日本に帰国いたしました。

あまりに陳腐な言葉と承知しながらも、なんとあっという間の一年間だったのか。まるで自宅のドアを一歩出たところで立ち尽くしながら、脳内に一年分の映像を走馬灯のように観、気がついたら翌日まだドアのまえに立ったまんまだったような、ひさびさに自宅に戻ったときはそんな気分でした。

うっしーとこたろうのニュージーランド・ワーホリ旅の舞台は、これにて閉幕です。

NZ滞在中にお世話になった皆々様、本当にありがとうございましたm(__)m
そしてこの電脳界の片隅にあるこのページ(ブログ)をご覧いただいていた読者の皆さんにも、遠く異国の地に彷徨いながらも、たしかに日本の親友や家族とつながっている安心感を感じていられたのは、ひとえにこのブログと皆さんのコメントのおかげでした。

ぼくら二人のNZワーホリ旅はこれで終わりですが、ぼくら二人の旅路はまだまだ続きます。それも感慨に耽る時間の余裕すら与えてくれずに……

日曜日に帰国したぼくですが、明日大学ワンゲル同期の結婚式に出席をしたら、はやくも明後日は八ヶ岳は行者小屋に小屋入り予定。現在は自宅でNZの後片付けと同時に、これからの日本での生活の準備と入山の準備に追われています。
相方はといえば、すでに6月から北アルプスの笠ヶ岳の山小屋で働くことが決まっており、それまでは持病の検査のために病院に通うことになるようです。

ぼくらのとりあえずの目標は、夏の山小屋バイトと冬の妙高で、ほぼ完全に使い切ってしまった我々の貯金を少しでも回復させること。

そして、そのあとに待つものは……?

ぼくらにも現段階では判らないその答え。またそれは、いずれその時が来たら皆さんにもお知らせできるでしょう。

とりあえず次回からは、「行者編」のはじまりはじまり。

2010年4月24日土曜日

最後の晩餐

ワーキングホリデー生活もいよいよ今日が最後となりました。明日は午前5時前には空港に行って、オークランドにて乗り換え、同日夕方には成田に到着予定です。

記念すべきニュージーランドでの最後の晩餐は、と言うと。。。


フィッシュ&チップス!!!


もっともニュージーランドらしく、なおかつお財布にも優しい食事といったら、もうこれしかないでしょうw
Kiwiana(「ニュージーランドらしい」の意) Foodといえば、まず出てくるのはパブロバ(例の焼くのが難しいメレンゲケーキです)ですが、パブロバについて書いてフィッシュ&チップスについては書かないのではまったく片手落ちと言えるでしょう。

平たく説明すれば、フィッシュは天ぷらのような揚げ魚(必ず白身)、チップスはフライドポテトです。
山盛りです。山盛りでなくては、フィッシュ&チップスではありません。

ぼくらがいつも御用達なのは、定宿Kiwi Houseの一本奥の通りにある、持ち帰り(こちらではTake Awayという)専門の中国系のお店。そこは似たような中国系のお店が3軒並んでいるのですが、ぼくらは常に、誰が遊ぶともしれないUFOキャッチャーがおいてある真ん中のお店で$7パックを買ってきます。
7ドルといえば日本円にして500円。これでデカイ魚や春巻、ソーセージ、パイナップルなど(すべて衣をつけて揚げてある)が二つずつと、山のようなチップスが、デカイ白い紙に幾重にも包まれてドンッ!と出てきます。
(ちなみに値段は、大都市にいくほど安くなります。昔はどこも新聞紙で包んでいたらしく、たしか高倉健によると「フィッシュ&チップスはエロい新聞で包まれているほど美味い」らしいデス)

それをひんやりとした夜気のなか小脇に抱え、小走りで宿に帰っているうちにも、揚げたてのい~ぃ匂いが空腹感を刺激します。
どんなに腹が減っていたとしても、二人だけでこれだけ食えば、もう一週間はいっさい油を取らなくとも良いと思うくらいの満腹感が油のゲップとともに襲ってきます。

ニュージーランドなら、どんなに小さな町でも、必ずフィッシュ&チップスが食べられます。たいていは軽食屋か、もしくは夜ならバーに行けば頼めます。そして、たいてい地元のひとなら、その地域でイチバン美味しいフィッシュ&チップスを心得ているもの。
ぼくらがタカカのKiwiana Hostelでの仕事を終えたとき、ぼくらが去る前に、オーナーのJulesがタカカでイチバン美味い!というフィッシュ&チップスを買ってきてくれました。

その魚が、たしかに美味かった!

油のちがいなのか、魚自体のちがいなのか。とにかくたかがフィッシュ&チップスなのに、美味い店は美味いし、まずい店はまずいのです。
みなさんももしNZに旅行をする機会があれば(そしてあなたがジャンクフードが大好きであれば)是非一度、地元のひとにその近所でもっとも美味しい店を訊ねて試してみてください。

きっと、もうしばらくは油モノはいいやという気持ちが、油のゲップとともに出てくるはずです。

もう当分こんなのを食べることもないんだろうな。

というわけで、つぎは日本でまたお目にかかりましょう♪



一年間、最高に楽しかった!!!!!!!!!!!!!!!!!

2010年4月19日月曜日

The Ghanの旅 (photo up!)

オーストラリア大陸縦断鉄道「The Ghan」の旅も終え、南オーストラリア州の州都アデレードに滞在中のうっしーとこたろうです。こんにちは。



ダーウィンからアデレードまで、二泊三日の列車旅は大陸縦断3000kmという響きからは想像もできないくらいにあっという間に終わってしまいました。
変化の乏しい風景と、けっして広いわけではない客室で、いったいどれほどの暇をもてあますことになるのかと恐れ、そしてわずかばかり(怖いもの見たさに)楽しみにもしていたのですが、じっさいは、最終日になってはたとじぶんが車窓からの風景をいまだじっくりと見ていなかったことに気がついて、ようやく腰を座席に落ち着けて、飽きるまで外を眺めていようと思ったくらいでした。なにせ前半二日は、日中に途中停車するキャサリンとアリス・スプリングスの町で3~4時間ずつの観光タイムに、乗車中も朝・昼・晩とそれぞれじっくりと時間をかけたコースメニューの食事のおかげで、案外客室でボーっとできる時間は少ないんですね。

The Ghanの客室は、座席のみのレッド・カンガルークラスと、シングルorツインから選べるゴールド・カンガルークラス、ゴールドよりも部屋が広めなプラチナ、そして各便にひとつだけついている豪華車両貸し切り(それも専属のシェフや客室乗務員つき)のプライベートにクラスが分かれており、それらすべてが延々30車両ほど、長さにして700m、繁忙期だと先頭車両から最後尾まで1kmもの距離になるそうです。
今回ぼくらは、誘ってくれた祖父母にあわせてゴールド・カンガルークラスでの乗車。客室は、狭いながらもそれぞれトイレ・シャワー付き、日中は4人が並んでゆったり座れる座席で、夜は二段ベッドになるという寸法です。
洗面所はトイレと手洗いが折りたたみ収納式で、「よくもまぁ」と感心するほどにコンパクトにまとまっています。祖父母にはちと狭く感じられたようですが、どうしてなかなか、シャワーも湯量・湯温ともにふつうに文句ないレベルでしたよ。





食事は毎食、食堂車にて。四人掛けのボックスシートで、電車がガタンゴトン揺れる中、前菜・メイン・デザートとつづくフルコースメニューをいただけます。
さすがに列車内での調理のためか、食材は限られた種類のなかで頑張っている印象をうけますが、基本的に味はまぁまぁ以上。ときに、これは美味しくない……と感じるものも無きにしも非ずでしたが、それはきっと調理法云々というよりも、そもそも西洋人の食的センスが必ずしも日本人と同じとは限らないということでしょう。はい。
最後のディナーのあと、シェフ自らがお客さんに配ってまわったチョコレートはじつに美味でした。

しかし、これまで場所を変え変え、宿泊業や飲食業で働いてきたぼくがとくに気になったのは、職場としてのThe Ghan。ちょっと顔見知りになったウェイターさんに訊いてみたら、かれらは一回の勤務で往復6日間(うち一泊は折り返しのダーウィンでホテル泊)、早朝から晩まで、一日10~12時間の勤務時間らしいです。
「たいへんだけど、けっこう給料はイインダヨ~」といっておりました。
食堂車のウェイターさんなんて、一回で12テーブルの食事の進行具合を見ながら、揺れる車内できびきびと動きながら、食事の済んだお皿を両腕に5枚も10枚もいっきに運んでいて、じぶんが同業者であるが故に、よりいっそうの感心の眼差しで追ってしまいました。

もしいつかオーストラリアにワーホリで行くことになれば(おそらくそれはないと思うけれど)、是非アプライくらいはしてみたい職場ですね。

ふだんのぼくらのライフスタイルからはかけ離れた、けっして自ら足を踏み入れることはない(というか金銭的に無理^^;)二泊三日でしたが、じつに良い刺激と経験になりました。
ゴールド・カンガルークラスのお客さんの、ベルト回りのでっっっぷりとした、いかにも裕福そうなオージーご夫婦の多かったこと。たとえ将来ふたたびThe Ghanに乗る金銭的余裕ができたとしても、ああはなるまいと心に誓ったのも、この旅行で得たひとつの成果でしょう(笑)
誘ってくれたじいちゃんばあちゃん、貴重な体験をさせてくれて、どうもありがとうございました!


2010年4月10日土曜日

ワタワタとオーストラリアへ

月曜日、Kiwianaに泊まっていたお客さんの車に同乗させてもらい、フェアウェル・スピットへの日帰り小旅行。

火曜日にヒッチハイクでゴールデン・ベイからネルソンへ。

水曜日はネルソンからブレナムまでバス、そしてブレナム~クライストチャーチ間はふたたびTranz Coastalの列車旅。

そして木、金とチャーチで過ごしたら、あっという間にオーストラリアに飛ぶ日が来てしまいました。

今日の午後便でブリスベンに飛びます。
14日からは日本から来るうっしー祖父母と合流し、ダーウィンという町からオーストラリア縦断鉄道「The Ghan」に乗って総計3000km、二泊三日の寝台列車旅行です。

一週間、いや、この二週間での合計移動距離がすごいことになりそうですね(--;)

、、、ゴールデン・ベイで稼いだ小金もチャーチでの宿泊代やほんのわずかなおみやげ代に消え(はたして無事にオーストラリアを乗り切れるのか!?)という疑惑がアタマノカタスミにないではないですが、まぁがんばって出来るなりに楽しんできたいと思います。

というわけで、ワタワタでごめんなさい!また~!!

2010年4月4日日曜日

ありがとう、ゴールデン・ベイ

4月の第一日曜日はイースター、復活祭の休日で、いったんは静かになりかけていたタカカの町も、この連休のおかげでシーズン最後の賑わいをみせています。
しかし来たときは常夏のように連日スカッ晴れだったのがここのところは曇りがちな日が多く、さらに昨日でサマータイムも終わり、時計の針が一時間遅くなったために夜の訪れも早く、いよいよ名実ともに夏も終わりですね。

今日の午前中のお掃除で、ここKiwiana Hostelでの仕事を終了しました。日記を読みなおすと、ここで仕事をはじめてから6週間もたったらしいのですが……とても1ヶ月半もいたなんて信じられないくらいアッという間に過ぎてしまいました。
宿のなかで、宿のそとで、ずいぶんと毎日を楽しませてもらい、みなさんには感謝の念が尽きません。

最終日の今日の午後は、これから持ち歩くためのパンを焼いたり、相方がクッキーをこねたり、日本へのおみやげのジャムを作ったり、ついでに夕食のピザ生地をこねてさらにつけあわせのウェッヂ(辛口のフライドポテトみたいの)を作ったりしていたら日が暮れてしまい、たっぷりと半日を宿のキッチンで過ごしてしまいました。
とにかく「食」に手間ひまをかけつづけた我々のタカカ生活の締めくくりに相応しい午後ですね(笑)

エイベル・タズマンから下山してきて、カヤック・ツアーに参加して、あたたかいシャワーを浴びながらなんとなく「ここでいいなぁー」くらいで滞在を(というか働くことを)決めたじぶんを誉めてあげたいくらい、ここが大好きになりました。

ありがとう、ゴールデン・ベイ。そしてKiwiana Hostel。

2010年3月30日火曜日

秋の訪れ

先日の嵐で周辺の山々のあたまにはうっすらと雪が被り、ガレージを改造した宿のラウンジに備え付けてある暖炉には今年初めての火が入りました。常夏に思われたここゴールデン・ベイにも、いつの間にか秋が迫ってきているようです。

昨年、ニュージーランドにワーホリで入って、これから始まるスキーシーズンのため最初に生活の拠点をクィーンズタウンにおいたのが、やはり秋。ワーホリのビザが切れて日本へ帰らなければならない日が近づいてきました。

今後の予定は、ここKiwiana Hostelでは4月あたまのイースターホリデーまで働き、その後さらに北端のフェアウェル・スピットまで数日の小旅行をしたら一路クライストチャーチへ戻り、10日間ほどオーストラリアへ横っ飛び。以前からオーストラリア縦断鉄道The Ghanに乗ってみたかったという祖父母に随伴するかたちで、オーストラリアの東半分をぐるりと周遊してきます。
そして4月の22日にふたたびクライストチャーチにもどってきたら、最後NZ出国まえに銀行口座の解約や、持ちきれない荷物の郵送(なにせぼくらはまたキャンプ道具一式やスキー板まで持ちこまなくてはならないのです……)、若干のおみやげ購入などあわただしい数日を過ごし、25日早朝発の飛行機で日本に帰国という流れになります。

ニュージーランドにきて最初のうちは、「あー、もう15日ってことは○ヶ月経ったのかぁ」なんて思ったりもしていたけど、「NZに来ている」という感覚がしだいに「NZに住んでいる」という感覚に変化するにしたがいそんなふうに思うこともなくなり、気がつけば帰国日目前、いろんないろんなことがあってアッという間の一年間でした。おなじニュージーランドでも、旅することと生活することでは、こうも違うものなのですね。
ワーホリでニュージーランドに来たひとの中には、途中で飽きてしまって数か月で帰ってしまうひともいるなんて話も耳にしますが、どうしてなかなか、ワーホリとはその国をじっくりと、ローカル(地元民)の立場で見せてくれる、なんと良い制度ではないですか。

、、、なんて。もうワーホリの「まとめ」みたいになってしまっておりますが、まだまだタカカの周辺でだって行ってみたいけどまだ行けてない場所もたくさんあるし(ワイヌイフォールとかタカカゴルフクラブとか!)、それどころか、水の透明度NZ No.1のププ・スプリングや鍾乳石のツララが大迫力のラフィティ・ケーブなどの行った場所ですらまだ日記に書けてないし!
本当は、もっとタカカの素晴らしいところを積極的に紹介していきたかったのに~!!p(>_<)

まぁタカカの魅力については、ぼくらのタカカ生活の最初から最後までお世話になりっぱなし、ゴールデンベイ・カヤックのカナさんがつづっているブログで詳しくみることができますので(じつはぼくらが最初にゴールデン・ベイという地名を知り、その美しい風景に魅せられたサイトでもあります)、興味をもたれた方は是非のぞいてみてくださいな♪

<Golden Bay Kayaks(日本語)⇒http://www.goldenbaykayaks.co.nz/japanese/indexjp.html
<カナさんブログ⇒http://goldenbay.seesaa.net/

2010年3月24日水曜日

バックパッカーのオーナーというお仕事

晴天率の高いゴールデン・ベイにしては珍しく、一昨日、そして今日とかなりしっかりした、もとい嵐のような雨が降っているタカカです。
先週の金曜日から小旅行にでかけていたオーナーが、一昨日の悪天候で予約していたセスナ機が飛ばずに一日足止めをくらったものの、昨日の晴天をついてようやく、宿に戻ってきました。

振り返ってみると、けっきょく当初の予定よりも一日多くなった四日間のバックパッカーのオーナー体験。

電話での問い合わせや予約の対応。レセプションとお客さんの部屋振り。金銭の授受。宿で発生する、あらゆる種類のトラブルへの対処……
これは、とてつもなく長い四日間でした。

ここKiwiana Hostelは、ドミトリーが2部屋とシングルorダブル用の部屋が4部屋、そして前庭にテントがいくつか張れるくらいで、満室になっても宿泊客はせいぜい30人前後。これはバックパッカーの多いニュージーランドにおいては、かなり小さい部類に入ると言えます。
しかし、その管理運営のいっさいを双肩に任されたときの、その重さといったら!

オーナーからは、いつもどおり午前中の掃除が終わったら、レセプションの電話を留守録モードにして3時半までは自由に外出してかまわないと言われていたのですが、とてもそんなココロの余裕はなく、けっきょく彼女が出発してから帰ってくるまでの丸四日間、一歩もホステルの外に出ることができませんでした。

「もしも外出中に、だれもスタッフが宿に居ないときに、なにかトラブルが起きてしまったら……」
そう考えただけでも恐ろしくて、そして実際、宿に残っているお客さんが少ない日中でも、予約や問い合わせの電話はけっこう頻繁にかかってくるもので、それらを帰宅後にチェックしたり、必要に応じてはこちらからかけ直したりという手間を考えると、とても外出する気にはなれないのです。

そうしてまた、神は人びとに試練を与え賜うもの。
ちょうどオーナーが出発するのと入れ違うように入ってきたテント泊の親子。お父さんと、1歳ちょいの男の子の二人連れだったのですが、この子どもが宿の備品を持っていってはその辺に投げ捨ててくるは、キッチンのスパイスを床にぶちまけるは、他のお客さんのところにいってはかまってもらいたがるは……
もちろん子どもなのである程度は仕方がないとはいえ、どうしてもお父さん一人だと目が離れてしまう瞬間ができてしまうのですね。そしてそれが、バックパッカーはホテルとは違って他の宿泊客と共用する設備や時間が多いが故に、(全員ではないとは言え)他のお客さんの不快感の原因になってしまったのです。

他のお客さんのために親子を追い出すか。

それとも他のお客さんに、子どもへの理解を求めるのか。

一般的に考えれば、親子を追い出すのがより多くのひとの満足を得るでしょう。しかしこれは多数決であり、大を生かし、小を切り捨てる考え方です。
多数決はいかなる状況においても「平等」だと、いったい誰が言い得るか?

どこに行ったって「切り捨てられやすい」立場にある親子連れのことを思うと、なかなかその決断は難しいものになるのです。

しかしそこまで大きな問題でなくとも、たとえば毎晩キッチンに残される食後の食器を目の当たりにすると、あたまの中に巨大な「なぜ??」が多少の怒りとともに渦巻きます。
どうして共用のキッチンで、お皿や鍋をそのまま残しておいて平気でいられるのか?かれらに恥の感覚や、他のひとが使いたがっているだろうという思いやりの気持ちはないのか?まさか英語でも「旅の恥はかき捨て」なんて言葉があるわけではなかろうに。
「上善は水の如し」という老子の言葉を想うとき怒りは諦めと遺憾の溜息にかわり、代わりに孫子の「次善は火の如し」の語が浮かんできます。

たしかにバックパッカーは、いろんな国のいろんな種類の旅人が交錯する、いわば旅の交差点のようなじつに愉しい場所です。あらゆる種類の宿のオーナーの多くが、自身以前は旅人であったというのも、その愉しさを自ら味わい知っているからという理由を考えれば当然のことでしょう。
でも、宿泊業の愉しさとじっさいの運営大変さは別モノだということを、今回の四日間で身に沁みて感じることができました。

火曜日の掃除中に帰ってきた、バックパッカーの管理人歴14年のKiwiana HostelオーナーJulesは「Noriを救うために、私はいまここに帰ってきたわよ~!!」と、開口一番、ニヤニヤしながら叫びました。まるで彼女の不在中に起きたトラブル、ぼくを悩ませた全てを知っているかのように……

宿を経営するというのは、じつにタイヘンなことなのです。
みなさんもこれからどこかに泊まりにいくときは、それがどんな宿泊施設であれ、このことをちらりと思いだして、人知れぬ場所で責任を背負いつづけている経営者、管理人に、救いの「おつかれさま」や「ありがとう」をお忘れなく!

2010年3月21日日曜日

「裸の」後日譚

先日の日記で書いた「Naked Bike Ride」。あれで新聞に載ってしまいましたw

小旅行で宿を数日空けているオーナーJulesのかわりに焼きつけるような日差しのなか物干しヒモにかけていたシーツを畳んでいると、街中に出かけていたお客さんが帰ってきて、開口一番、「Nori, I saw you on the paper!」と教えてくれました。

paper? 紙? 新聞??

どうも詳しく聞いてみたら、先日のNaked Bike Rideが地元紙「GB Weekly」に掲載され、そこにぼくとこたろうのツーショット写真が載っていたらしいのですね。そういえば、走り終わったゴール地点で、だれかに「ちょっと二人のボディペイントを撮らせてもらっていいかな?」と訊かれたっけ。
まぁネタはともかくとして、そして間違いなく読まれている地域も非常に限られているでしょうが(そういえばタカカの人口や世帯数ってどのくらいなんだろう?)、ぼくもこたろうも新聞に載るなんて初めてのこと。これは記念に買っておかないとでしょ!と、お出かけできないぼくのかわりに、こたろう君に町に出て買ってきてもらいました。

じつは仕事探し以外の目的で新聞を買うのは初めてかも。さすがは地元紙だけあって、第一面はおなじく先週末のTimbumトライアスロンと、先週タタビーチで撮影されていたという映画について。
そして第二面が例のNaked Bike Rideで、そこに、ありましたよ~!


この記事によると参加者は100人を超えていたらしいですね!
記事全文は「去る土曜日にサイクリストの安全と、自転車追い越し時の1.5m間隔を呼びかけるキャンペーンとして"Naked Bike Ride"が行われ、百人以上の人々が、あるいは裸で、あるいは服を着てタカコヘ港からポハラまでを走り抜けた。地元のサイクリストは、最近はだいぶ自動車も配慮してくれるようになったが、まだまだサイクリストが危険を感じることがあるのも事実だと報告している」。
べつにぼくら二人のことについて特に書いてあるわけではありませんが、写真のタイトルは「サイクリストの安全問題は、もはや世界的トピックだ」と、やはり敢えて漢字で描いてみたのが良かったみたいです♪

相方がぼくの首もとに描いた「the SOUL of cycling」の、cyclingのスペリングが間違っているのと、なによりもぼくが相方の背中に描いた「自転車愛」の文字がふつうに下手なのが、改めて見るとかなり恥さらしな感じデス……(^^;)

まぁ漢字の汚さは、きっと外国人にはわかるまい。。。

と、切に願いたいうっしーなのでした。

2010年3月19日金曜日

Naked Bike RideとTinbumトライアスロン

朝晩は半袖半ズボンで出てくるにはちと肌寒すぎるのに、昼にもなれば日なたで動くのも億劫になってしまうほど太陽ギラギラの日が続いております、ゴールデン・ベイです。ネルソン周辺のこのあたりは「Sunny Nelson」と呼ばれるほど「晴天率の高さ」で知られる場所ですが、ぼくらがここにきて二週間、雨が降ったのは、、、二日くらい?それも終日は降り続いたりせずに、数時間であがってしまうような雨でした。相方と、そのうち曇りの日にでもゴルフ場に行ってみようかと話しているのですが、いったいそんなナイス天候の日はいつ訪れることやら。

しかし、そんなギラギラ太陽にも負けないくらい「熱い」イベントが、先週末、ここゴールデン・ベイのPoharaで行われておりました。

まず土曜日が「World Naked Bike Ride」。

手っとり早くいうと、Naked(つまり、裸)でBike Ride(自転車に乗ろう)しようぜ!というイベントですね。Worldというくらいだから、世界中からこのために人が集まるかというとそうでもなく、まあせいぜい車で二、三時間のネルソンから来ていれば、はるばる……といった感じでしょうか。
しかしスタート場所のTarakohe港に集まった人数は、少なくとも目測で6~70人。しかも、どちらかというと下着や水着などで局部を隠しているのはむしろ少数派!で、まわりのひとは、老若男女、芝生のうえで素っ裸になっては思い思いの絵柄でボディペインティングをしたり、このイベントの本来の趣旨である(らしい)「もっと歩行者や自転車に優しい道路作りを」という訴えや「自転車⇒自動車間1.5m」といったモチーフのサインを描いたり、なかにはただ「割れ物注意!」のシールを貼っている人など、とにかくさまざま。地元の人が多いのか、みんな全裸にボディペイントで、知り合いを見つけては談話を楽しんでいます。

ぼくらも負けじと、宿の他のスタッフやお客さんといっしょに宿の自転車を借りて参加。ぼくは手ぬぐいを結び合わせてふんどし風に、相方は水着着用で、それぞれ前面は「Kiwiana Hostel」と宿の名前と、この勇姿に憧れて泊りに来たくなった人のために住所をペイント。
そして背中には、ぼくが日の丸に漢字で「自転車魂~the SOUL of cycling~」と、相方がハートに漢字で「自転車愛~the LOVE of cycling~」。
いろんな人に「Coolだね!どういう意味なんだい?」と訊かれ、なかなか好評のようでした♪(ぼくが書いたほうがキタナイだなんて、思っても言っちゃダメ!習字なんてあんまり経験ないんだもん >_<;)


出発前に相方のチャリがパンクするというトラブルもありましたが、GBカヤックのナイジェルさんが車で替えの自転車を取ってきてくれて、ぱぷ~!!という笛の音とともに全員出発!
走行距離は2km弱とわずかながら、海沿いの道路を埋め尽くして走る全裸の大集団はかなりの壮観です。いちおう片側しか塞いでないのに、対面を通行している車も茫然と(あるいは称賛のクラクションを鳴らしながら)止まってしまって、完全通行止め状態。道路わきで待ちかまえていた観光客や地元民もやんややんやの拍手喝さい。
海を右手にみながら素肌を吹き抜ける午後の風が気持ちよく、2kmといわずにTakakaの町まで走っていきたい爽快感でした。(ちなみにカナさんいわく、以前はTakakaの街中でやっていたけれど、あまりにイベント後にそのまま全裸でカフェでくつろぐ参加者が多く、事情をしらない観光客が驚いてしまうので会場をPoharaに移動したのだとか……)





ちなみに最優秀ペイントは、ニュージーランドらしく胸にキウイフルーツの断面を描いた女性。だったのか、前面背面にトランプを描いた女性だったのか、、、英語力の乏しさによぅ分かりませんでした(汗)

そして翌日日曜日も、またまたPoharaを舞台にローカル・イベントが。

今度はTakakaの街ですらポスターや掲示を見かけないのに、昨日よりもイベントとしては賑わっていた超ローカル・イベント「Tinbumトライアスロン大会」!このへんの地元住民が集まって、下は小学生から上は60代まで、男女個人かファミリー、ビジネスなどの3人チームで、swim 300m、bike 7km、run 1.4kmを競おうという大会です。
ぼくらはGBカヤックのカナさんとチームを組み、日頃から海に親しむカナさんがswim、元チャリダーのぼくがbike、根性娘の相方こたろうがrunを担当。チーム名は、ぼくらの宿の名前とカナさんの名前をあわせて「Team Kiwikana」ということに。

大会は午前10時からなのでこの日だけは特別に宿のオーナーから休日をいただき(ローカルはみんな知ってる大会だから、Tinbum出場の為といったら「是非行ってきなさい!」と力強く送りだしてくれました)、それぞれしっかり(?)事前のトレーニングも積んで、いざ参戦!



大会当日。もはや当然のように素晴らしい青空のもと、スタート・ゴール地点のPohara Top10 Holiday Parkには大勢の参加者が集合。大会の部門が年齢でこまかく区分されているためか、小学生くらいの子供たちもたくさんいて、大会本部での選手登録やコースの確認、自転車の最終チェックなどに余念がない本気なのもいれば、ただワイワイ友達と楽しんでいるのもいて、なかなかの賑わいでした。
今年は昨年までと一部コースが変更されて(上の地図は昨年のコースです)、ぼくの担当する自転車パートが砕石工場(?)の私有地をつかった、より細かいアップダウンの多いオフロード率の高いコースに。だいたい、速いひとでswimが6分、bike18分、run15分というのが基準みたいです。

、、、しかしまさかこれが、あんな結果につながることになろうとは(--;)

個人の10分後に各チームのスイマーが一斉スタート。カナさんは「遅かったらゴメンね」とか言っておきながら、上位三分の一に入るナイスタイム、7分38秒でぼくにバトンタッチ。


それこそ大学時代は毎日片道22㎞を1時間の道のりを自転車で通学し、旅は自転車、じつはサイクルマラソンにも(たったの一度だけれども)出場したことのあるうっしーは、とくに昔からヒルクライムを得意とし、この登りでもその実力を遺憾なく発揮!途中から砂利道の登りになったのもなんのその。四、五人は抜いたでしょうか。
しかし悲劇はそのあと。
頂上まで登りつめてこんどは細い砂利道のダウンヒルをガタガタ下っていると、さきほど抜き去った中学生くらいの男の子たちに次々と抜かれるのですね。こっちはけっこう大きな石のおおい道に、ただハンドルを握ってバランスを崩さないので精一杯なのに、彼らときたらまるで跳ぶように、それこそタイヤが地面に触れているのか!?という勢いで下っていきます。(それは、まさに冬クィーンズタウンのスキー場で味わったショックを彷彿とさせました。彼らはあたまのネジが抜けているのではなく、きっともともとないのでしょう)
そして、「こなくそ!」とおもって、ぼくもペダルをこいでみようとした瞬間!

ガキンッ!!!

ペ、ペダルが前にすすまない……

瞬間、茫然。あわてて自転車から飛びおり原因を探るも、パンクではないし、ギアにもなにも見当たらないし。
しかしいくらいじってもペダルはまわらず、つぎつぎと後続に抜かれてゆく現状、リタイヤをする以外に(そしておそらく最初で最後の参加に途中リタイヤだけはしたくない!)残された活路は「自分で走る」しかないのです。

傍に立っていた係員のおっちゃんに「自転車壊れたから走ってイイ?」ときくと「ここからはループで、どうせまたここに戻ってくるから自転車は置いていけ」といわれ、それがアップダウンのつづく砂利道マラソンスタートの号砲でした。
採石場らしき場所を一回ちいさく、一回おおきく、登ってはくだって、登ってはくだって、炎天下のなか予想外のランニングに息も絶え絶え。参加者も最後尾のほうの小学生くらいの子供たちと抜きつ抜かれつしながら走りに走って、途中で自転車をピックアップしたら、こんどは自転車を手で押しながらのランニング。下りなら、ペダルさえ漕がなければ、ただ乗って重力に引かれて進めたのが不幸中の幸いでした。

記録されたぼくの自転車のタイムは、37分42秒。

さぞかし最後のrun担当の相方は待ちながらヤキモキしたことでしょう。20分で戻るといって出発したのだから……
最後は相方が、前半は潮が引いた砂浜と、後半は走りやすい遊歩道を17分55秒で力走しフィニッシュ!

午後に結果発表と表彰式が行われたのですが、チームKiwikanaの総合タイムは63分14秒59。当然、ぼくのせいで成人チームとしては非常に遅いタイムなのですが、大会の区分上では「40歳以下の女性チーム」の部(チームのうち2人以上が女性なら女性の部なのです)が我々だけだったためにカテゴリー順位は1位。
下の写真のステキな?トロフィー(Tinbumのbumとは「お尻」のこと)は個人の各カテゴリー勝者に与えられるので、ぼくらはチームとしての表彰はありませんでしたが、最後にぼくが個人で「Hard As Stone賞」、日本語でいえば「石のような意志で頑張ったで賞」をゲット。カナさんによると、毎年トラブルに見舞われてしまった参加者に贈られ、そのトラブルが大きかったひとほど良い(?)らしいのですが、、、それは果たして名誉なのか、不名誉なのか、、、(--;)



ちなみに総合優勝者は、なんと個人18歳以下(男子)の部の42分20秒27!ひとりで三種目すべてをやって、なおかつチームより速いとは。その強さに驚きです。
そして個人50歳以上(男子)の部で出場したカナさんのパートナー、ナイジェルさんは、「足が痛くてrunは走れないから」とか言いつつもさすがは海のオトコ、最初のswimで圧倒的なスピードを披露し、47分36秒55のカテゴリー別2位、総合でも9位の好成績。

表彰後はローカル企業の提供によるspot prize(抽選会)も行われ、ぼくはポロシャツを、相方こたろうはオーガニックのはちみつ、カナさんは自転車ショップの商品券、そしてナイジェルさんは地元アーティストの、買えば数百ドルもするキャンバス・ペイントをいただきました~。

トライアスロンって、なんだかあまりにもハードそうなイメージがあったのでいままで敬遠していたのですが、このくらいのショート・コースでワイワイ競うレベルなら、個人で出場しても楽しそうですね。
大会が終わったあともココロの昂りは冷めやらず、その日の午後はさらにポハラでピピ貝を採ったり、タタでカヤックをだしてマッスル(ムール貝のことです)を採ってきたりと、アウトドアなゴールデン・ベイを満喫した休日となったのでした。

そしてここKiwiana Hostelは、今日からオーナーが数日間、宿の管理をうっしーに任せて旅行に出発。
彼女が帰ってくるまで、無事に宿をまわしていけますように。

2010年3月15日月曜日

タカカの食卓・2

ここタカカに来てイの一番に参加したツアーがご縁で(?)、最近ゴールデンベイ・カヤックを運営しているナイジェルさんカナさんカップルに、よくお世話になっています。カヤック会社のオフィスも兼ねているビーチフロントの広いお宅で食事を御馳走になったり、ローカル(=地元民)ならではのお話を教えてもらったり。そして、山ヤさんのぼくらにとってなによりも新鮮だったのが、地元の、それこそローカルも観光客もみんなが海水浴に集まるようなビーチで、美味しい貝やお魚が獲れるということでした。
タカカの町から自転車で30分ほど走ると、ゴールデンベイ・カヤックのオフィスがあるPohara Beach。さらに15分くらい走るとゴールデン・ベイ一帯でもイチオシのTata Beachなのですが、干潮ならあさりに似たピピ貝が、そして満潮なら20cmほどのニシンが獲れるのです。

ぼくらがまず教わったのは潮干狩り。じつは、うっしー&こたろうは内陸育ちのためかこれまで潮干狩りというものの経験がなかったのですが、カナさんに言われるがままバケツとミニ熊手を手に、引き潮で波うちがはるか遠くにいってしまった遠浅のビーチに出ていき、「このへん」とカナさんが立ちどまったあたりを掘ってみると、ホントだ!いるいる!!
頼るべきはローカルの知識か、本当の潮干狩りにはちゃんと「スポット」というものがあるらしく(日本の潮干狩りでは、種をまいて養殖しているところもあるのだとか)、ここポハラでも経験的にある程度かたまっている場所とそうでない場所があるそうで、いるところでは3~4個の群れ(家族?)がそこここで採れるのです。先日行ったときは干潮にすこし遅れてしまい、スポットはすでに水没していたのですが、膝くらいまで海につかって手や足で砂を探ってみると、潮に表面の砂が流されたのか海水を感じて表面近くに出てきているのか、案外これも簡単にザクザク採れたので、やっぱり潮干狩りで重要なのは「場所」のようですね。
大きさは、ちいさいのはまた海に返してしまいますが、だいたいあさりと同じくらいのものから、それより少しおおきいくらい。ふたりで食べるだけを採って、毎回砂抜きもそこそこにその日の晩には茹でてしまうのですが、茹でたあとに身を洗えばそこまで砂も気にならず(本当はひと晩くらい置いたほうがイイらしいです)、味もむしろあさりより濃くてむしろ美味しい気がします。

あさりの炊き込みご飯、あさりの味噌汁、あさりの佃煮、クラムチャウダーのスープとパスタ……
特にあさりの煮汁をつかった炊き込みご飯はもう、海の香りが満天で、最高でしたp(T-T)

そしてニシン。英語ではHerringというそうなのですが、ちいさい群れでかなり波打ち際まで泳いできているんですね。ぼくらも以前から砂浜で遊んでいたときに「この小魚はなんなんだろう?食べれるのかしら?」なんて言っていたのが、まさにそれでした。
漁の手法は、以下の通り。

1)上に浮きをつけた長いバレーボール用みたいな網(と両端に竿代りの棒)を用意する
2)ひとりが片端の棒をもっておき、もうひとりがもう片方の棒をもって海に入る
3)網が砂浜から半円になるように運び、そのまま両端を岸に揚げる
4)大量のピチピチ跳ねるニシンを手あたりしだいバケツに放り込む!(もし入っていれば……)



要するに、岸辺で泳いでいるヤツらを知らぬ間に一網打尽にすくいあげてしまえ!と、じつに単純明快。まあ一網打尽とはいえ網の目はそこまで細かくないので、ちいさいサイズのは逃げられるようになっているのですが、それでも群れがかかれば一度に数十匹。波打ち際を泳いでいるのを上から見ているとちいさいのしか見えないのに、網を引き揚げてみればけっこう大きいサイズのもかかってます。ニシンって初めてしっかり見たけど、目が黄色さがなんて特徴的。
獲れたニシンはその場で腹腸をとりだして、家にもどって三枚下ろし。最初はすごくぎこちなく時間もかかって、ようやく一匹、ようやく二匹だったのが、カナさんの手つきを真似しながら数をこなすうちにぼくらも上達(?) だんだんナイフを握る手も手練れてきて、調理台のまわりに拡がるお魚の香りとともに気分はお魚屋さんです♪





下ろした切り身は、そのまま醤油を垂らして刺身でも美味しいし、ムニエルにしてレモンを添えても良いし、むしろそのまま塩焼きでもイケています。先日はカナさんが開いて一夜干したのをいただいたのですが、これも骨までいっしょに美味しくいただいてしまいました。


日本と同じ島国でありながらじつは滅多に魚屋というものを見ないニュージーランドにおいて、スーパーの魚コーナー(たいていは肉よりも値段が高い)か養殖場から直買いする(とくに鮭はサーモン・ファームという養殖場がところどころにある)以外でも新鮮な魚をゲットできるというのは、すごく貴重なのです。

エクスチェンジ、つまりは居候の身にとって、パンや魚貝といった日々の糧がタダで得られるのが嬉しいのはもちろんですが、それ以上に、直接自分たちの手で自然の恵みを収穫し、味わうことができるこの土地の豊かさに感謝の念を覚えずにはいられません。たとえお金が惜しくてあっちこっち街に遊びにいけなくとも、現在のぼくらの生活は不思議と満ち足りています。

「食」の充実は「生活」の幸せ。そう思いません?