2009年12月26日土曜日

Merry Xmas from New Zealand

12月25日は、みんなが楽しみクリスマスの日♪

それは夏真っ盛り(?)のニュージーランドでもおなじこと。数週間前からホテルのロビーにクリスマスツリーが飾られ、ちょっと早めの20日には従業員宿舎として使われているホテル旧別館のバーで、飲めや踊れや、従業員専用のクリスマスパーティー。そしてイブの夜には、ホテルのバーでお客さんも交えてクリスマスソングを歌うクリスマスキャロルも行われました。
年によっては、夏といえども雪が降ってホワイトクリスマスになることもあるというマウントクックのクリスマスですが、今年は12月前半の悪天続きがウソのように天候が安定。ホテルスタッフもお客さんも、みんな半袖シャツのままサンタ帽なんかをかぶったりして、まさにイメージそのままの「南半球のクリスマス」でした(笑)

しかしそれでも、気温が高くて、身体中の毛穴が緩んでいるような状況での年末年始は、やはりイマイチ実感がわかないのが困ったところです。
妙高高原は赤倉ユアーズイン(と妙高バックカントリースキースクール)で居候をしていた例年であれば、クリスマス・お正月なんて宿泊業にとっては特に稼ぎ時。ぼくもスキーのレッスンを終えて、身体をゆっくり温泉で温める間もないままキッチンで夕食の準備をしたり、お正月なら早朝からおせち料理の盛り付けを手伝ったりしていたもの。
それがここに来てみたら、晴れるとジリジリ焼かれるような太陽の下で、おまけに年末年始は航空券が高いためか日本からのトレッキングのお客さんも減ってしまい、ワーホリ組みんなで一週間以上の連休をもらってしまう始末。
こんなのんびりな年末年始はひさしぶりすぎて(おそらく高校以来!?)、むしろどうしたら良いのか、身体が戸惑っているといっても過言ではないでしょう(^^;)

ちなみに25日の昨日は、セアリーロッジのワーホリ3人組で、おとなりのロッジに住む日本人家族のパーティーにお呼ばれしてきました。
4時ごろからお宅にお邪魔し、ヘトヘトになるまで小学生のお姉ちゃんと就学前の妹ちゃん姉妹と遊んだ後は、炊き込みご飯やコールスローサラダ、ローストチキンなどの晩御飯。これがどれも素晴らしい味と量!
そしてさらに食後には、ぼくらワーホリ3人組でつくったクリスマスケーキも登場。

題して、「ブッシュ・ド・ノエルとクリスマスの夜に雪積もるオヤツの家」。


これは、これまでセアリーロッジでつくられたどんなケーキやお菓子よりも気合が入ってますよ~!! 子どもたちはもちろん、奥さんまで大興奮。そしてじつはつくった本人たちも、予想以上の出来栄えに大興奮w あまりにもったいなくて、崩せない、切り分けられないくらいでした。
ちなみにわたくしの担当は「サンタさんとスノーマン(雪だるま)」。マシュマロとチョコレートと、以前焼いたパブロバをつかって頑張ってみました。屋根のうえで夜空を見上げるサンタさんが、「パワプロ」みたいでお気に入りです♪ww

気分こそなかなかクリスマスに浸れませんが、ケーキは美味しいし、実際にこれが終われば、あと年内残すは数日のみ。2010年はまもなくです。

というわけで、少し遅くなりましたがみなさんに、
I wish you a Merry Christmas, and a Happy New Year!! ;-)

2009年12月24日木曜日

ふたたびミューラー小屋へ Day-3

12月23日

やはり日の出前に目が覚める。三日連続の好天。

午前中はワーデンのMarkさんからいろんなお話を聴かせていただきました。年齢は六十代後半。毎年イギリスから、マウントクックやアスパイアリング国立公園の小屋で、それぞれ数週間ずつワーデンをするためにNZに来るというMarkさん。どうやってワーデンになったのか。旧い小屋のこと。マウントクックにある他の小屋のこと。ワーデンをしていてたいへんなこと。
彼によると、以前は滞在中の食料はもちろん、食事を作ったりする燃料までじぶんで担ぎ上げなくてはならなかったらしいです。また小屋にはシャワーもないため、2~3日に一回村に下りてきてはシャワーを浴びて食料品を購入し、またその日のうちに小屋に上がるんだとか。夏とはいえブリザードになることもあるし、一週間大雨つづきで、ひたすら独り、寝袋に包まりつづけたこともあるそうです。
そしてなによりも、これはボランティア。つまりお給料はいっさい出ないのだとか!

それでも本当にフレンドリーに、だれとでもおしゃべりをするMarkさんをみていると、山小屋の印象は「建物」ではなく「小屋番」で決まるんだと、改めて実感しました。





あとは小屋まで遊びにきた野生のオウム、ケアの写真を撮ったりして、ぼくはホテルのスタッフダイニングでの昼食に間に合わせるために9:30am下山開始。
途中休憩もとらずにいっきに下山。12:00pmにホテル着。アイゼンとピッケルを返却して、DOCにて下山を報告して、無事終了と相成ったのでした。

-おわり-

ふたたびミューラー小屋へ Day-2

12月22日

6:00am頃 日の出


明け方の景色がキレイなので、なんとなくカメラを持って外に出たら、そのままなんとなく小屋の背後のオリビエ山に登ってしまいました。こちらはルート標識も特にありませんが、大岩の積み重なった稜線を30分ほどで山頂。東南方遥か眼下にプカキ湖が望め、朝靄に陽が射しています。
帰りは固い雪の斜面をお尻で滑り下りて、小屋でゆかりおにぎりとお味噌汁の朝食。

ぼく以外の女の子ふたりは一泊だけ(ぼくだけ二泊)なのですが、なにせ「下山=帰宅」というアプローチまったく必要なしの彼女らは、小屋でゆっくり昼寝をしたり周辺を散策したりと、屋外ランチまでのんびり楽しんでから1:30pmに下山していきました。



ひとりになった午後は、正面の断崖で頻繁に起こる氷河の雪崩の轟音を聴きながら読書。オリビエ山より先の稜線の縦走は、ぼくにはレベルが高すぎて行くことができないし、周辺を散策といっても雪と岩と、わずかな植物と昆虫だけの世界ではすぐに飽きてしまう。山々の写真ならもう昨日だいぶ撮ってしまったし……
なにより、山で「ナニモシナイ」時間というのは、最高のゼイタクなのであります。これ、小屋番経験者が言うんだから間違いない(笑)

9:20pm頃 日没、夕焼け


この晩のミューラー小屋宿泊者数はぐっと減って、たったの4名。それでも国立公園内の山小屋全体で見ればかなり賑わっており、夜7時の公園本部と各小屋の無線交信を聞いていると(山小屋には必ず備えつけの無線があって、毎日その小屋の宿泊パーティー数の確認と翌日の天気予報が交信される)、昨晩は2~3箇所だった小屋への呼びかけが、今晩は10箇所あまり。
最初に全小屋にむけて最新の天気予報が伝えられ、その後本部のスタッフがひとつひとつの小屋に呼びかけていくのですが、それぞれ小屋に滞在している登山者が応答していくのを地図に指で追っていくと、それまではただの地図上のちいさな印でしかなかったものが、突然電燈を灯したように、どこかの険しい尾根の上の、どこかの雪原の上のちいさな小屋の中でぼくらと同じように無線機に耳を澄ましている登山者の姿が脳裏に浮かび、不思議な連帯感のようなものを感じます。

山は不思議です。見知らぬ同士の人と人とを、こころで結びます。

夜はふたたび満天の星空でした。

-つづく-

ふたたびミューラー小屋へ Day-1

9連休の真っ只中、ひさびさに天候も落ち着いて数日間の晴天に恵まれたので、セアリーロッジのワーホリ三人組で念願のミューラー小屋(Mueller Hut)への宿泊登山をしてきました!

12月21日

予報のとおり、素晴らしい快晴。朝食にホテルのスタッフダイニングへ上がったついでにDOC(国立公園本部)で入山届け兼ハットパス、つまり山小屋の宿泊券を購入。DOCの中には他にもアイゼン・ピッケルを持って、いかにも登山者っぽい人たちがチラホラいて、ミューラー小屋のパスもけっこう出ている模様です。なにせクリスマス休暇期間の、しかもひさびさに好天が続きそうですからね。ぼくらもオフィサーから小屋やルートの雪の状況を聞いた上で一旦帰宅し、登山準備です。
ここに住んでいると、天候の良いときを見計らって、しかも行き帰りの時間なども気にせずに登りにいけるのが最大の利点。午前中はゆっくり準備にあてて、スタッフダイニングで昼食をとって、念のためAlpine Guides社でアイゼンとピッケルを借りてから出発しました。

1:20pm 出発

今回は山小屋宿泊ということで寝袋や食料も持参なので、いつも以上に重たいザックに、山に登りなれない女子陣は一般ルートとして整備されているセアリーターンズまででもけっこう大変そう。しかも太陽ギラギラで暑い!

2:50pm セアリーターンズ

ここより先は、頻繁にオレンジ色のマーカーは立っているが、登山経験者向きのルート。前回にくらべてだいぶ雪も溶けてタソック(高原の草原)が出ていますが、やはり稜線に出る手前はまだまだ広大な雪の斜面です。アイゼン・ピッケルはなくても登れるけど、雪が軟らかすぎて滑りやすいので、あると安心。
そこを登れば、あとはなだらかな稜線伝いに30分ほどで雪原に囲まれた赤い建物のミューラー小屋に到着です。

6:00pm ミューラー小屋到着

日本の山だと、山小屋の親父に「遅い!バカモン!!」と怒られてしまう時間ですが、NZではまだまだ夕暮れまでは3時間以上ある明るい時間。ワーデン(夏期のみ常駐する小屋の管理人)のMarkさんに到着を告げ、あとは小屋や周辺でまったり。晩御飯は辛ラーメン(インスタント)と辛ラーメンライス。辛いです。
マウントクックの夕焼けも美しく、また夕空の色あいの妙なこと!日本と逆向きの三日月は早々に沈み、夜は流星流れる星空でした。



ちなみにこの日の晩は満員で、到着の遅かったぼくら以降の人たちはバンクルームに入れず、ダイニングのベンチにマットレスを敷いての宿泊でした。それでも目を開けるだけで、窓からマウントクックと星が眺められる特等席でした♪

-つづく-

2009年12月20日日曜日

ニュージーランドの夜に

前回は「見られません」というお話でしたが、今回は「見れるんです」というお話。

先日、うちのガイドチームでも最も勤務年数の長いベテランガイドさんと、ぼくのニュージーランドが終わった後のことを話していたときのことです。「最近になってカナダにも行ってみたくなっちゃって」とか「もともとぼくはアラスカでオーロラを見るのが夢なんですヨ」なんて話をしたら、衝撃の事実を教えていただきました。

それはなんと、「ニュージーランドでもオーロラを見ることができる」らしいのです!!
そのガイドさんによると、何年か前に、このマウントクック村から御自身の目でオーロラをご覧になったことがあるのだそうです。

でもまぁ、たしかに考えてみれば、ここマウントクック村の緯度は(南北の違いはあれど)日本でいうと北海道の旭川市とほとんど同じ南緯43度。北海道でも、空がぼんやりと赤く染まるオーロラをときおり観測できるという話は聞いたことがあるので、地球の極軸から同じ距離のここでも、同じことができて不思議ではないわけです。
しかしさらに話を聞いてみると、ニュージーランドで見られるオーロラは北海道のそれのように単色ボヤァっとではなく、きちんと(という言い方も変ですが)美しい極彩色のカーテン状になるんだとか。

どうも調べてみると、オーロラは「オーロラベルト」と呼ばれる極を中心とした輪っか状に現れるらしいのですが、その極というのは地軸(北極点・南極点)ではなく、磁極を中心としているらしいのです。そしてその磁極とやらが、北半球ではカナダ側に、南半球ではオーストラリアやニュージーランド側に寄っているために、北海道なんかに比べるとより近くで鮮明に見られるというわけなのですね。

難しい解説はさておいても、じつはニュージーランドでオーロラが見られると知ったぼく(そして相方も)の口惜しさたるや……
そうと知っていたら、クィーンズタウンに住んでいた夜長の冬のあいだだって、もっと毎晩空をチェックしていただろうに!実際に、クィーンズタウン在住の日本人で、QTで撮影したオーロラの写真集を販売されている方がいらっしゃるそうですよ。ネットで検索してみたら、サンプルのあまりのステキ写真にぼくは溜め息をつきっぱなしでした。(ご覧になりたい方は⇒こちら
しかしその方のサイトでオーロラ予報のwebページも知ったし、これからは気合を入れて毎日予報をチェックしていきたいと思います。

幸い(?)、トレッキングチーム全体が年末年始のヒマな時期になり、昨日からぼくは9連休。
当然そのあいだは収入がなくなるわけですが、ガッカリしていても仕方がないので、いままでチャンスを狙っていた小屋泊山行やちょっと難しいルートにも挑戦してみたいと思います♪

星空&オーロラ&氷河の山々、撮ったるぞーっ!!!!(>_<)/

2009年12月16日水曜日

3分の1

タイトルの数字は、ここマウントクック国立公園で一般的にいわれる、マウントクックの山頂を見ることのできる確率です。

三連休の後半、おとといと昨日はじつに一週間ぶりの好天に恵まれました。雨具を着ないで、足元も気にしないでどこでも歩けるなんて、なんて幸せな気分なんだろう!先週は登山靴や雨具が乾ききらないうちに、また次のガイドに出なければならなかったので、おととい昨日で靴も雨具もザックもその中身も、ぜんぶぜんぶぜーんぶ!乾かしてやりましたv
ちなみに12月に入ってから昨日までの晴天率を集計すると、十五日あるうち快晴だったのは二日、快晴でなくとも山頂が見えた日までいれても五日だけ。晴れでも雨でもハイキングは行われるので、山が見られなくともお客さんに満足してもらえるガイドをしなくてはならないのが良い意味でプレッシャーになってます。

そんな昨日は、ホワイトホースヒルのキャンプ場まで自転車で走って、今週ツアーの入っているセアリーターンズまで下見ハイキングをして、夕食後は先輩ガイドのIchiさんとテニスを3ゲーム先取制で7セット(ちなみに5勝2敗♪)。さらに午後8時を過ぎてからブラックバーチの岩にも20分くらい取り付いて、まさにアウトドア三昧の休日でした!

ニュージーランドでは時まさに夏至目前で、晴れさえすればなが~い一日が楽しめます。現在は、明るくなりだすのが午前5時過ぎで、マウントクックが夕焼けるのが午後9時20分。
つい先日まで、お客さんに「夕焼けは午後9時頃ですよー」なんて案内をしていたのですが、しばらく降り続いたうちにだいぶ日が延びていたんですね。

激しい三寒四温をくり返しつつ、ここマウントクック国立公園も真夏に向かいつつあるようです。

2009年12月8日火曜日

岩遊びとセバストポール

10月、11月上旬は快晴がつづいていたマウントクックでしたが、ここ二、三週間は「マウントクックらしい」悪天候が続いています。気がつけば、ワーホリで(同一雇用主の下で)働ける三ヶ月も折り返し点をまわってしまい、まだほとんどどこにも登ってないじゃん……と、やや焦りすら感じてしまう今日この頃です。

これは、好天に恵まれた休日を逃していてはイカン!と一念発起して、おととい昨日と、先輩ガイドのRyoさんにボルダリングとMt.Sebastopol(セバストポール山)へと連れていっていただきました。

マウントクック周辺で気軽に行けるボルダリングスポットとしては、村のすぐ裏手を流れるBlack Birch Stream(ブラックバーチ川)の岩壁やWhite Horse Hill campsite(ホワイトホースヒル・キャンプ場)の裏の岩があるのですが、今回はうちらのロッジから10分もかからないで行けるブラックバーチに案内してもらいました。
ぼくのクライミング経験は、大学のワンゲル時代の沢登り経験が二年ほどと、わずか数回の人口壁のみ。(ちなみにクライミングというと「上」方向に壁を登っていくことで、ボルダリングというとあまり高くないところを「横」方向に壁を伝っていくこと、、、だと思います^^;)
Ryoさんに腕を楽にするコツや、足に乗るコツなんかを教えてもらいながらとりあえず取り付いてみたのですが、むむぅ、どうしてなかなか。「オレも久しぶりだからね」なんて言いながら、すんなり端から端まで行けてしまうRyoさんのようには行きません。それでも「センスいいよ~」なんてオダテられながら30分ほど交代でしていたのですが、やはり慣れぬ岩感覚にすぐパンプしてしまいましたね。



日本の春~秋に働いていた赤岳鉱泉でも、いちどアイスクライミングに挑戦したことがあるのですが、あのときも20mほどの氷壁を登りきれずに悔しい思いをしたものです。ガンバラネバ!

そして昨日も、同じくRyoさんのご自宅にいきなりお邪魔していきなりセパストポールにお誘いしてしまったのですが、快く引き受けてくださり、後輩思いのRyoさんには本当に感謝です……(T-T)

セバストポールは、ぼくらの従業員住居のあるマウントクック村のすぐ裏手(南側)、ブラックバーチ川を越えて登るレッドターンズ・トラックから、さらに登って到達する山になります。ちなみに村の標高750m、レッドターンズ1050m、そしてセパストポールが1458m。
簡単に報告すれば、つねにおしゃべりできるくらいのペースで登って、村‐レッドターンズ(45分)、レッドターンズ‐セバストポール山頂(1時間ちょい)、セバストポール山頂‐村(1時間)でした。

途中の踏みあとは案外しっかりついているのですが、ところによっては足元注意な岩場や、下山時の道見失い注意な箇所もあり、すくなくとも初めての人は経験者といくことを断固オススメします。
しかし村からわずか2時間の登りで、NZ最大のタズマン氷河、ミルキーブルーの湖水をたたえるプカキ湖、その氷河が村の水源にもなっているアネッテ山、ミューラー小屋のあるセアリーレンジの稜線と、懸垂氷河が素晴らしいマウント・セフトン、われらが最高峰のマウント・クック、そしてマウントクック村のあるフッカー谷やタズマン谷の全貌まで、360度すべてが眺められる場所に行けるというのは、なんて恵まれた環境にいるのだろうと感謝せずにはいられません。
ステキな裏山といえば『ドラ○もん』がなんといっても代表格ですが、セバストポールは、それにも負けないナイス裏山っぷりでした!



これから契約期間終了まで、いったい何日「晴天の休日」が当たるかわかりませんが、ミューラー小屋やセフトン・ビブ(避難小屋の名前)の一泊ハイク、イーストフッカー・トラックなど、残りの一ヶ月ちょいでいろいろ足をのばしてみたいですね♪

2009年12月6日日曜日

誕生日でした

昨日で26歳になりました。

じつは、なぜか知らねど、ハーミテージの日本人スタッフは11月、12月生まれが多いんですね。
昨日がぼく、今日が先輩ガイドの奥さんが誕生日だったので、昨晩は二人まとめて、日にちをまたがってのパーティーでお祝いをしていただきました。

みなさん、本当にありがとうございました!楽しゅう&美味しゅうございましたm(__)m

昨年はたしか行者小屋も終わって、冬の妙高が始まるまでのつなぎで、東京でクロネコヤマトの宅急便バイト真っ最中。
今年は、彼女こそ近くにはいなかったけれど、職場に恵まれての誕生日。
はたして来年は、いったいどこで、だれと祝っていることか……笑

どういうかたちにせよ、愉快な26歳になりますように!頑張りますよ~!!

2009年12月3日木曜日

ヒラリー卿伝記 -2-

というわけで、「ヒラリー卿の伝記本」でしたね。

本はパフィンブックスの"Reaching The Summit"。こちらの出版社のことはよく知りませんが、文章や単語の簡単さ、文字の大きさなどから思うに児童向けの本なのでしょう。伝記本というのは、いきなり話が突拍子もなく飛んだりしないので、英語の苦手な人にも読みやすくてオススメですよ。この本も、このくらいなら過度に頭を使わなくても読めるので、日本人が読む英語の伝記本としてはなかなか良い具合です。

ヒラリーは英国隊の隊員としてエベレストに登頂したため、彼はイギリス人なのではと思っている人もいるかもしれませんが、彼は北島のオークランド近郊で生まれ育った、れっきとしたニュージーランド人です。
若いうちから兄弟で養蜂の仕事をし、第二次世界大戦時は空軍に所属するもキリスト教徒のじぶんが人を殺める戦争に加担してよいのかと思い悩み、一旦離軍。そのときに初めて友人とマウントクック国立公園を訪れ、ハーミテージホテルに宿泊し、ミューラーハットを経てオリビエ山に登頂し、そこで本格的な登山に目覚めたといわれています。
戦後も養蜂家として働きながら登山もつづけ、マウントクックも含めた周辺の山々で氷雪のテクニックを磨き、やがて英国のエベレスト遠征隊からの御声がかかり、そこに参加。

ヒラリーはエベレストでは隊のなかでもバツグンの能力を発揮し、次第にシェルパのテンジン=ノルゲイとペアを組むようになり、ついに標高8500mの最終キャンプから頂上(8850m)へのアタック隊の第二候補として二人が選ばれます。
第一候補の二人は頂上まで100m足らずのところまで登るも、酸素ボンベの不調で敗退。それを受けてヒラリー・テンジン組が挑戦し、現在ヒラリーステップと呼ばれている最後の難関をなんとか乗り越え、1953年5月29日の正午近く、二人は世界最高峰の初登頂を成し遂げたのです。
その偉業から彼はエリザベス女王から「サー」の称号を与えられ、その直後に結婚。「ヒラリーと言えばエベレスト初登頂」くらいしか知られていませんが、じつはその後もヒマラヤの雪男イエティを探しにいったり、高地での人体機能の研究隊の隊長をしたり、また英国の南極大陸横断隊のサポートとして改造した農業用トラクターで南極点に達したりと、けっこうその後の探検史にも足跡を残しています。

しかしヒラリー卿の人生を語るうえで、ニュージーランドの人が本当に誇りをもって謳うのは、もしかしたら「それらの後」のことかもしれません。
長年ヒマラヤの山々に通った彼は、その後お世話になったシェルパ族への恩返しとして、彼らの生活向上のための「ヒマラヤ・トラスト」という支援財団を設立。学校や病院、橋の建設などをネパールのあちこちで行いました。それは、最愛の奥さんと末娘を飛行機事故で失ってからも深い悲しみを超えて40年以上も続けられ、現在ではその学校で学んだシェルパたちが世界中で活躍しています。
なにを隠そう、じつはここマウントクックの日本語ガイドチームで働いているシェルパの人もヒラリー卿の建てた学校を卒業しているのです。彼はシェルパ語やネパール語はもちろん、英語や、自身一度も行ったことがないのに日本語まで完璧に話し、ガイドもしてしまうというツワモノです。

ヒラリー卿は2007年にオークランドで亡くなる前から、ニュージーランド本国、そしてネパールでも英雄でした。生前からお札に顔が載る人というのも、国家元首以外でとなると世界的にも珍しいのではないでしょうか。(NZの5ドル札にはヒラリー卿の若い頃の横顔が印刷されています)
もし彼がたんにエベレスト初登頂をしただけだったら、きっとここまで国民的なヒーローまでにはならなかったでしょう。こちらの人は、いまでも尊敬の念と愛情をもって、彼のことを"Sir Ed"と呼びます。

飾り気はなくとも、類まれな能力と人格を有する者。

長い伝統で洗礼されたイギリスや、近代文明の粋のようなアメリカとも一味違う、田舎ゆえに自然と向き合うことで培われた芯の強さと素朴さをあわせもつ、いかにもニュージーランドらしい人物の第一人者といえるでしょう。

彼が生前に残した言葉です。
「いま人生を振りかえってみて断言できることがある。私がしてきた探検の多くはささやかなものだ。自分がしてきたことでもっとも価値があったのは、偉大な山々の頂や、最果ての地に立ったことではなく、ヒマラヤに暮らす大切な友人たちのために学校や診療所を建てたり、美しい僧院を再建する手伝いをしたことである」

2009年12月2日水曜日

ヒラリー卿伝記 -1-

ここ一、二週間ほど、雨と強風の悪天候が続いています。
マウントクックは、NZとオーストラリアとのあいだにあるタズマン海から吹き寄せる湿った西風がサザンアルプスの山脈でいっきに雨雪を落とすために(ちょうど冬の日本海と日本アルプスの関係ですね)、元来その山頂を見られる確率が低い山といわれております。一般的にいわれる確率がおよそ3分の1なのですが、ここ二週間に限れば、おそらく20%に満たないのではないでしょうか。

ここ数日は風もおさまったのですが、先週はずっと、晴れでも雨でも連日台風並みの暴風。フッカー谷で渡る二つの川は、突風によって下から吹き上がる水の飛沫が30mの高さにまで達し、そのうえにかかる二つの吊橋はノタウチマワル大蛇が如く。背の高い植生のない氷河地形では、風によって飛ばされた砂利が散弾銃のように顔を撃ち…… といった具合で、ぼくたちガイドにとっても、そしてもちろんお客さんにとっても、難儀なツアーが続きました。
それでも(ガイドが危険ではないと判断する範囲内で)ツアーは行われます。せっかく旅行中の貴重なお時間を割いて来てくださっているので、悪天候も含めて、この自然のスケールを感じていただきたいのです。もちろん無理をさせるようなことはしませんが、そんな日のツアーは、ホテルに帰ってきたときの、スタート時に比べてすこし逞しくなったお客さんの顔が印象的です。

自然の厳しさは、人間を強くします。肉体的に、そして精神的に。
ぼくの座右の一冊、サン=テグジュペリの『人間の土地』は「ぼくら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗せんがためだ」(堀口大學訳)という文章ではじまります。「行動の思想家」と呼ばれることもある著者らしい一文ですが、山や自然の中に身を置いたことのある人にはきっと、理解していただけるのではないでしょうか。
(余談ですが、ここのブログのタイトルも、『人間の土地』の英語版のタイトル"Wind, Sand and Stars"からのモジリだったりします)

ここマウントクック周辺の自然で鍛えられ、のちに世界的な有名人になったのが、世界最高峰であるエベレスト(8850m)の初登頂を成し遂げたエドモンド・ヒラリー卿です。
じつはヒラリー卿の伝記をマウントクックに来るだいぶ以前に買っていたのですが、しばらく手がつけられず(英語の本は、読みはじめが一番の難関なのです^^;)、ようやくこの悪天続きで本腰入れて読みはじめ、先日読みきることができました。

、、、というわけで、肝心の本については長くなるのでまた次回。つづきます~

2009年11月27日金曜日

ニュージーランドファルコン

先日のことです。隣のトワイゼルという町で、自然環境保護省(DOC)主催の「ニュージーランドファルコン」についてのプレゼンテーションがあるということで、仕事が終わったあとに知人の車に乗せてもらい、70km離れた隣町まで行ってきました。
(ちなみにこの70km離れたトワイゼルが、ぼくらマウントクック村の住民にとって一番近いスーパーマーケットや診療所がある町になります。マウントクック村は、「最寄の」スーパーやお医者まででも車で1時間弱かかるのです。なんて田舎!笑)

「ニュージーランドファルコン」とは、ニュージーランドに固有の猛禽類としては唯一の鳥。日本語でいうとハヤブサのことですね。以前、オフの日にお出かけした隣のタズマン谷で見かけて写真を撮れて以来、なんとなく親しみを感じているのですが、一般にはなかなかお目にかかれない貴重な鳥の一種なのです。

説明会は町のイベントセンター内のシアタールームで、写真のスライドショーを使いながら行われました。
プレゼンターは、鳥類の先生などではなく、地元のアマチュア研究者。聴衆はというと、こちらもやはり地元の自然愛好家や家族連れ。夜の7時からの説明会とはいえ、外はまだまだ9時まで明るいニュージーランド。ちいさい町のことゆえ、参加者のほとんどはご近所さんなので、会場ははじまる前から和気あいあいでした。
自然愛好家なんていうと、日本ではおおげさに聞こえてしまいますが、こちらでは長期休暇になるとキャンピングカーでキャンプアウトしたり、湖に自家用ボートを浮かべて釣りを楽しむなんてのがごく当たり前なので、ちょっと田舎町で育てばだれだって自然愛好家になってしまうんですね。

鳥の希少種の説明会なんていっても、けっしてカタクルシイものではなく、晩飯後のパブに行くまでのあいだを埋める余興くらいの雰囲気なのです。ジョークや笑いも混じった、愉しいプレゼンテーションでした。
しかしだからといって内容が薄いわけではなく、皆さんそれぞれの興味で集まっただけあってさすがに熱心!質疑応答も盛んに行われ、子どもたちの素朴な質問から調査の専門的な手法まで、プレゼンターの方も自身の経験なんかも交えながら一生懸命答えていました。

ファルコンについての細かい特徴ももちろんネイチャーガイドとして勉強になりましたが、それよりも何かのスペシャリストになるためには「好きでネバり続ける」ことが大切なんだと、改めて認識させられました。
いまだ人生の方針定まらぬ私うっしーですが、いつまでもフラフラしてないで、そろそろ自分も進むべき道を考えはじめるべきですかね?

2009年11月23日月曜日

アーサーズパスへ -2-

さて、片道二日をかけたアーサーズパスからマウントクックはハーミテージホテルへと戻ってきました。
行きはクライストチャーチまでヒッチした同じ道を、今日は贅沢にもハーミテージ従業員なら割引価格で乗れる日本語ガイド付きバスで帰ってきました。しかしやはりガイドがガイド付きバスに乗ると、他の人がどんなガイドをしているのか気になってしまってリラックスどころではなくダメですね(^^;) たぶん今日の乗客のなかで誰よりも気合を入れてはなしを聴いていたのは、ほかでもない、他のどの乗客よりもNZについて知っているぼくだったでしょう。おかげでぼくもお客さんに話せるネタが少し増えましたが……

けっきょく、アーサーズパスには金曜日の昼前から土曜日の昼過ぎまで、丸一日とちょっといたことになります。無事に相方とも会うことができ、彼女の職場(Arthur's Pass Alpine Motelと村唯一のストア)も見ることができました。
せっかくだから相方のガイドで色々歩いてみたくもあったのですが、長距離の移動で疲れていたのと天候もイマイチだったので、外出は初日にワイマカリリ川沿いのBB Trackを往復三時間ほど歩いただけ。しかし場所こそ違えどおなじニュージーランドの国立公園。生えている植物はだいたい同じで、たいていの草木の名前が分かったのは嬉しかったですね。
あとは相方が住んでいる従業員部屋でDVDを見たり、これから帰国までの計画を立てたり。

食事はMotelのオーナーが先日獲ってきたという鹿肉(いわゆるヴェニソン)のステーキとセロリスープ。あとお土産でベーキングパウダーやイースト菌を買っていってあげたら、スコーンも作ってくれましたよ。ひさびさの相方手作りがうまい~♪

次回相方と会うとしたら、順番的には次は相方がこちらに来る番ですよね?
楽しみにしてるよ、こたろう君!

2009年11月19日木曜日

ふたたびArthurs Passへ

こんばんは、みなさん。先日のしし座流星群は見られましたか?
NZでは時間帯が明け方にかかってしまう不利な条件のなか、マウントクックのワーホリガイド組は頑張りましたヨ!夕食後からキャンプ場まで行きテントを張って、もともと灯りの少ないマウントクック村からさらに灯りの少ない暗闇へとエスケープです。

、、、が、結果は一晩中「薄曇り」で、星のひとつも見られませんでした↓↓

起きてても無駄らしい雰囲気を早々に察し、けっきょく2人用テントに3人宿泊という、単なる狭苦しいキャンプアウトになっただけというオチでございました(--;)

ちなみに今日からぼくは四連休。自発的にいただいたのではなく、お客さんがいないための強制休暇。仕事がないのは悲しいけれど、悲しんでいてもしかたがないので、ひさびさに相方のこたろう君に会いにアーサーズパス国立公園まで行ってみることにしたのです。
マウントクックからアーサーズパスは、同じサザンアルプスの中に位置しながら、いちど東海岸のクライストチャーチを経由しないといけないという交通の便の悪さ。バス代がかかるうえに、乗り継ぎがうまくいかないので片道二日もかかってしまいます。

しかし今日は、せめてバス代くらいは!と気合を入れて、マウントクックからクライストチャーチまではヒッチハイクで移動することに。

海外での初長距離ヒッチの結果はというと、、、万事順調!!

9時半に村の出口からはじめて、一台目は15分と待たずにイギリス人カップルの車に拾ってもらい、二台目は一台目から下りて30秒後にとおったテカポで働いている若者達の車、三台目も10分と待たずにテカポからチャーチへ行くという、キャンパーバンに乗ったスコティッシュの老夫婦に拾っていただきました。
かかった時間は、老夫婦といっしょにとった昼食の時間も入れてちょうど5時間。バスに乗って直行するのと変わらない時間です。
おかげで午後発のバス(マウントクック発はそれしかない)では間に合わなかったお買い物がいろいろできましたよv さすがに明日は天気も悪くなりそうなので、アーサーズパスまで往復バスを予約しましたが。

帰りも当然二日がかりなので、アーサーズパスは一泊のみ。それでも夏のアーサーズパスを楽しんで、おもいきり休暇の羽を伸ばしてきたいと思います♪

2009年11月16日月曜日

マウントクック図鑑

ぼくら、今年のマウントクック・ガイドチームにはぼくを含めてワーホリ組が三人いるのですが、ぼくらがガイドとして仕事をするうえでの強い味方が「植物図鑑」と「鳥図鑑」です。登山ガイドというよりも、自然ガイドと言ったほうが適切なこの仕事柄、植物や生き物の名前は、氷河にならび、日本からいらっしゃるお客様が期待される最たるもののひとつです。
それこそ研修中は、共同生活という生活条件もあり、毎晩寝るまでわれらがセアリーロッジのリビングで図鑑をまえに「今日はこんな花を見たけどこれは何て花だ?」とか「こんな鳴き声の鳥ってわかる?」なんて勉強をしていたものでした。

そんなぼくらが日常的に使っているのが、植物図鑑は日本語で書かれたもの2冊と、鳥図鑑は日本語のものと英語のものがそれぞれ1冊ずつの計4冊。勉強中は、それらのページを手繰りながらあーでもないこーでもない言いあうのですが、そっちのは写真がわかりやすくても解説がわずかで、あっちのは説明やエピソードが載っているけど記載されている種類が少なくて、それぞれ一長一短。また、当然ニュージーランド全体での動植物図鑑なので、マウントクック国立公園には生息しないものもたくさん載っているし、逆に細かすぎて図鑑に載っていないなんてこともよくあるのです。

やはりそうなると、マウントクック国立公園だけの日本語図鑑が欲しくなるもの。でもそんな範囲限定なのはやはり需要が少ないのでしょう、ないんですね。

、、、というわけで「ないのなら つくってしまへ ホトトギス」的発想ですよ。それならじぶんたちで作ってしまおう!という話になったのです。

つくりかたは、某有名ゲームのポケ○ン図鑑からヒントをいただきました。
まず、見知らぬ花や木、鳥をみつけたら頑張って写真に撮る。
それをあらかじめ用意しておいたワードのフォーマットに貼り付ける。
その名前や特徴などを自分で調べ、もしくは知っているひとが情報を書き込む。
もしそこ以外でも見かけたひとは、発見場所をどんどん書き足していくといこう、という作戦です。

まだ作戦がはじまったばかりの現在は、既知の動植物の写真を撮って、それを名前とともにワードに載せていくだけで手いっぱい。まだそれぞれの特徴なぞ書いていく余裕もなく、それでも現状として草花・樹木・鳥などを含めてすでに60種類以上のページができ、これからさらにどんどん花が増えてくることを思うと「本当に契約が切れる1月2月までに、せめてそれまでに見ることのできる分だけでも完成するのだろうか?」というささやかな不安(というか疑問)も拭いきれません。おまけに植物はともかく、鳥などの生き物の写真はきれいに撮るのがすごく難しいんですね。

道のりはまだまだ遥か遠くですが、じぶんの勉強のためだと思って、できるなりに頑張ってみようと思います。
、、、なんて、本心を言えばただきれいに撮れた写真を遺しておきたいという自己顕示欲の現れでしかないのですが(^^;)

「ハーミテージホテルの売店に並べられる」レベルのモノは無理にしても、せめて来年ガイドとして採用されるワーホリ組のひとたちの参考にしてもらえるくらいのものは作りたいですねー。

2009年11月13日金曜日

セアリーターンズとミューラー小屋

ガイドとしてひとり立ちして、いつの間にやら一週間以上が経ちました。今年は新型インフルエンザの影響か不況の影響か、日本人旅行者の数が例年にくらべて少ないようです。ぼくたちのお仕事も、現状は二日に一回くらいのずいぶん余裕のあるシフトが続いております。
外を歩く仕事だから休日は自宅でゆっくり休養……かと思いきや、たいていは勉強のため、そして自分の趣味のために、ふだんツアーでいかないような場所へと歩きにいっています。

昨日は、今週末に「山登り」にいらっしゃる団体さんのコースの下見も兼ねて、先輩のガイドと、その先輩の友人の3人でセアリーターンズと、さらにその上にあるミューラー小屋まで登ってきました。
このコースは、ふだんぼくたちが案内しているフッカー谷のコースと違い登り勾配がキツく、日本人にとっては腰くらいまである段差を登ったり、手をサポートにつかって岩の斜面をあがっていったりしなくてはならない上級者コースとして紹介されています。一般コースは山の中腹にあるセアリーターンズ(tarnとは池のこと)で折り返しなのですが、今回ぼくらは、そこからさらにまだ雪がベッタリ残る斜面を登ってミューラー小屋まで行ってみることにしました。

先輩のガイドさんは毎年何度か小屋まで登っているけど、ぼくはセアリーターンズより上は初めてで、先輩の友人さんにいたっては、一般ルートのセアリーターンズに登るのも初めて。9時に従業員食堂で待ち合わせ、車で5分ほどの登り口のキャンプ場まで移動。9時半に出発し、15分間隔くらいでインターバルをおきながら急な登山道を1時間ほどでセアリーターンズに到着。すこしずつ雲が出てきはじめたけどまだマウント・クックも見えています。そこでコーヒーブレイクを10分ほど。
セアリーターンズより上も踏み跡はしっかりあるのですが、ちょっといくとまだまだ残雪の大斜面なので蛍光オレンジの案内板に沿いながら、ストックとトレッキングブーツで先行者のステップの後を追います。幸いに雪はほどよい程度にザクザクになっており、非常に歩きやすかったです。でもきっと朝晩は雪面が固くてアイゼン・ピッケルがないと怖いんだろうなぁ……(ちなみにkiwiの友人さんはハーフパンツにスニーカーでした^^;)





セアリーターンズから稜線に出るまでが約1時間。その出たところがけっこう風があったので、そこまでで小屋に行かずに引き返してしまう人たちもいたのですが、そこから小屋までは、広い稜線の反対側をゆるやかに登ってほんの20分ほど。反対側にまわってしまえば風もそよ風みたいなもので、対岸を圧倒的な迫力で下る氷河の風景を楽しみながら、とても標高2000m以下とは思えないような広々とした雪稜をピクニックのような気軽さで小屋に到着したのでした。たしか午後1時くらい。

小屋はガス調理器のある食堂と、二段床にマットがズラッと敷いてある寝室、夏になると常駐する管理人部屋、そして別棟の簡易トイレからなっています。水タンクもありますが、食料やナベなどの調理器具、それに寝袋は持参になります。
食堂の窓からは、標高3151mのマウントセフトンの懸垂氷河や、村内からは見ることのできないマウントクックのハイピーク(最高点)がテーブルに座ったまま眺めることのできる、ナイス・ロケーションです。是非次回は泊まりで夕焼けや日の出の写真を撮りに来よう♪



小屋で昼食を食べて下山開始。このころには雪もちらほら。稜線上はスリップしないようにゆっくり行きましたが、雪の大斜面を下りるところまできたら、あとは一直線に下るだけ。登りは一歩一歩上がった雪面を、お尻をついて両足とストックでブレーキをかけつつ一気に滑る滑る滑るっ!!
三人とも雪まみれになりつつも愉しさに笑いながらアッという間にセアリーターンズまで戻り、そのままワイワイお喋りしながら車を停めたキャンプ場まで帰ってきたのでした。帰りは上から下まで2時間。先輩曰く「夏になって雪が解けてしまったら、逆にもうちょっと大変で時間がかかるかも」とのことでした。

村まで戻ったら半世紀以上まえの写真がたくさん飾られて雰囲気の良いオールド・マウンテニアーズ・カフェに入り、NZ南島といえばこれ!SPEIGHT'SのラガービールSUMMITで、初のミューラー小屋到達に乾杯!!
こうして昨日もまた、充実した休日を送ることができたのでした。

2009年11月5日木曜日

ガイドデビュー


二週間余の研修期間を経て、ようやく先日からハーミテージホテル所属の日本語ネイチャーガイドとしてひとり立ちをいたしました。

はじめてのお客さんは、女性のお二人組と新婚旅行の若いカップルの4名様。幸いに天気はスカッ晴れで、気温もまるで夏を先取りかのように暑い中、一日ハイキングの目的地であるフッカーバレートラックの最終ポイント、フッカー氷河湖まで往復することができました。
こちらにいらっしゃる前に足を負傷されてしまった方や写真を撮るために敢えてツアーから外れて歩きたいという方など、すべてが素直にいったわけではなかったのですが、その対応もまた経験。楽しいお客さんのおかげで、初めてのプレッシャーもなく、楽しみながら良い勉強をさせていただきました。(もちろん、お客さんへのガイドもしっかりできた、、、と思いますよ^^;)

このフッカー氷河湖まで歩くフッカーバレートラックは、いまを去ること3年前、ぼくがワンゲル部の同期の友人と卒業旅行でマウントクックを訪れた際に歩いた場所のひとつでもあります。
そのときはキャンプ場にテントを張りながら、ケアポイント、セアリーターンズ、そしてこのフッカーバレーを歩いたのですが、そのときのフッカーバレーの印象は、標高が上がって山岳風景がパノラマで見られるセアリーターンズに比べて「いつまでも土砂の間や木道を延々と歩かされる割に終着点が地味な場所」程度のものでした。

しかしいまにして思えばなんとまあ。当時の自分の知識や観察力のなさに恥じ入るばかりです。

植生、気候、氷河、地形、歴史。

外人さんのように、目的地(最終ポイント)までサッサカ歩いて、適当に風景の良いところで写真を数枚撮って戻るのも悪くはないですがね。せっかく聴けば驚きのバックグラウンドを隠しているこの地でちゃんとガイドに案内してもらうのも、(宣伝のつもりではないのですが笑)あながちお金の無駄遣いではないように思う今日この頃です。

またそのうち余裕ができたら、フッカーバレーやレッドターンズ、セアリーターンズなどの簡単なルート説明も書きたいと思います。
(写真は、ぼちぼち本格的に咲きはじめたマウントクックリリーです)

2009年10月30日金曜日

研修期間


ここマウントクックでトレッキングガイドとなる研修がはじまってから二週間が経過しました。
初めて自分だけでガイドをもつ日も11月3日と決まり、いよいよ「ひとり立ち」目前です。

二週間の研修期間中は、インタープリテーション(ゲストにその土地の自然や歴史を紹介すること)の内容や方法、それに事務的な必要事項を学び、また実際に先輩(というか社員さん)ガイドのグループの最後尾についてツアーを体験するということをしてきました。
うちのトレッキングチームはお客さまの大半が日本からのツアー客ということもあって、覚える内容は山やハーミテージホテルの歴史、それになにより、草木花々の名前がかなりのウェイトを占めています。日本人は概して花を観るのが好きですからね。

ちなみに現在この辺で咲いているものを挙げると、白く小さい4弁のネイティブ・ダフィン、同じく白でロンググレイン米の先端で1mmほど星型の花をつけるドワーフ・ヒース、白いスミレのニュージーランド・バイオレット、1cmほどの5弁の花クリーピング・ウーリシア、そしてここを代表するといっても過言ではないマウントクック・リリーなぞがぼちぼち咲き始めております。
花はまだ(今くらいなら)良し。まだなんとか対応できる。そのうちキレイな写真が溜まったらアップしたいなぁ。

but大変なのが鳥!つねにポケット図鑑を持ち歩き、ちいさい双眼鏡も持って歩いているのですが、なにせ声は聞こえど姿は見れず……
まだ姿と声と名前が一致するのはほんの数種類だけですかね。参ります。

あ、でもこのまえ、かなり珍しいといわれるニュージーランド・ファルコンがウサギを捕らえてる写真が取れたのはラッキーでした。せっかく国立公園/世界自然遺産内に住むことができるという特権があるのだから、あちこち足を運んでみるものですね。
ちなみにマウントクック周辺でのアクティビティも、研修という名のもと格安参加ができるのです。氷河湖をボートで巡るGlacier Explorersや、となり町のトワイゼルをベースにしているVernonさんのDiscovery Tours。ヘリコプターなどでの遊覧飛行なんかもOKらしいので、機会があればいってみたいですねー。

それ以外にも、自由時間にはいっしょに生活しているガイド仲間とテニスをしたりフリスビーしたり、貸してもらった自転車こいだり、もちろん写真も撮ったり。
なかなか忙しい毎日でブログもなかなか更新できませんが、相方こたろう君に負けじとぼくも頑張りますよ~!!


2009年10月17日土曜日

Mt.Cookでのマイホームはセアリーロッジ

ここでの新しい住居は、薪暖炉のあるリビングのソファに腰掛けながらマウントクックの山頂を眺めることができるという、なかなか(いや、予想以上に)素晴らしいロッジになりました。その名を、村のすぐ裏手にそびえる山脈からとって「Sealy Lodge」という名前です。
毎年トレッキングのスタッフアコモとして使われている棟らしく、(ハーミテージのトレッキングは、ホテル内唯一のほぼ100%日本人部門であるがゆえに)ぼくがロッジ一番乗りだったにもかかわらず、キッチンには炊飯器やたくさんのお箸、リビングにはお手製のマージャン卓など、日本文化の「香り」がそこここからしてきます。

今年のシーズンスタッフはぼくを入れて4人。まだは全員は到着していませんが、あと同じくワーホリの女の子が2人と、毎年働きに来ている40歳くらいの男性が1人で、Sealy Lodgeはトレッキング・バイトチーム全員で共同生活をすることになります。
ロッジには当然それぞれの個室があるのですが、ぼくはさまざまな理由から、一番広いけど、バス・トイレに遠くて、リビングや玄関に近い(つまりうるさい)お部屋をいただきました。でもたしかに部屋は広い、、、というか、ぶっちゃけQTにいたときの倍くらいあるし、ベッドもこころなしか横幅広いし。一人ソファや床用デカクッションもあり、懐具合はかつてなく貧しいのに、住まいだけはかつてなくリッチになりました(笑)
気になる家賃はといえば、冬場のクィーンズタウンにも勝るとも劣らないイイお値段。単純に値段だけ聞いたときは「ちょっと高くない?」と思ってしまいましたが、それに従業員食堂での三食がつき、しかも電気・薪代はとられない(ただし外線電話はテレホンカードが必要)のを思えばまあまあ。しかも週の労働時間が合計で40時間に達しない場合は、40時間を100%として、働けなかった時間分の割合を割り引いてくれるのです。
つまり、仮にお客さんがいなくてどんなに仕事がなかったとしても、それだけで収支がマイナスになることはないわけですね。

そしてなによりもここはアオラキ/マウントクック国立公園。休日のあいだに歩きにいきたい場所がたくさんありますよーっ!
ガイドで使うセアリーターンズやフッカーバレーはもちろん、セアリーターンズからさらに登ったミューラー小屋での一泊登山や、タズマン氷河湖方面、あとレッドターンズからさらに上がったマウント・セバストポルなんかにも登ってみたいし、以前やはりセアリーロッジに住んでいた社員さん曰く、ボルダリングなんかもロッジのすぐ裏でできるらしいです。自転車も違う社員さんが貸してあげてもいいよーって言ってくれたし、村にはテニスコートもあるし、けっこう日本人スタッフの家族のかわいい赤ちゃん子どもも少なくないので、3ヶ月間、忙しいことはあっても退屈することはなさそうです。

3ヵ月後に相方と再会したときに、向こうが悔しく思うくらいに精出して楽しみたいですね♪

2009年10月13日火曜日

QTからMt.Cook Villageへ

アーサーズパスのモーテルに行った相方こたろう君はさっそく働き始めたようですが、オーナーがKiwiで奥さんが日本人、それにもうひとりのクリーナーさんも日本人女性ということで、なかなか彼女にとっては程よい環境のようです。山の中の僻地ゆえ、お買い物はスーパーのウェブサイトでネット注文をしてクライストチャーチから届けてもらう手間がかかるのだそうですが、休み時間に歩くことができるウォーキングトラックがたくさんあって幸せ~♪的なことを言っていたので、心配することはないでしょう。
思う存分、山女生活を送っておくれ(笑)

ぼくのマウントクック村入りも、気がつけばもう明日。
国立公園内の村ゆえ、YHAから高級ホテルまで、各種アコモデーションは充実しているのですが、こちらもスーパーすらない(アコモデーション以外は環境保護庁DOCのビジターセンターがあるのみ)、状況としてはアーサーズパスとあまり変わらない僻地ということになります。ちなみに最寄の町は、氷河湖特有のミルキーブルーのプカキ湖沿いを走り65km先のトワイゼル。ロード用の自転車を一日必死にこいでも行って帰ってこられるか微妙な距離ですね(--;)
それでも、ぼくの仕事はハーミテージ・ホテル内のトレッキング部門のパートタイム・ネイチャーガイドだから、ホテルスタッフ同様賄メシがつくため、こたろう君のように買い物の手間がないのが嬉しいところです。もちろん、現地人のシェフだから、昨晩の「白米に鳥の唐揚げ」みたいな日本食万歳!な食事は期待できようはずもありませんが……

仕事のトレーニングは来週の月曜日からスタートするので、それまで生活の準備を整えたり、事前に配布されているガイドマニュアルを片手に、実際にウォーキングトラックを歩いてみたいと思います。

あ~、、、荷物のパッキングをはじめなくては。

2009年10月11日日曜日

クィーンズタウンを去る前に

今日のクィーンズタウンは、空は宇宙まで透けているかのように青く、太陽の放った光が、最近いっきに緑を増した大地をダイレクトに照らしているような一日でした。昼間は帽子をかぶっていても眩しく、サングラスで街を散策する観光客の姿が増えてきました。
それでも朝晩はストーブが着いていないと上着が手放せないくらい気温が下がり、まさに「一日の中に四季がある」というニュージーランドの気候の特徴がよく表れています。

QTを出るにあたって街の掲示板に貼っておいた"For Sale"の張り紙で、湯たんぽが売れました。$3也。
たまたま相手も日本人で、夏の仕事を求めてQTに来たら朝晩の寒さに驚いて連絡をくれたのだそうで。冬も終わっての今、まさか売れないだろうと思っていた湯たんぽが一番に売れる。ニュージーランドとは、つまりそういう国なのであります(笑)

ちなみに他に"For Sale"で出したものは、こちらで購入した3段本棚(売値$10)。小物トレイ($2)、携帯を買ったときに無料で付けてくれたけど一度も使っていない携帯電話用カーチャージャー($5)、それにこれまでスキーなどで使っていた雪山用のジャケット($30)。
ワードでパパッとリスト作って、デジカメで撮った写真をうまいことレイアウトして、ネットカフェでプリントアウトしたら、それらをショッピングセンターのフードコートや旅行者が見そうな掲示板に貼っておくだけ。こちらでは旅行者が多い国らしく公共の掲示板をつかっての個人的売買が非常にポピュラーで、今回のぼくのような小物から、車、フラット(ルームシェア)や、物対金でない例えば英語を教えるかわりにフランス語を教えて!とか、なんでもあるのです。
あまり大きな声では言えませんが、酷いのになると、スキーシーズン後半によく出ていた「スキー場のシーズンパス券」なんてのも……(もちろんシーズンパス券の譲渡/転売は禁止!発覚したら売った側も買った側も警察に通報されて詐欺罪?で逮捕されますよ!)

スキーシーズンが終わった直後の今は、出て行く人ばかりで完全な買い手市場。シーズン中は見られなかった$500とか$800の車もちらほら見られます。普通乗用車が日本円にしてわずか4万円!
そこまで安いのは、さすがに大抵はそれなりのボロさなのですが、ここNZにいてはさしてそれが気にならないのも事実。なにせぼくらがお世話になっているお宅で使わせてもらっていた車は、もう二十云年前のホンダ・シビック。あまりに古すぎて、左のサイドミラーはもともとなく、座席やトランクのすき間からは瑞々しい草の若葉が生えてきているくらいです。もはや植物にとっては金属と土の区別も怪しいレベルということなのでしょうかw



運転してると、時速100kmも出したら車体が走行中に分解しちゃうんじゃないかって不安になるけど、それでもちゃんと動いてぼくらを運んでくれているから、自動車というのはぼくらが思っているよりもずっとタフなんだなということを認識させられます。

ぼくらは都市間の移動は基本的に長距離バスを利用しているのですが、あちらこちらに行ってみようと思ったらけっこうお金がかかるんですよね。しかも「近隣の」観光スポットにも行きにくいし。日本みたいに、どこでも徒歩10分圏内にスーパーがあるわけじゃないし。
ガソリン代も安くない(レギュラーが1リットル160~170セントくらい、2009年9月現在)から一概には言えないけれど、五ヶ月前NZ入りしたときに$1000前後の安い車を買ってしまうのもひとつの手だったなぁと思う今日この頃です。


なんて、、、実際は、車なんかよりもロードバイクを買って、ミルキーブルーをしたプカキ湖沿いを走り、マウントクックとトワイゼルをつないでいる美しいワインディングロードでおもいっっきりペダルを漕いでみたいなー、って気持ちのほうが強いんですけどね(^^;)

まもなくニュージーランドの夏がはじまります。
ぼくのマウントクック入りは、14日の水曜日になりました。QT生活も残すところあと二日です。

2009年10月9日金曜日

『白い巨塔』

さて、相方こたろう君がQTを去ってからも、ぼくは相変わらずお世話になっているお宅で子どもの遊び相手になったり食器の片づけを手伝ったりと雑務に追われ、それなりに忙しい日々が続いております。
そんな中に在りながらも、なんとかぼく自身がここを去る前に読み終わることができました。

山崎豊子著 『白い巨塔』(一~五巻) 新潮社 

テレビ嫌いなぼくは見たことがありませんが、ドラマ化されているので、テレビで見たり原作を読んだことのある方も多いのではないでしょうか?

ご存じない方のためにあらすじを述べると、これは大学病院を舞台にした小説で、医師であるのと同時に有名医大の助教授でもある二人が主人公です。
片や性格は良くないがメスがバリバリに切れ、最近はマスコミからも脚光を浴びている有名外科医。片や医師としての正義感がつよく、地味だが優秀で真面目な内科医。
かつては同じ教室で学んだその二人が、学内の教授選や、誤診で死なせてしまった患者の医療裁判でそれぞれの信ずる正義を押し通そうとした結果、まったく違ったそれぞれの道を歩むことになってしまった様子が描かれています。

前述のようにぼくはこのドラマを見たことがないので、原作とドラマの比較はできないのですが、ぼくがこれを読んでまず感じたのは、一般的に言われる「現在の大学病院医療の問題に切り込んだ筆先の鋭さ」よりも、その「繰り広げられる人間ドラマの濃さ」でした。
たしかにこの小説の要点は、大学病院医療の問題点をおおきく浮き彫りにして(いるのだと思)いますが、そこで繰り広げられている「人間ドラマ」は、大学病院に限らず、他の多くの場面でも問題視されているものと性質を同じくするもののように思います。つまり「権力のために捨てる良心」と「良心のために捨てる権力」ということです。
人生においてどちらかの選択を迫られたとき、とくに裁判のように白黒を明確に表明しなくてはならないとき、多くのひとはスッパリとどちらかを選択するのではなく、多少なりの迷いが生じることでしょう。この小説では、各登場人物にそれぞれの性格、環境を用意し、裁判が進むうちに生じるそれぞれの思惑や決断、苦悩がじつに丹念に書き込まれています。

ストーリー展開も前回読んだ同著者による『不毛地帯』よりもテンポ良く、いっきに読みすすめることが出来ました。医療現場や裁判の描写も、少なくとも門外漢の自分から見た印象では非常にリアルで、興奮したり緊迫した雰囲気を存分に味わえました。
三巻までで一旦筆をおいて、しばらく間を開けてから四巻と五巻分を加筆したとのことですが、その終幕も味わい深いものでした。

山崎豊子とは、改めてすごい人ですね。

2009年10月7日水曜日

こたろう君とのしばしの別れ

いよいよ明日は、相方こたろうが彼女のつぎの仕事場であるアーサーズパス国立公園へむかうためにクィーンズタウンを出発する日。明日9時発のバスでひとまずクライストチャーチに出て、そこで翌日一日かけて日用品などの準備をし、10日の土曜日に現地入りらしいです。
ぼく自身の、つぎの仕事場であるマウントクック国立公園への出発は来週の予定ですが、とりあえず相方とはこれで三ヶ月ほどの別れとなります。

振り返れば、本当に一年間も(資金的な問題で)滞在できるのか、甚だ疑問なままにニュージーランド入りして早五ヶ月。普段の旅行とはまったく違った感覚で、時間が飛ぶように過ぎていきました。働きもせずにスキー場へ繰り出し、あちらこちら小旅行をして、イントラ試験があって、最後の一ヶ月は先天的障害児のチャイルドケアでエクスチェンジ(報酬をもらわないかわりに宿泊代や食費をもってもらうという労働形態)をさせてもらって、「生活をすること」と「旅行すること」ではこんなにも日々の見え方が違うものかと、いまさらのように感じています。

そこに常に横に居てくれた相方こたろう君。いろいろ喧嘩もしたけれど、やっぱり離れるとなると淋しいやら(英語ダイジョブだろか……)などと心配してしまうやら、なかなか心穏やかにはいかないものです。





、、、くらい書いておけば、きっとぼくがつぎの仕事にむけて頭がイッパイで、(まぁなんとかやってくれるでしょ)とじつはあまり気にも留めていないなんてことにも気づかずに、口もとニヤニヤさせながら行ってくれることでしょうw

頑張りたまえ、こたろう君。健闘を祈る!! 3ヶ月後の再会と、アーサーズパスでのお土産話を楽しみにしているよ!

2009年10月4日日曜日

スキーシーズン閉幕

ついにこの時がやってきてしまいました……

コロネットピークスキー場が今日までの営業でクローズ。もうひとつのリマーカブルススキー場も、来週末でそのシーズンを終えます。もう街の桜は散ってしまいすっかり春も過去のものになりつつ、、、なのかと思いきや!!

昨日は朝起きて窓のブラインドを開けてみたら、なななんとビックリ!外は一面の雪景色!!!!

シーズン中も下界で雪が降るなんてなかったのに、よりにもよってシーズン最終日の前日にこんな雪が降ろうとは。相方とふたり、朝食をとる間も惜しんであわてて準備を整え、うっすらと雪積もるドライブウェイを急ぎ足で出発。さすがに街のメインストリートこそ除雪されていますが、路上駐車している車や歩道のベンチには2~3センチの雪が積もっており、これまでにない冬の様相です。
街がこんな感じなんだから、スキー場はいわずもがな。

とてもシーズン終わりとは思えない、すんばらしい、オーバーヘッドパウダーでした♪

一シーズン滑って少しずつ覚えていった、いつも最後まで荒らされずに残るパウダーの吹き溜まりに、ぼくのと相方のと、二本ずつシュプールを残し、もうお腹イッパイというところで雪に恵まれた今シーズンに最後の幕を下ろしたのです。
やはりどこかに春を匂わせる、わずかに抵抗を感じる粉雪の中で、テレマークらしい一歩一歩を踏みしめるようなターンを満喫させていただきました。

今のぼくになるきっかけを与えてくれた妙高のビルさんの言葉。

"I like to ski IN the snow, not ON the snow."

まさにその言葉どおりのシーズン締めくくり。はるばるニュージーランドまで来て、無事に良いシーズンを送れたことに感謝の言葉もありません。

現在は、それぞれ次の仕事に移動するまでの準備中。日本に送りかえすものは箱詰めし、不要なものは処分、それ以外は本当に全部ザックに詰められるのかお試しのパッキング。
なかなか(子供と遊ぶのに)忙しくて準備が進まないのですが(^^;)、残り短い期間で、できるだけ最後のQT生活を満喫していこうと思います。

2009年10月2日金曜日

パブロバ職人までの道は遠い

一昨日、お世話になっているお宅の、日本に一時帰国していたお母さんと妹ちゃんが帰ってきました。(帰国から帰ってきたというのもおかしな話ですね^^;) 妹ちゃんは身体中から元気がはちきれんばかりに溢れている小学2年生。つねに家の内、家の外とところかまわず跳ね回り、いっきに家の中の人口が倍になったかのような賑やかさです。
ぼくらのハウスキーピングとチャイルドケアの仕事も、正式にはお母さんが帰ってくる一昨日までだったのですが、親切にも「つぎのお仕事に移動するまで居ていいのよ」と言ってくださったので、もう一、二週間ほど、最後のクィーンズタウン生活を楽しめることになりました。ちょうど子どもたちの学校も先週までで春休みにはいっているので、今日はクィーンズタウンのシンボル的存在である蒸気船「アーンスロー号」に乗り対岸のウォルターピークの牧場見学に行ったりとか、週末にバーベキューをしようかとか、楽しげなイベントがつぎつぎと計画されております♪

ところで先日、お母さんたちの帰国をお祝いするため、ニュージーランドのご家庭でポピュラーなメレンゲケーキ、「パブロバ(Pavlova)」をつくってみました!

材料は卵白(3個分)と砂糖(1カップ)、水(大さじ3)、酢(小さじ1)、コーンフラワー(小さじ3)、バニラエッセンス(小さじ1)。

つくりかたは、まず卵白と水を泡立ててメレンゲをつくります。それに酢とバニラエッセンスとコーンフラワー(日本でいうコーンスターチと同じものなのかな?)を入れ、さらに泡立てます。ひたすら頑張って泡立てます。



それをベーキングペーパーを敷いたおおきなケーキ型に流し込み、150℃で暖めておいたオーブンに入れ、待つこと45分。オーブン内ではメチャメチャ膨らみますが、いきなり外に出してしまうと冷えて真ん中がペショッとつぶれてしまうので、オーブン内で自然冷却させて出来上がり。
それに缶詰のピーチやパイナップルを添えて、生クリームをかけていただきます。(レシピは"Edmonds Cookery Book"より)

カフェやレストランなどのパブロバは、すーーーーーーーーんごく甘くて、たいていの日本人の口には合わないのですが、ご家庭でつくればと甘さも控えめなで美味しーーいのがつくれるのです。

が、それをペシャっとつぶさないようにつくるのが難しい!

ぼくも頑張って泡立ててオーブンに入れたまでは「一見」良かったのです。赤々としたオーブンのなかで、まるで噴火寸前の火山のように膨らんでイイカンジだったのですが、45分たって火を落とし、そのまましばらく冷めるまで放置しておいたら、盛り上がっていた中央部が見る影もなくペシャンコに↓↓



・・・・・・(T-T) ??

その後いろいろとネットでレシピを見てみたら、どうも卵白のなかにほんの一片の卵黄が入ってしまったのが原因みたいですね。順調に泡立てていたら、途中からやけにシャバシャバになってしまったと思っていたのですが、卵黄がわずかでもメレンゲに入ってしまうとそれだけで壊滅的なんだそうです。

というわけで、最初のトライは失敗。
失敗とはいえ捨てるわけにもいかず、けっきょく食卓には出したのですが、現地人のお父さんに言わせても、パブロバは(他のパンケーキやスコーンと違い)自宅でつくるのが難しいのだそうです。むかしお父さんがトライしたときも、市販のやつの半分の高さにしかならなかったと教えてくれました。


ちなみに上の写真は、市販のパブロバをつかったもの。QTを去るまえに、、、もういちどくらい試してみたいものです。

2009年9月29日火曜日

スノーボード初挑戦!

一昨日、日曜日のことです。おなじみコロネットピークスキー場でスノーボードをしてきました!!!!

これまで長年アルペンスキーや山スキー、テレマークスキーで雪のうえを滑ってきたけれど、スノーボードは生まれて初めて。
以前から、バックカントリーで見かける上手いボーダーの滑りはサーフィンみたいで本当に気持ちが良さそうだし、いつか機会があれば試してみたかったのです。幸いにもうぼくのイントラ試験も無事に終了したし、最近は気温も高くて雪も軟らかいからコケても痛くなさそうだし、それにこっちのスキー場は初心者バーンのコース設定がしっかりしている(きちんと柵で区切られてマジックカーペットリフトやロープリフトも完備!)から、試すなら「いましかない!」と決めた次第です。

初めて履くボード用ブーツは、歩きやすくて暖かい。板はバートン(シリーズ名は知らない)。


想像はしていましたが、想像以上にコケました(笑)
春雪ということもあり、もう手袋もジャケットもパンツもびしょびしょ。

無謀にもレッスンも受けずにイメトレのみでマジックカーペットの緩やか初心者スペースからはじめて、おっかなびっくり、ふたりで転げまわりながらターンの練習。
なかなか板を「ずらす」のが難しく、曲がろうとするとエッジだけ立ってしまって、たいていそのまま雪面を切るように倒れてしまうんですね(^^;)

それでもしだいに慣れてきて(あいかわらずコケるのはコケるけど)、一日かけてマジックカーペットから2人掛けチェアリフト、そして最終的には4人掛けのクワッドリフトであがったコロネットピークのメイン中級トレイル「M1」でターンをつなげて滑ってくることができました!
相方は最後まで身体が「前」に倒れこむ方向のターンを習得することができなかったみたいだけど、スピードを恐れずに谷足にしっかり加重し、さらにターン外側(つまり背中側)のエッジがひっかからないように身体(もしくは膝から下)を倒しこみながら山足を後方に「まわす」のがミソですな。
あとボードでの平坦地の移動、もしくは斜面のトラバースの大変さは想像以上でした。斜面を滑ってきて、一旦停まったあとにリフト乗り場までいくのだけでもひと苦労です。

しかし、けっしてテレマークにとって代わるほどではありませんが(やはりテレの自由さに勝るものはなし!)、ボードもこれはこれでなかなか楽しいではないかというのが正直な感想です。スキーとボードの、この「縦」と「横」の違いは実に新鮮で、日本に帰ったら中古の安いやつを買ってもいいかなぁなんて浮気性なことも思ったりなんかしてw
でも冗談ではなく、テレマークのイントラ試験を受験しにきていた人たちの半分以上はすでに他種目のイントラ資格を持っていて、さらに自分の幅を広げるためにきており、実際本職はスノーボードのイントラだという人もいたのです。こちらでは「クロスオーバー」といい、ただスキーのイントラはスキーだけとか、ボードのイントラはボードだけとかではなく、もっと一人が多岐にわたって活躍できるシステムになっているのです。NZSIAが「スキー・インストラクター協会」ではなく「スノースポーツ・インストラクター協会」である所以ですね。ぼくのこちらでのテレマーク師匠であるBiffさんは、アルペン、ボード、テレマークのイントラ暦がそれぞれ15年とか20年以上。全部足したらもはや年齢を超えています。もうなんかステキすぎて脱帽ですよねw

というわけで、もしかしたら日本に帰ったらボードも買ってもうちょっと本腰入れてやってみるかもです。
みなさん、もしどこかでへっぴり腰でボードしてるうっしーを見かけても、「うらぎりものー!」なんて言わないでくださいね(^^;)

2009年9月27日日曜日

夏の仕事が決まりました

今日からニュージーランドは'Daylight Saving Time'、いわゆるサマータイムというやつですね。昨日までの時間から、時計が一時間進みました。夏は日が長いため、時計を一時間進ませることで会社などの朝晩の電気代を節約しよう!+放課後、アフター5(っていまでも言うのか?)の明るい時間をより長く楽しもう!という趣旨らしいですが、どうもこちらの人たちも、まぎらわしくてあまり好きではないようですね。
ともあれ、世の中はチャクチャクと「夏」にむけて動いております。

ぼくもようやく、これから、スキーシーズンが終わってクィーンズタウンを出てからの仕事場が決定しました。
10月中旬から三ヶ月間、(以前この日記でも登場した)Aoraki/Mt.Cook National ParkにあるThe Hermitage Hotel内のTrekking Departmentで、日本人観光客相手のネイチャーガイドの仕事をさせていただくことになりました。1~2週間ほどトレーニングがあり、ハイシーズンがはじまる11月ごろから実際に仕事にでることになるそうです。具体的な仕事内容は、半日、もしくは一日のホテル周辺にあるトレッキングルートのガイド。ただ先頭を歩くだけではなく、Mt.Cook国立公園の歴史や氷河地形の説明、周辺の動植物の紹介などもしなければならないし、もしかしたら夜の星空ガイドなんかもお願いすることになるかも、なんてお話も面接時にいただきました。
やはり八ヶ岳の行者小屋での(ガイド登山も含めた)経験と、マクドナルドでのマネージャーとしての経験を高く買っていただいての採用のようです。

扱いはパートタイムとはいえ、現場に出れば正社員もパートも関係のないこの仕事。「正直、なるべく楽にお金を貯めたいという人には向かない職場」だと面接時に念を押されたのですが、NZ最高峰のMt.Cookを目の前に望み、しかもあのエドモンド・ヒラリー卿とも縁の深いハーミテージホテルでネイチャーガイドとして働けるのを思えば、こんなに嬉しい仕事はありません。
晴天率のあまり高くない、ときにはホワイトクリスマスの年すらある(夏なのに!)という厳しい環境ではありますが、八ヶ岳のときと同様、はるばる日本から来ていただいたお客様にすこしでも充実した時間を過ごしていただけるように頑張りたいと思います。

、、、ひとつだけ残念なのが、この仕事は「単身赴任」なのでこれまで行動をともにしてきた相方とはしばしの別れになるというとこ。
とりあえず彼女は彼女で、10月から入れる住み込みの牧場やロッジの仕事を探し、1月中旬か下旬ごろから再びいっしょに住みながら働ける仕事を探すことになります。ちょうどそのころはフルーツピッキングがシーズンに入るので、ふたりで一ヶ月二ヶ月、フルーツもぎりまくって金貯めたいねーと話しているところです。
そしてその後は、一ヶ月ほどNZ国内を旅行し、4月なかばにはぼくの祖父から誘われたオーストラリアを縦断する列車旅行に行き、同月下旬に結婚する友人の式に間に合うように帰国、という流れになる予定です。(……予定は未定^^;)

日本はこれから冬ですね。
みなさんはもう、冬の予定、立てられましたか?

2009年9月24日木曜日

チャイルドケアというお仕事

雪崩講習会も終わってホッと一息。相方とふたり、朝夕とハウスキーピングとチャイルドケアの仕事をしながら、日中は本を読んだり買い物に街に出たり、昨日は近隣の古い街並みが残るアロータウンまで観光にいったりと、まったりとした時間を過ごしております。

お世話をしている子どもは、生まれつきの知能障害をもった13歳の男の子。お母さんのお話によると、身体や筋力こそ年齢相応くらいのものはあるのですが、知能レベルは3~4歳児くらいとのことでした。言葉は(なにせkiwiのお父さんと日本人のお母さんをもつぐらいですから)英語・日本語ともに理解はできますが、喋るのは「ダダ」とか「ママ」とか「カー(車)」「バッ(お風呂・バス)」などの簡単な単語しか言えません。あとは特定のしぐさを使ってコミュニケーションをしています。それでも学校教育は年齢にあわせて進学し、現在は専用のクラスルームと先生のいる街のハイスクールに通っています。
つまり、彼が朝6時くらいに起きてから9時前に学校にいく(障害児のため自宅から学校までのタクシー代が補償されています)までの3時間弱と、3時半くらいに帰宅してからお仕事に出ていたお父さんが6~7時くらいに帰ってくるまでの3時間ほどが、ぼくらふたりだけで彼の面倒をみなくてはいけない時間なんですね。

楽しいことと食べることが好きで、とくに『おかあさんといっしょ』のビデオなんかはぼくもいつの間にか口ずさむようになってしまったくらい大好きでしょっちゅう見たがるのですが、かれにはひとつ問題が……

それは、じぶんがやりたくなったことを、一刻も待つことが出来ないのです。
昨日も夕御飯を食べながら「麦茶」のサインを送ってきたので、コップをだしてお茶を注いで、ついでに彼が毎日飲んでいるお薬をお茶に混ぜようとしていたら、待ちきれなくなった彼はアーだのギャーだの叫びだして、「待ってて」といったらぼくの髪の毛をひっぱりだす始末。とにかく筋力は同年代の男の子並みで、しかも力の加減というものをしらないから、髪の毛をひっぱられたり腕をつねられたりするとメチャメチャ痛いんですよ。
とにかく彼の「つねる」「ひっぱる」は、彼のお父さんお母さん、そして学校の先生にも「厳しく注意して絶対にやらせないように」といわれているので、やられたら即刻大声で叱るのですが、本人はそのときはいやいやそうな顔つきで「んーっ!」とかいいながら頷くのですが、やはりついつい手が出てしまうことがあるのです。とくにタクシーの運転手さんなど、普段から注意されていない人が相手だと出てしまうことがあるようで、先日もタクシー会社から学校に苦情が入ったとのこと。

ぼくがまだ小さかったころはよく母親にふとももを思いっきり叩かれては泣いて、昔は母が手を挙げただけで反射的に防御体勢をとってしまったものでした。必ずしも体罰がいいと思うわけではないですが、やはり言ってきけない子には体で覚えさせなくては?と思うのも事実。しかしチャイルドケアとはいえ、そこまでしていいのかという気もするし……(アメリカではよくベビーシッターの虐待が問題になるのです)そもそも、彼がそれをいつまでも「できない」のは、単に甘えているせいなのか、それとも生まれつきの障害によるものなのか?
出過ぎな真似は承知しながら彼の将来を考えれば、そういう躾は彼が社会に、否応なしに、出なくてはならなくなったときのためにしておかなくては、と思うのです。彼が、それがために独りで孤立してしまうようなことになっては、あまりに可哀想ですから。

塾講師のバイトをしていたときにも感じたのですが、他人の成長にかかわる仕事というのは(当然ですが)じつに責任の重たい仕事です。でも考えてみたら、スキーのイントラだってそういう意味ではおんなじ。
まっ、悩んだって未来のことは分からないから、とにかく試行錯誤でやってみるしかないんですけどね。

2009年9月19日土曜日

ISIA Avalanche Course

NZSIAのテレマークインストラクター試験につづき、火曜日から金曜日まで、同じくNZSIAで申し込みをした雪崩講習会"ISIA Avalanche Course"に行ってきました。これは、ニュージーランドのスノースポーツインストラクター協会が提供し、国際的なスノースポーツインストラクター協会(ISIA)でも認定されている雪崩講習会だそうです。
場所は、イントラ試験と同じくカードローナスキー場。参加者は、コロネットピーク、リマークスでボードのイントラをしている3人組と、トレブルコーンでスキーのイントラをしている女性、それにぼくの計5名。指導員は、トレブルコーンで働いているスキーイントラ上がりの女性パトロールの方。

まぁ簡単に結果だけいうと、、、物足りなかったです。

コース初日の初顔合わせでの自己紹介。自分の名前やスノースポーツに関する経歴の他、このコースを選んだ理由も言っていったのですが、他の参加者のをきいていると「ISIAの資格をとるためにはこれを取らないといけないから」という言葉ばかり。つまりこれは「本当に雪崩(雪山)のプロフェッショナルになりたい」人のためのものではなく、「より国際的なイントラ資格をとるために、一応雪山としてのスキー場についても知っておきましょう」くらいのものだったわけですね。
というわけで、当然他の参加者はバックカントリー未経験、ビーコン、スコップ、プルーブはおろか、スノーシューやシールですら持っておらず、コースの期間中だけ必要装備をレンタルしていたのでした。

その4日間の内容はというと、天気図を使った天候の変化の読み方、天候のデータを基にした雪崩危険度の判断、地図の読み方、雪山(バックカントリー)でのルート選択、簡単な弱層テストのしかた、ビーコン捜査にはじまるレスキュー訓練、雪洞掘りなどを、机上講習とスキーフィールド/バックカントリーフィールド講習をおりまぜて行われました。やはりぼくにとっては、既知の知識ばかり。
最終日の試験は「20m×20mの範囲内に埋められた一つのビーコンを4分以内に見つけ出すこと」で、このコースで初めてビーコンに触ったという参加者も最終日には余裕でクリアしていましたよ。

ちなみにこのコースはOtago Polytechnicによって実施されていたのですが(ポリテクニックとは、専門知識/資格の取得を目的とした国立の総合専門学校のことです)、もっと本格的に雪崩の勉強をしたい人はポリテクの"Avalanche Safty Management"というコースのStage 1、さらにプロフェッショナルを目指すならStage 2を取るらしいです。というか、ニュージーランドでスキー場パトロールやバックカントリーガイドになるには少なくともStage 1は合格しないといけないのよ、とのことでした。

コースがはじまる前は、こしもざらめとか湿雪表層面発生雪崩とか、英語で覚えなければならないんだろか……とだいぶ不安に感じていたのですが、実際に覚える必要がない(というかそういう専門的な呼び名は出て来もしなかった)とわかったら拍子抜けで物足りなく感じてしまうなんて、やっぱりテレマーカーってのはMな性格なんでしょうかね。

これでこの冬の「やるべきこと」として考えていたものは、本当にぜーんぶ終了!無事にイントラ資格も取れたし、クラブフィールドやマウントクックにも行けたし、パウダーもお腹イッパイとまではいかなくともそれなりに味わえたし。
クィーンズタウン周辺のスキー場は、どこも十月第一週か第二週の日曜日がクローズ予定日。それまでは(これまで怪我しちゃならんとガマンしていた)パークの練習や、ちょっとスノーボードなんかにもチャレンジしてみたいと思います♪

せっかくなんだからね!
いつだって、積極的に「生まれて初めて」の体験を探し求めていきたいものです☆

2009年9月14日月曜日

『不毛地帯』

先日クライストチャーチで参加(というかバイト)してきたフジテレビ系ドラマ『不毛地帯』の原作を読みました。たまたま現在住んでいるお宅に新潮社の一巻~四巻まで全巻そろっていたので、エキストラバイトから帰ってきた翌日から読みはじめ、NZSIAコースのあいだもワナカまで持っていき、ようやく先ほど読み終えたところです。

山崎豊子著『不毛地帯』

山崎豊子さんの作品を読むのはだいぶ以前に『大地の子』を読んで以来。当時は高校生だったか大学生だったか、小説とはいえ、戦争が人間個々人の人生に与えた影響の大きさというものを初めて認識し、小説としての素晴らしさも相まって大きな衝撃を受けたのをいまでも覚えています。
今回は、たまたまエキストラとして出演したのを縁に読みはじめたのですが、期せずして戦後モノが続いたことになります。なにぶん普段からニュース以外はテレビをつけないので、おなじ山崎豊子作品の『白い巨塔』などドラマ化されたものも名前を聞いたことがあるくらいで、まったく視たこともなければ原作を読むこともなかったのです。

戦争中、大本営作戦参謀だった壱岐正が11年間の強制労働をともなうシベリア抑留後、関西の商事会社にスカウトされ、自衛隊の戦闘機の売り込みからアメリカとの自動車摩擦、中東での油田開発といった戦後日本の経済をそのまま語っているような商戦に巻き込まれてゆく様が、じつに丹念に描かれています。
大本営参謀として大勢の兵士の命を戦争で失ってしまった自責の念と、次こそは国家のために国益のためにという気持ちと、商社の人間として必要に迫られる「汚れ」のあいだで揺れる壱岐が、それぞれの場面でどのような選択をし、商社マンとしてどのような最後を迎えるのか…… 

最後のほうの油田開発の専門用語なんかはやや飛ばし気味に読んでしまいましたが、じつに楽しませてもらいました。
教科書で習った歴史と、じぶんの祖父や父が生きた時代が初めてリンクしたような気がして、いかにじぶんが祖父、父のしてきたことの知らないかという事実に思い至りました。

ぼくが主人公の壱岐さん(撮影スタッフの皆さんも、俳優名の唐沢寿明でなく「壱岐さん」と呼んでいた)の後ろのほうで出演している(土木作業している笑)、、、のはさておいても、是非ご覧になってみてください。10月15日22時、初回放送だそうです。(たぶん)

2009年9月13日日曜日

NZSIAテレマークインストラクターコース

先日の日記のとおり指導員試験も合格し、昨日クィーンズタウンに帰ってきました。

街は春というにはいささか暖かすぎるくらいの日差しに照らされ、路行く人の小脇には、着て出たはいいけれど暑くなって脱いでしまったフリースの上着が邪魔っけそうに抱えられています。ワナカに行っている五日間のあいだに、ワカティプ湖越しに観るセシル・ピークの山肌も、雪の白から一気に荒地の茶色っぽさを増しました。

簡単にNZSIAのテレマークインストラクターコースの五日間を振り返ってみようと思います。

そもそも、NZSIAのテレマークインストラクター制度はLevel 1からLevel 3の三段階に分かれており、実質的に初年度に取れるのは今回ぼくが受けたLevel 1&2コースのみ。Level 2を合格すると、次年度以降、Level 3プレコースを経て、Level 3コースを受けることができます。Level 1&2は、テレマークスキーの道具の紹介から始まって、マジックカーペットの初心者バーンでのターン導入、連続ターン、中級バーンでのポールなしの連続ターン、ポールを使っての連続ターンまでです。

今回のコースの参加者は、ニュージーランド人4名、オーストラリア人1名、チェコ人1名、日本人1名(つまりぼくですね)の生徒計7名と、NZSIAからのコーチが2名。うちkiwi3名とチェコ1名はすでにアルペンやボードで指導員資格を持っていて、現在もスキー場で働いているという背景でした。(ちなみに一人は初日のレッスン中にボーダーにぶつけられて途中リタイア)

その内容は、大きく分けると、1)デモンストレーション(生徒にレッスンを施す)の練習、2)フリースキーイング(個人技術)の上達の二つ。
1)のほうは、NZSIAのレッスンの組み立て方をマニュアルで学んだあとは、他の参加者を生徒と見たててレッスン運びの練習をし、それを互いに添削・議論しあいながら磨いてゆき、最終日には実際にテレマーク未体験の生徒を教えてみるという流れです。
そして2)のフリースキーイングは、中級バーンで実際に生徒に手本を示すためのできるだけ丁寧で解りやすい滑りや、カービングターン、オフピステエリアでは悪雪でのテクニックとして1ステップターン(NZでは1step-Drop Turn)や2ステップターン(1-2step Turn)、シュートに入ってのジャンプターンなどのコーチングでした。
生徒の希望で、ちょろっと遊びでパークにも入ったのですが、さすがにNZSIAのコーチもパークは専門外とみえて、ボックス(日本でいうレールですね)に乗った途端に横転、横腹を強打して苦い顔をしてました。(もちろん生徒はやんややんやの大笑い^^;) いやでも、さすがにRemarkablesでアルペンのフリースタイルのレッスンをやっているというチェコの女の子は巧かったですね。ぼくも彼女にコツを教えてもらって、超ゆっくりながらも初めて横向きでコケずにボックス滑れましたよv

このコースで一番大変だったこと。

それはNZテレマークの教程が、いまだに斜面に正対が基本であるということ。それは板がどの方向を向いても上体はフォールライン向き、つまり足元がまわるにつれ上体は捻ってカウンターローテーションを起こさなくてはならないのです。分かりやすくいうと、人間が歩くときに手足が左右逆に出るのと同じ動きですね。
これは、まだ板が細くてサイドカットがなかった時代の、身体のバランスを保つためのテクニック。プラスチック製のブーツやカービングの板が主流となった現在は、より高速化したスピードの遠心力に負けないために手足の左右が同調する滑りをするひとが多く(身近な例をあげれば、ぼくがお世話になっていたMBSSの永峰校長は顕著ですよね)、ぼく自身ずっとその滑りだったので、それを身体に叩き込むのには苦労をしました。。。

そしてこのコースで一番印象的だったこと。

「レッスンに言葉は必要ない、生徒はコーチを見て、コーチと滑って学ぶ」ということ。ぼくが最後までコーチに言われ続けたのは「喋りすぎるな、あくまでシンプルに(Don't talk too much, Keep It Simple!)」という言葉。日本人で、英語がそこまで得意ではなくて、それがゆえになるべく説明しようとして喋りが長くなってしまう……皮肉なことですよね。
しかしそれを矯正するためのレッスンが面白かった!コースには英語のネイティブでない生徒が二人いたわけですが、ある日コーチがぼくらに、それぞれ日本語とチェコ語でレッスンをしてみろと言うのです。英語はいっさい禁止。
まずぼくはお辞儀をしながら「はい、みなさんこんにちはー!」。身振り手振りをまじえながら「みなさーん、こっち見てー」、「ひとりずつこうやって滑ってきてー」、そしてサムアップしながら「いいねーいいねー♪d(^v^)」。たまにオッケーとか、レッツゴーとか出るのはご愛嬌w
英語ネイティブたちも生徒が耳が聞こえなかったらという想定でレッスンをさせられて、無言でレッスンをしているカカトの浮ついた謎の連中を、昼食中のご婦人が怪しげな目つきでずっとチラ視していたのが笑えました。

最終的な合否の判定は、最終日の実地レッスンだけでなく、全体を通じての評価。最終日のレッスン後、スキー場から下りてきてすぐのCardrona Hotelのパブで再集合。そこで皆でビールを飲みながら、ひとりずつ呼び出されての結果発表。
合格ラインはオンピステ/オフピステでのフリースキーイング、デモンストレーション、教程理解、グループマネージメントや練習法の選択などのコーチング技術の四大項目を、10点満点でそれぞれ6点以上。
合格者は総合点150点満点中135点のチェコ人の女の子を先頭に4人で、ぼくは115.5点の4人中4位通過でした。残りの2人はLevel 1のみの合格ですが、実質的にはふたたび同じコースを受けなくてはならないから、不合格ということなのでしょう。

しかし合格でも不合格でも、とりあえずコース終了祝いに皆で飲むのがNZ流(なのか?)。合否発表のあったカードローナホテルではもちろん、その後もワナカのTROUTというバーに場所を移して、ビールを飲んでチップスつまんで……
ご存知のとおり酒に強くないぼくは、なにやらゼリービーンズのような、いかにも健康に悪そうな後味の悪い黒いショットをいって、つぎにテキーラが出てきたところでギブアップ。早々に席を辞して、満天の星空の下、ワナカ湖からの心地よい風を浴びながらブラブラ歩いて、宿泊先のYHAまで帰ったのでした。

2009年9月11日金曜日

Here's the result for the exam

I... GOT IT!!!!

Pass the exam for NZSIA Telemark Instructor Level1&2, which means I can teach the Tele bigginer to intermidiate.

Thanks for ALL! I'm really happy now.

2009年9月7日月曜日

from Wanaka

Just for some notes,

As my partner wrote in her blog, my interview for the Nature Guide in Mt.Cook in summer season could feel like very nice and if I pass the interview (I'll have the reply from them till end of September), I'm gonna work there maybe from October of Novenber.

I'm now staying at the YHA in Wanaka, for the NZSIA Teremark Certification Course just starts from today. It's not just a test, but a 5-day course to become a instructor, and I'm having much fun with other members in the course. As I'm a Japanese, yeah, there're some problems to have the comunication to teach in English, but I'd like to try my best to pass the exam.

The course has just begun.
Hope to be able to tell you a good news on Friday.

See you then! ;-)

Nori

2009年9月4日金曜日

musya-burui

NZSIAテレマーク指導員試験の幕開けまで、残り二日となりました。

試験がはじまるまでのウォームアップとして自分に課した「(先日の案内メールに添付されてきた)参考資料の翻訳作業」は、枚数的には三分の二を終えながら、じつのところまだ最も難解そうな技術解説部を残しており、はたして月曜日までに終えられるのか!?といったところです。
「翻訳」というものは、なにぶん大学が英文学の専攻だったのでそれなりに経験はあるのですが、スキー技術ともなるとニュアンスは十分に理解できても、日本語の文章に置き換えるのがひと苦労で、英語と同時に日本語の勉強もしているような気分です。

月曜日まで時間はあるといっても、明日土曜日は恒例のテレマークレッスン最終回。日曜日は夏にむけた仕事探しの一環で、Aoraki/Mt.Cook国立公園のThe Hermitage Hotelまで、日帰りで面接に行ってこなくてはなりません。パートタイムとはいえ、歴史あるハーミテージホテルでの日本人観光客相手のネイチャーガイド職。滞在資金が残り少なくなってきたのをさて置いても、是非とも合格かりたい仕事です。
しかしその面接にMt.Cookまで行くためのレンタカー探しや、春も近づいてきたこの期におよんでの30cmもの降雪によるパウダースキー(……本当は勉強のためにスキーはガマンするつもりだったのですが、新雪/深雪の響きと低気圧通過後の晴天に誘惑に勝てずに、行ってしまいました^^;)で、なかなか勉強にも専念できずに参ります。

それでも試験は試験。5日間の指導員キャンプの最終日には実際にテレマークスキー初心者をレッスンして、その評価を受けることになります。
いけるのか?英語でレッスンとか、本当に出来るのか!? 不安とワクワクで武者震いのうっしーです。

2009年8月30日日曜日

NZSIA指導員試験キャンプの幕開け前夜

さて、クライストチャーチから戻ってきて五日が経ちました。新しいハウスキーピング(家事手伝い)とチャイルドケアの仕事、そして仕事場でもあり住まいでもある現在の家にもだいぶ慣れてきたところです。

障害児の子のお世話は大変だけれど、薪暖炉の暖かい、リビング・ダイニングルームにブランコ(おとなが乗ってもダイジョウブ!)がぶら下がっていたりするステキなお宅です。kiwi(ニュージーランド人の愛称)と日本人のご両親のため、日本食材も豊富!
丘の上に位置しているため、毎日おおきな一枚ガラスの窓からワカティプ湖越しの山岳風景を眺めながら、日常生活を楽しんでいます。

しかし平穏な日々は、長くはつづかないもの。

一昨日、NZSIAのスタッフから、9月7日から五日間おこなわれる指導員試験キャンプの資料が添付されたメールが送られてきました。
なにやらスキー技術やコーチング技術についてぎっしりと書かれた英文文書が7つほど。

ハウスキーピングとチャイルドケアの仕事は、子どもが学校に行く日中は休憩時間なのですが、これから一週間は辞書を片手に、添付されてきた文章と首ったけになりそうです……

2009年8月27日木曜日

クラブフィールド(?)レポート④ -Mt.Hutt & Mt.Cheeseman-

さてさて、ぼくもようやくベースタウンのクィーンズタウンに戻ってまいりました。やっぱりクライストチャーチは(ですら?)ぼくには大きすぎる街だったようで、なんだかホッと一安心です(笑)
しかし、三日半続いたエキストラバイトやクライストチャーチでの定宿"kiwi house"では交流の輪を広げることができたし、また次の目標「NZSIAのテレマークスキー・インストラクター試験」に向け意欲は十分!充電することができました。

そんなわけで、長々と書き続けてしまった「クラブフィールドレポート」も、今回がラストです。

8月18日(火)

早朝にクィーンズタウン行きのバスに乗る相方を見送りに出る以外は宿から一歩もでることがなく、クラブフィールド旅行の疲れをとる。
同じ宿に泊まったうにかさんはぼくらよりも早い時間に出発し、とりあえずはテンプルベイスンにリベンジに行くという。ぼくは翌日、クライストチャーチからいちばん近く、また南島でいちばん大きなコマーシャルフィールドであるMt.Huttスキー場へ行くつもりだ。スキー場のHPによると、今日は終日雪、明日は曇り晴れときどき曇り、その後はしばらく霧と、行くなら明日しかない天気予報である。

8月19日(水)

前日のうちに予約を入れておいた、クライストチャーチの中心に位置する大聖堂から7時発のシャトルバスに乗る。快晴、車中からの素晴らしい夜明け。Mt.Hutt(Hu)までは2時間~2時間半の道のりである。シーズンでここに通うような人は、皆たいていはメスベンというスキー場まで45分ほどの町に住む。


スキー場に着いてみると、コースマップで想像していた以上にオフピステエリアが広い。そしてそれらが全て、昨日の雪で新雪に覆われ、朝イチバンに来たスキーヤーが「これでもか!」とばかりに雪煙を舞い上げながらシュプールを刻んでいる。遅れてなるものかと、急いでリフト券を購入する。ここはクィーンズタウンの2つのスキー場(CPとRe)と同じ系列のため、ぼくらが普段使っているシーズンパス券を提示すれば50%引きされるのがありがたい。ぼくは準備運動も足慣らしの一本ももったいなくて、いきなりまだあまり人の入っていないexpert onlyのオフピステエリアへ。強風で有名なMt.Huttのこととて、稜線近くはスケートリンクの氷のようにテラテラと磨かれた箇所もあったが、すこし下れば新雪15cm。板が浮かぶ感覚を楽しむには十分な深さである。
しかしさすがは最大のコマーシャルフィールドだけあって、ほんの十分前までいくらでもあった処女雪があっという間に蹴散らされては消えてゆく。自分もすこしでもシュプールが少ない無垢な斜面を滑ろうと攻めるあまり、固い氷のうえを覆っている薄い新雪帯でだいぶ板の滑走面を傷つけてしまった。それでも気分は上々!11時にはオフピステエリアほぼ全域がボコボコの不整地斜面となってしまったため、いい加減に見切りをつけて早めの昼食をとる。
午後は圧雪斜面でイントラ試験に向けた課題の練習と、miniパークでのジャンプ練習。すこしずつ大きく飛べるようにはなってきている、、、とは思うのだが、まだまだカッチョイイ技をキメるにはほど遠い(--;)

これで南島の五つのコマーシャルフィールド(Hu、CP、Re、Ca、TC)はすべて滑ったことになるが、単純にゲレンデ・コースの面白さで言ったらこのMt.Huttがいちばんオフピステとピステ斜面のバランスが良い気がする。ここなら新雪があってもなくてもどこかしらのコースで楽しめるに違いない。欠点を挙げるとすれば、強風や悪天候でスキー場がクローズする日が少なくないこと。そしてスキー場がクローズしてしまうと(他のアクティビティがたくさんある)クィーンズタウンと違って、クライストチャーチまで出ないと何もすることがない、ということだろう。
コマーシャルフィールドはたしかにお客さんの数は多いが、案外どこもオフピステエリアが広いので、降雪直後の午前中とかであれば、十分にパウダーを味わえるのがニュージーランドスキーの特徴であろう。板はボロボロになってしまったけれど、良き一日だった。

そしてクライストチャーチの宿に帰ったら、テンプルベイスンでパウダーをうはうは満喫しているはずと思っていたうにかさんを発見。一体どうしたのかと思いきや、アーサーズパスの駐車場で車上荒らしに遭い下山してきたのだとか。なんでも運転席側の窓が大胆に割られて置いておいた日本からの荷物をそっくり持っていかれ、警察署で盗難届をしてきたそうである。不幸哉……(T-T)

8月20日(木)

ブログの原稿を書きつつゆっくり休憩しようかと思ったら、うにかさんに誘われて急遽Mt.Cheesman(Ch)というクラブフィールドに行くことに。しっかりと一日一トラブルを続けているうにかさんに「怖いから道連れが欲しいんだよね」と言われては断れまい。うにかさんにとっても、この日が日本帰国前のラストチャンスなのである。



しかし今日は何が起こるのかと恐るおそる行ってみれば、最後の最後で大当たり!Mt.Huttとおなじ一昨日の新雪が、クラブフィールドの人の少なさゆえに上部の方はほとんど手つかず。もうそれこそこれまでのうっぷんを晴らすかのように、Tバーを登っては無垢の斜面で粉雪を舞い上げ、あるいは写真を撮り、あるいはムービーで撮影してもらい、ここぞとばかりに極上のターンを味わった。まさにこの瞬間のために一週間以上のクラブフィールド旅行をしてきたのだと、うにかさんと二人、うなずき合ったのである。
それでも午後は快晴の日射に照らされて雪質も重くなったので、下のTバーのピステエリアでイントラ試験に向けた課題練習。ずっと春スキーのように暖かく、またしても終日半袖スキーであった。



Mt.Cheesemanは、コース構成としては変化に乏しく、実際はそこまで評価の高いスキー場ではないかもしれない。しかし新雪は、いかなる優れたコース設定にも勝る。それが自然の状態ほぼそのままに味わえるのが、クラブフィールドというスキー場スタイルの面白いところだろう。
今回の旅行で訪れたスキー場すべてで素晴らしい雪質に出会えたわけではなかったが、雪質云々にかかわらず、「雪山」という場所で「自然」そのままを楽しもうとするこの国の姿勢を学んだ10日間であった。

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ようやく旅行記にも一段落つき、これから一週間くらいは板のメンテナンスや身体の休養、新しい仕事兼自宅に慣れることに専念しようと思います。なので、次の「NZSIAイントラ試験report」が始まるまではしばらくの幕間ですね。
最後までこのレポートを読んでいただいた皆さん、お付き合いいただきまして、ありがとうございましたm(__)m
いつか皆さんの参考になるときがくれば幸いです。

2009年8月24日月曜日

クラブフィールドレポート③ -Broken River & Porters-

今日で、三日半かかったドラマのエキストラバイトも無事終了。ロケ隊は今日の午後の飛行機で日本に帰国するそうです。太平洋戦争後、シベリアでの労働を強いられた戦争捕虜役。エキストラだから当然セリフもなにもないけれど、戦争というものについて考える良いきっかけとなりました。
フジテレビで10月15日、初回放送。山崎豊子原作ドラマ『不毛地帯』。初回冒頭のシベリア抑留時代のシーンで、主演の唐沢寿明のうしろのほうで川辺を掘ったり、墓の前で整列していたりします。オンエアーを直接見られないぼくの代わりに、良かったら探してみてください♪

というわけでまだまだ先週の日記がつづきます……

8月16日(日)

そろそろアーサーズパス付近の天候も回復してきたようなので、ふたたびクライストチャートから西に向かい、Broken Riverスキー場(BR)へ。これまではたいていスキー場へ行くまでの道で一日一トラブル発生していたので、この日も相当の悪路を想像していたのだが、意外とふつうの未舗装道であった。むしろ昨シーズンまでは荷物だけしか乗せられなかった(人間は20分ほど歩いて登る必要があった)グッズリフトが、ケーブルカーのように人も乗せられるようになっており、あいかわらずリフト券売り場から十分ほどは登るのだが、それでも以前よりもかなりアクセスが楽になっているのだと思う。


ここでも子ども連れで来ている家族もいたが、さすがにこれまでのLyやHSにくらべると全体的に急で難しい、中級~エキスパート向けのゲレンデ構成である。あまり雪も降っていないらしく、上のほうはコブで、特に午前中の日陰斜面はそれが固くなっていて、楽しいどころではなかった。
しかし日が高くなれば雪も緩み、たまたまこちらのアウトドアショップの試乗会が行われていたこともあって、いくつかの板で不整地を試し乗り。そして使い慣れたK2の乗りやすさを実感w たまに雲が晴れると、細くて急峻な稜線に囲まれた息を呑むほどに神々しいスキー場全体像を望むことができる。いったいどれだけスキーが好きで好きでたまらない人物が考えたのか、よくぞこんなところにロープトゥを設置してスキー場を造ろうと思ったものである。3時ごろには一面のガスでホワイトアウトしてしまったので早々に下ってきたが、終日の不整地スキーで十分にお腹いっぱいであった。(写真はじぶんのカメラを忘れたので、うにかさんからの提供)

気分良く下山して、すこしクライストチャーチ方面に戻ったところにあるSpringfieldという町の日本人(とkiwiの夫婦)が経営するYHA、Smiliesに宿泊。
事前に聞く噂はどれも良いものばかりだったから期待していたのだが、案内されたモーテルルームはお湯が出ない、半分のコンセントは使えない、オイルヒーターも壊れてる、おまけにコンセントが壊れてることを宿の旦那(kiwi)に伝えにいったら「いったいお前ら何を刺したんだ!?」と疑われる始末。オイルヒーターが使えなくて寒いから本館の食堂で晩飯を食べようと思ったら、邪魔だから自分たちの部屋で食えと怒られ…… まぁ他のスタッフの人はそんなんじゃないけど、あのオーナーには「かなり」ガッカリな宿だった。一日一トラブルのジンクスである。

8月17日(月)

残念なSmiliesは早々にチェックアウト、アーサーズパス周辺のクラブフィールドではいちばんクライストチャーチから近いPortersスキー場(Po)へ向かう。


結論からいうと、雪が少なくて上部のオフピステエリアが滑れないPortersは最悪につまらない。この日は二本あるTバーのうち上のが動かなくて、目玉のビッグオフピステバーンBig Mamaが終日滑られず。たしかに街からの距離もスキー場までの道も近くて良いのだが、逆にそのせいで多くのスキーヤースノーボーダーが集中し、大きなスキー場からあぶれたレーサー集団なんかも練習していたりして、コマーシャルフィールドの人混みとクラブフィールドの小ささというそれぞれの欠点が合体したようなスキー場であった。
あまりにつまらないので、うにかさんのデジカメで何本かムービーを撮って昼過ぎに撤収。リフト券が半額(一枚分で二枚買える)Dayだったのがせめてもの救いである。



うにかさんのレンタカーがあるのを良いことに、クライストチャーチ近郊の観光。Lyttletonの巨大アイスクリーム屋を探しにいったらすでに閉店していたので、かわりにジェラートをいただいてクライストチャーチに帰ってきた。

2009年8月22日土曜日

クラブフィールドレポート② -Mt.Lyford & Hanmer Springs-

ドラマエキストラのバイトもなんとか無事二日目が終了。今日はほとんどが待機時間(天候待ちや出番待ち)だったからとくに働いてないといえば働いていないのだが、とにかく朝早くから夜までで眠いし、おまけに寒いし、でなかなか大変だ。
今日一日で撮影できた分なんて、実際に放映されるときには15秒にもならないだろう。いやはや、撮影とは大変なものである。

8月14日(金)

テンプルベイスンをチェックアウトした前日のうちに、アーサーズパスからクライストチャーチ経由でハンマースプリングス(Hanmer Springs)という町に移動。この町をベースにしたクラブフィールドのスキー場が、この日と翌日に滑るMt.Lyford Alpine Resort('ML')とHanmer Springs Ski Area('HS')の二つなのであるが、こちらのほうが比較的天候が良かろうというのをネットの天気予報サイトで見て、Mt.Olympusに行くはずだった予定を急遽変更したのである。
夜、ぼくの運転でクライストチャーチから北に向かいハンマースプリングスを目指している途中、100km/hほどで走っていたトラックを抜こうとして失敗。車がスピンして路端の草地に落ちて危機一髪、危うく死ぬところだった(--;)
マウント・ライフォードに向かう山道はさすがに運転に慣れているうにかさんにお願いしたのだが、それでも氷あり落石ありの未舗装道でなかなかの悪路であった。パンフには'one of the easiest rode'とあったのだが、いったいどのへんが?という気分である。


しかしアクセスはともかく、ここのスキー場はかなり気に入った。コースマップを見ても分かるように、まずクラブフィールドのわりにリフトが多く、スキー場が広い。ファミリー向けのきつくない斜度が多いとはいえ、Mt.Terakoの裏側やLyford Faceをハイクすればこれでもか!という大斜面やノートラックのまっさら斜面を楽しめる。テンプルベイスンとは一転、春のような快晴の下でのザラメ斜面大滑走!
いかにも地元らしい家族がちいさい子どもたちをつれてきていて、ちびっこがおっかなびっくり滑ってはロープトゥでまた登ってゆく姿はじつに微笑ましい。そしてロッジには二匹の雪崩救助犬が常駐(?)している。パトロール曰く「オフピステを滑るときは(救助犬が埋没者を発見しやすいように)200gのラムステーキを持ってきて懐にいれておきなさい」、だそうであるw 今回は一番下のDeer Valley Pomaは動いていなかったのだが、それでもぼくらはTerako Rope Towを中心に、ベース正面のMt.Terakoの裏側やむかって右側のLyford Faceへのハイクを満喫した。



人の少なさや、初心者から上級者まで、オフピステからパークまで、全体的に難しすぎないけれどもバランスの良いゲレンデ構成で、ぼく的には今回の旅行のなかでももっとも気に入ったスキー場の一つであった。




8月15日(土)

前日のマウント・ライフォードの悪路に懲りて、ハンマースプリングスの町からハンマースプリングススキー場までのシャトルを頼む。ここは、このスキー場を運営しているスキークラブの名前から、別名Amuri Ski Feildとも呼ばれているらしい。シャトル代は一人$38。距離のわりには高いが、悪路でレンタカーが立ち往生する危険を考えれば仕方あるまい、、、なんて思っていたら、このシャトルのバンがスキー場に行く途中に通る牧場の真ん中でエンコしてしまった。
どこからともなく湧いてきたひどく焦げ臭い白い煙が車内に充満し、一時外に避難。周囲はまさしくドライバーが嘆いたように、'in the middle of Nowhere'(どこでもない場所のど真ん中)である。運転手はしばらくエンジンを復活させようと頑張ったりもしていたが、結局はしばらくしてやってきた、やはりスキー場へ向かうという乗用車に便乗させてもらいスキー場まで上がった。


スキー場はベースロッジからロープトゥが一本と、それより長いポマリフトが一本の、いたってシンプルな構成。前日同様、雪はザラメの春スキーで、むしろ少し雲も出ていたくらいなのだが、なぜかハイテンションの下着だけで滑っている集団(うち一人は女性で、しかもテレマーカー!)なんかもいて、なにやら非常に愉快な印象を与えたスキー場であった。
というか、広さはライフォードほどではないが、それなりに長い斜面をオフピステで楽しめるので一日いても飽きることなく滑っていられる。これもやはり、オフピステ(未圧雪)が売りのクラブフィールドならではのことだろう。仮に同じ広さのピステ斜面なら、半日もせずに飽きてしまうに違いない。



8月中旬といえば、日本でいえば2月中旬。まさに厳冬期もど真ん中なはずなのに二日連続の半袖スキーで、ここのクラブのひとに訊いたら「今年は春の始まりが早いね」といっていた。他のスキー場で訊いても、今年は季節が例年よりも2~3週間「前倒し」なんだそうだ。

終日スキーを楽しんだあとは、Maruia SpringsというHanmer Springsからさらに70kmほど内陸の温泉へ。懐かしの新潟県は妙高温泉、ホテル秀山によって開発された温泉だけあって、フロントも日本人、湯も40度以上の硫黄泉と、申し分のない立派な「温泉」であった。もしあなたが日本の「温泉」に想いを馳せるNZ長期滞在者なら、(交通の便はよくないが)一度行ってみることを強くオススメしたい場所である。