2009年9月29日火曜日

スノーボード初挑戦!

一昨日、日曜日のことです。おなじみコロネットピークスキー場でスノーボードをしてきました!!!!

これまで長年アルペンスキーや山スキー、テレマークスキーで雪のうえを滑ってきたけれど、スノーボードは生まれて初めて。
以前から、バックカントリーで見かける上手いボーダーの滑りはサーフィンみたいで本当に気持ちが良さそうだし、いつか機会があれば試してみたかったのです。幸いにもうぼくのイントラ試験も無事に終了したし、最近は気温も高くて雪も軟らかいからコケても痛くなさそうだし、それにこっちのスキー場は初心者バーンのコース設定がしっかりしている(きちんと柵で区切られてマジックカーペットリフトやロープリフトも完備!)から、試すなら「いましかない!」と決めた次第です。

初めて履くボード用ブーツは、歩きやすくて暖かい。板はバートン(シリーズ名は知らない)。


想像はしていましたが、想像以上にコケました(笑)
春雪ということもあり、もう手袋もジャケットもパンツもびしょびしょ。

無謀にもレッスンも受けずにイメトレのみでマジックカーペットの緩やか初心者スペースからはじめて、おっかなびっくり、ふたりで転げまわりながらターンの練習。
なかなか板を「ずらす」のが難しく、曲がろうとするとエッジだけ立ってしまって、たいていそのまま雪面を切るように倒れてしまうんですね(^^;)

それでもしだいに慣れてきて(あいかわらずコケるのはコケるけど)、一日かけてマジックカーペットから2人掛けチェアリフト、そして最終的には4人掛けのクワッドリフトであがったコロネットピークのメイン中級トレイル「M1」でターンをつなげて滑ってくることができました!
相方は最後まで身体が「前」に倒れこむ方向のターンを習得することができなかったみたいだけど、スピードを恐れずに谷足にしっかり加重し、さらにターン外側(つまり背中側)のエッジがひっかからないように身体(もしくは膝から下)を倒しこみながら山足を後方に「まわす」のがミソですな。
あとボードでの平坦地の移動、もしくは斜面のトラバースの大変さは想像以上でした。斜面を滑ってきて、一旦停まったあとにリフト乗り場までいくのだけでもひと苦労です。

しかし、けっしてテレマークにとって代わるほどではありませんが(やはりテレの自由さに勝るものはなし!)、ボードもこれはこれでなかなか楽しいではないかというのが正直な感想です。スキーとボードの、この「縦」と「横」の違いは実に新鮮で、日本に帰ったら中古の安いやつを買ってもいいかなぁなんて浮気性なことも思ったりなんかしてw
でも冗談ではなく、テレマークのイントラ試験を受験しにきていた人たちの半分以上はすでに他種目のイントラ資格を持っていて、さらに自分の幅を広げるためにきており、実際本職はスノーボードのイントラだという人もいたのです。こちらでは「クロスオーバー」といい、ただスキーのイントラはスキーだけとか、ボードのイントラはボードだけとかではなく、もっと一人が多岐にわたって活躍できるシステムになっているのです。NZSIAが「スキー・インストラクター協会」ではなく「スノースポーツ・インストラクター協会」である所以ですね。ぼくのこちらでのテレマーク師匠であるBiffさんは、アルペン、ボード、テレマークのイントラ暦がそれぞれ15年とか20年以上。全部足したらもはや年齢を超えています。もうなんかステキすぎて脱帽ですよねw

というわけで、もしかしたら日本に帰ったらボードも買ってもうちょっと本腰入れてやってみるかもです。
みなさん、もしどこかでへっぴり腰でボードしてるうっしーを見かけても、「うらぎりものー!」なんて言わないでくださいね(^^;)

2009年9月27日日曜日

夏の仕事が決まりました

今日からニュージーランドは'Daylight Saving Time'、いわゆるサマータイムというやつですね。昨日までの時間から、時計が一時間進みました。夏は日が長いため、時計を一時間進ませることで会社などの朝晩の電気代を節約しよう!+放課後、アフター5(っていまでも言うのか?)の明るい時間をより長く楽しもう!という趣旨らしいですが、どうもこちらの人たちも、まぎらわしくてあまり好きではないようですね。
ともあれ、世の中はチャクチャクと「夏」にむけて動いております。

ぼくもようやく、これから、スキーシーズンが終わってクィーンズタウンを出てからの仕事場が決定しました。
10月中旬から三ヶ月間、(以前この日記でも登場した)Aoraki/Mt.Cook National ParkにあるThe Hermitage Hotel内のTrekking Departmentで、日本人観光客相手のネイチャーガイドの仕事をさせていただくことになりました。1~2週間ほどトレーニングがあり、ハイシーズンがはじまる11月ごろから実際に仕事にでることになるそうです。具体的な仕事内容は、半日、もしくは一日のホテル周辺にあるトレッキングルートのガイド。ただ先頭を歩くだけではなく、Mt.Cook国立公園の歴史や氷河地形の説明、周辺の動植物の紹介などもしなければならないし、もしかしたら夜の星空ガイドなんかもお願いすることになるかも、なんてお話も面接時にいただきました。
やはり八ヶ岳の行者小屋での(ガイド登山も含めた)経験と、マクドナルドでのマネージャーとしての経験を高く買っていただいての採用のようです。

扱いはパートタイムとはいえ、現場に出れば正社員もパートも関係のないこの仕事。「正直、なるべく楽にお金を貯めたいという人には向かない職場」だと面接時に念を押されたのですが、NZ最高峰のMt.Cookを目の前に望み、しかもあのエドモンド・ヒラリー卿とも縁の深いハーミテージホテルでネイチャーガイドとして働けるのを思えば、こんなに嬉しい仕事はありません。
晴天率のあまり高くない、ときにはホワイトクリスマスの年すらある(夏なのに!)という厳しい環境ではありますが、八ヶ岳のときと同様、はるばる日本から来ていただいたお客様にすこしでも充実した時間を過ごしていただけるように頑張りたいと思います。

、、、ひとつだけ残念なのが、この仕事は「単身赴任」なのでこれまで行動をともにしてきた相方とはしばしの別れになるというとこ。
とりあえず彼女は彼女で、10月から入れる住み込みの牧場やロッジの仕事を探し、1月中旬か下旬ごろから再びいっしょに住みながら働ける仕事を探すことになります。ちょうどそのころはフルーツピッキングがシーズンに入るので、ふたりで一ヶ月二ヶ月、フルーツもぎりまくって金貯めたいねーと話しているところです。
そしてその後は、一ヶ月ほどNZ国内を旅行し、4月なかばにはぼくの祖父から誘われたオーストラリアを縦断する列車旅行に行き、同月下旬に結婚する友人の式に間に合うように帰国、という流れになる予定です。(……予定は未定^^;)

日本はこれから冬ですね。
みなさんはもう、冬の予定、立てられましたか?

2009年9月24日木曜日

チャイルドケアというお仕事

雪崩講習会も終わってホッと一息。相方とふたり、朝夕とハウスキーピングとチャイルドケアの仕事をしながら、日中は本を読んだり買い物に街に出たり、昨日は近隣の古い街並みが残るアロータウンまで観光にいったりと、まったりとした時間を過ごしております。

お世話をしている子どもは、生まれつきの知能障害をもった13歳の男の子。お母さんのお話によると、身体や筋力こそ年齢相応くらいのものはあるのですが、知能レベルは3~4歳児くらいとのことでした。言葉は(なにせkiwiのお父さんと日本人のお母さんをもつぐらいですから)英語・日本語ともに理解はできますが、喋るのは「ダダ」とか「ママ」とか「カー(車)」「バッ(お風呂・バス)」などの簡単な単語しか言えません。あとは特定のしぐさを使ってコミュニケーションをしています。それでも学校教育は年齢にあわせて進学し、現在は専用のクラスルームと先生のいる街のハイスクールに通っています。
つまり、彼が朝6時くらいに起きてから9時前に学校にいく(障害児のため自宅から学校までのタクシー代が補償されています)までの3時間弱と、3時半くらいに帰宅してからお仕事に出ていたお父さんが6~7時くらいに帰ってくるまでの3時間ほどが、ぼくらふたりだけで彼の面倒をみなくてはいけない時間なんですね。

楽しいことと食べることが好きで、とくに『おかあさんといっしょ』のビデオなんかはぼくもいつの間にか口ずさむようになってしまったくらい大好きでしょっちゅう見たがるのですが、かれにはひとつ問題が……

それは、じぶんがやりたくなったことを、一刻も待つことが出来ないのです。
昨日も夕御飯を食べながら「麦茶」のサインを送ってきたので、コップをだしてお茶を注いで、ついでに彼が毎日飲んでいるお薬をお茶に混ぜようとしていたら、待ちきれなくなった彼はアーだのギャーだの叫びだして、「待ってて」といったらぼくの髪の毛をひっぱりだす始末。とにかく筋力は同年代の男の子並みで、しかも力の加減というものをしらないから、髪の毛をひっぱられたり腕をつねられたりするとメチャメチャ痛いんですよ。
とにかく彼の「つねる」「ひっぱる」は、彼のお父さんお母さん、そして学校の先生にも「厳しく注意して絶対にやらせないように」といわれているので、やられたら即刻大声で叱るのですが、本人はそのときはいやいやそうな顔つきで「んーっ!」とかいいながら頷くのですが、やはりついつい手が出てしまうことがあるのです。とくにタクシーの運転手さんなど、普段から注意されていない人が相手だと出てしまうことがあるようで、先日もタクシー会社から学校に苦情が入ったとのこと。

ぼくがまだ小さかったころはよく母親にふとももを思いっきり叩かれては泣いて、昔は母が手を挙げただけで反射的に防御体勢をとってしまったものでした。必ずしも体罰がいいと思うわけではないですが、やはり言ってきけない子には体で覚えさせなくては?と思うのも事実。しかしチャイルドケアとはいえ、そこまでしていいのかという気もするし……(アメリカではよくベビーシッターの虐待が問題になるのです)そもそも、彼がそれをいつまでも「できない」のは、単に甘えているせいなのか、それとも生まれつきの障害によるものなのか?
出過ぎな真似は承知しながら彼の将来を考えれば、そういう躾は彼が社会に、否応なしに、出なくてはならなくなったときのためにしておかなくては、と思うのです。彼が、それがために独りで孤立してしまうようなことになっては、あまりに可哀想ですから。

塾講師のバイトをしていたときにも感じたのですが、他人の成長にかかわる仕事というのは(当然ですが)じつに責任の重たい仕事です。でも考えてみたら、スキーのイントラだってそういう意味ではおんなじ。
まっ、悩んだって未来のことは分からないから、とにかく試行錯誤でやってみるしかないんですけどね。

2009年9月19日土曜日

ISIA Avalanche Course

NZSIAのテレマークインストラクター試験につづき、火曜日から金曜日まで、同じくNZSIAで申し込みをした雪崩講習会"ISIA Avalanche Course"に行ってきました。これは、ニュージーランドのスノースポーツインストラクター協会が提供し、国際的なスノースポーツインストラクター協会(ISIA)でも認定されている雪崩講習会だそうです。
場所は、イントラ試験と同じくカードローナスキー場。参加者は、コロネットピーク、リマークスでボードのイントラをしている3人組と、トレブルコーンでスキーのイントラをしている女性、それにぼくの計5名。指導員は、トレブルコーンで働いているスキーイントラ上がりの女性パトロールの方。

まぁ簡単に結果だけいうと、、、物足りなかったです。

コース初日の初顔合わせでの自己紹介。自分の名前やスノースポーツに関する経歴の他、このコースを選んだ理由も言っていったのですが、他の参加者のをきいていると「ISIAの資格をとるためにはこれを取らないといけないから」という言葉ばかり。つまりこれは「本当に雪崩(雪山)のプロフェッショナルになりたい」人のためのものではなく、「より国際的なイントラ資格をとるために、一応雪山としてのスキー場についても知っておきましょう」くらいのものだったわけですね。
というわけで、当然他の参加者はバックカントリー未経験、ビーコン、スコップ、プルーブはおろか、スノーシューやシールですら持っておらず、コースの期間中だけ必要装備をレンタルしていたのでした。

その4日間の内容はというと、天気図を使った天候の変化の読み方、天候のデータを基にした雪崩危険度の判断、地図の読み方、雪山(バックカントリー)でのルート選択、簡単な弱層テストのしかた、ビーコン捜査にはじまるレスキュー訓練、雪洞掘りなどを、机上講習とスキーフィールド/バックカントリーフィールド講習をおりまぜて行われました。やはりぼくにとっては、既知の知識ばかり。
最終日の試験は「20m×20mの範囲内に埋められた一つのビーコンを4分以内に見つけ出すこと」で、このコースで初めてビーコンに触ったという参加者も最終日には余裕でクリアしていましたよ。

ちなみにこのコースはOtago Polytechnicによって実施されていたのですが(ポリテクニックとは、専門知識/資格の取得を目的とした国立の総合専門学校のことです)、もっと本格的に雪崩の勉強をしたい人はポリテクの"Avalanche Safty Management"というコースのStage 1、さらにプロフェッショナルを目指すならStage 2を取るらしいです。というか、ニュージーランドでスキー場パトロールやバックカントリーガイドになるには少なくともStage 1は合格しないといけないのよ、とのことでした。

コースがはじまる前は、こしもざらめとか湿雪表層面発生雪崩とか、英語で覚えなければならないんだろか……とだいぶ不安に感じていたのですが、実際に覚える必要がない(というかそういう専門的な呼び名は出て来もしなかった)とわかったら拍子抜けで物足りなく感じてしまうなんて、やっぱりテレマーカーってのはMな性格なんでしょうかね。

これでこの冬の「やるべきこと」として考えていたものは、本当にぜーんぶ終了!無事にイントラ資格も取れたし、クラブフィールドやマウントクックにも行けたし、パウダーもお腹イッパイとまではいかなくともそれなりに味わえたし。
クィーンズタウン周辺のスキー場は、どこも十月第一週か第二週の日曜日がクローズ予定日。それまでは(これまで怪我しちゃならんとガマンしていた)パークの練習や、ちょっとスノーボードなんかにもチャレンジしてみたいと思います♪

せっかくなんだからね!
いつだって、積極的に「生まれて初めて」の体験を探し求めていきたいものです☆

2009年9月14日月曜日

『不毛地帯』

先日クライストチャーチで参加(というかバイト)してきたフジテレビ系ドラマ『不毛地帯』の原作を読みました。たまたま現在住んでいるお宅に新潮社の一巻~四巻まで全巻そろっていたので、エキストラバイトから帰ってきた翌日から読みはじめ、NZSIAコースのあいだもワナカまで持っていき、ようやく先ほど読み終えたところです。

山崎豊子著『不毛地帯』

山崎豊子さんの作品を読むのはだいぶ以前に『大地の子』を読んで以来。当時は高校生だったか大学生だったか、小説とはいえ、戦争が人間個々人の人生に与えた影響の大きさというものを初めて認識し、小説としての素晴らしさも相まって大きな衝撃を受けたのをいまでも覚えています。
今回は、たまたまエキストラとして出演したのを縁に読みはじめたのですが、期せずして戦後モノが続いたことになります。なにぶん普段からニュース以外はテレビをつけないので、おなじ山崎豊子作品の『白い巨塔』などドラマ化されたものも名前を聞いたことがあるくらいで、まったく視たこともなければ原作を読むこともなかったのです。

戦争中、大本営作戦参謀だった壱岐正が11年間の強制労働をともなうシベリア抑留後、関西の商事会社にスカウトされ、自衛隊の戦闘機の売り込みからアメリカとの自動車摩擦、中東での油田開発といった戦後日本の経済をそのまま語っているような商戦に巻き込まれてゆく様が、じつに丹念に描かれています。
大本営参謀として大勢の兵士の命を戦争で失ってしまった自責の念と、次こそは国家のために国益のためにという気持ちと、商社の人間として必要に迫られる「汚れ」のあいだで揺れる壱岐が、それぞれの場面でどのような選択をし、商社マンとしてどのような最後を迎えるのか…… 

最後のほうの油田開発の専門用語なんかはやや飛ばし気味に読んでしまいましたが、じつに楽しませてもらいました。
教科書で習った歴史と、じぶんの祖父や父が生きた時代が初めてリンクしたような気がして、いかにじぶんが祖父、父のしてきたことの知らないかという事実に思い至りました。

ぼくが主人公の壱岐さん(撮影スタッフの皆さんも、俳優名の唐沢寿明でなく「壱岐さん」と呼んでいた)の後ろのほうで出演している(土木作業している笑)、、、のはさておいても、是非ご覧になってみてください。10月15日22時、初回放送だそうです。(たぶん)

2009年9月13日日曜日

NZSIAテレマークインストラクターコース

先日の日記のとおり指導員試験も合格し、昨日クィーンズタウンに帰ってきました。

街は春というにはいささか暖かすぎるくらいの日差しに照らされ、路行く人の小脇には、着て出たはいいけれど暑くなって脱いでしまったフリースの上着が邪魔っけそうに抱えられています。ワナカに行っている五日間のあいだに、ワカティプ湖越しに観るセシル・ピークの山肌も、雪の白から一気に荒地の茶色っぽさを増しました。

簡単にNZSIAのテレマークインストラクターコースの五日間を振り返ってみようと思います。

そもそも、NZSIAのテレマークインストラクター制度はLevel 1からLevel 3の三段階に分かれており、実質的に初年度に取れるのは今回ぼくが受けたLevel 1&2コースのみ。Level 2を合格すると、次年度以降、Level 3プレコースを経て、Level 3コースを受けることができます。Level 1&2は、テレマークスキーの道具の紹介から始まって、マジックカーペットの初心者バーンでのターン導入、連続ターン、中級バーンでのポールなしの連続ターン、ポールを使っての連続ターンまでです。

今回のコースの参加者は、ニュージーランド人4名、オーストラリア人1名、チェコ人1名、日本人1名(つまりぼくですね)の生徒計7名と、NZSIAからのコーチが2名。うちkiwi3名とチェコ1名はすでにアルペンやボードで指導員資格を持っていて、現在もスキー場で働いているという背景でした。(ちなみに一人は初日のレッスン中にボーダーにぶつけられて途中リタイア)

その内容は、大きく分けると、1)デモンストレーション(生徒にレッスンを施す)の練習、2)フリースキーイング(個人技術)の上達の二つ。
1)のほうは、NZSIAのレッスンの組み立て方をマニュアルで学んだあとは、他の参加者を生徒と見たててレッスン運びの練習をし、それを互いに添削・議論しあいながら磨いてゆき、最終日には実際にテレマーク未体験の生徒を教えてみるという流れです。
そして2)のフリースキーイングは、中級バーンで実際に生徒に手本を示すためのできるだけ丁寧で解りやすい滑りや、カービングターン、オフピステエリアでは悪雪でのテクニックとして1ステップターン(NZでは1step-Drop Turn)や2ステップターン(1-2step Turn)、シュートに入ってのジャンプターンなどのコーチングでした。
生徒の希望で、ちょろっと遊びでパークにも入ったのですが、さすがにNZSIAのコーチもパークは専門外とみえて、ボックス(日本でいうレールですね)に乗った途端に横転、横腹を強打して苦い顔をしてました。(もちろん生徒はやんややんやの大笑い^^;) いやでも、さすがにRemarkablesでアルペンのフリースタイルのレッスンをやっているというチェコの女の子は巧かったですね。ぼくも彼女にコツを教えてもらって、超ゆっくりながらも初めて横向きでコケずにボックス滑れましたよv

このコースで一番大変だったこと。

それはNZテレマークの教程が、いまだに斜面に正対が基本であるということ。それは板がどの方向を向いても上体はフォールライン向き、つまり足元がまわるにつれ上体は捻ってカウンターローテーションを起こさなくてはならないのです。分かりやすくいうと、人間が歩くときに手足が左右逆に出るのと同じ動きですね。
これは、まだ板が細くてサイドカットがなかった時代の、身体のバランスを保つためのテクニック。プラスチック製のブーツやカービングの板が主流となった現在は、より高速化したスピードの遠心力に負けないために手足の左右が同調する滑りをするひとが多く(身近な例をあげれば、ぼくがお世話になっていたMBSSの永峰校長は顕著ですよね)、ぼく自身ずっとその滑りだったので、それを身体に叩き込むのには苦労をしました。。。

そしてこのコースで一番印象的だったこと。

「レッスンに言葉は必要ない、生徒はコーチを見て、コーチと滑って学ぶ」ということ。ぼくが最後までコーチに言われ続けたのは「喋りすぎるな、あくまでシンプルに(Don't talk too much, Keep It Simple!)」という言葉。日本人で、英語がそこまで得意ではなくて、それがゆえになるべく説明しようとして喋りが長くなってしまう……皮肉なことですよね。
しかしそれを矯正するためのレッスンが面白かった!コースには英語のネイティブでない生徒が二人いたわけですが、ある日コーチがぼくらに、それぞれ日本語とチェコ語でレッスンをしてみろと言うのです。英語はいっさい禁止。
まずぼくはお辞儀をしながら「はい、みなさんこんにちはー!」。身振り手振りをまじえながら「みなさーん、こっち見てー」、「ひとりずつこうやって滑ってきてー」、そしてサムアップしながら「いいねーいいねー♪d(^v^)」。たまにオッケーとか、レッツゴーとか出るのはご愛嬌w
英語ネイティブたちも生徒が耳が聞こえなかったらという想定でレッスンをさせられて、無言でレッスンをしているカカトの浮ついた謎の連中を、昼食中のご婦人が怪しげな目つきでずっとチラ視していたのが笑えました。

最終的な合否の判定は、最終日の実地レッスンだけでなく、全体を通じての評価。最終日のレッスン後、スキー場から下りてきてすぐのCardrona Hotelのパブで再集合。そこで皆でビールを飲みながら、ひとりずつ呼び出されての結果発表。
合格ラインはオンピステ/オフピステでのフリースキーイング、デモンストレーション、教程理解、グループマネージメントや練習法の選択などのコーチング技術の四大項目を、10点満点でそれぞれ6点以上。
合格者は総合点150点満点中135点のチェコ人の女の子を先頭に4人で、ぼくは115.5点の4人中4位通過でした。残りの2人はLevel 1のみの合格ですが、実質的にはふたたび同じコースを受けなくてはならないから、不合格ということなのでしょう。

しかし合格でも不合格でも、とりあえずコース終了祝いに皆で飲むのがNZ流(なのか?)。合否発表のあったカードローナホテルではもちろん、その後もワナカのTROUTというバーに場所を移して、ビールを飲んでチップスつまんで……
ご存知のとおり酒に強くないぼくは、なにやらゼリービーンズのような、いかにも健康に悪そうな後味の悪い黒いショットをいって、つぎにテキーラが出てきたところでギブアップ。早々に席を辞して、満天の星空の下、ワナカ湖からの心地よい風を浴びながらブラブラ歩いて、宿泊先のYHAまで帰ったのでした。

2009年9月11日金曜日

Here's the result for the exam

I... GOT IT!!!!

Pass the exam for NZSIA Telemark Instructor Level1&2, which means I can teach the Tele bigginer to intermidiate.

Thanks for ALL! I'm really happy now.

2009年9月7日月曜日

from Wanaka

Just for some notes,

As my partner wrote in her blog, my interview for the Nature Guide in Mt.Cook in summer season could feel like very nice and if I pass the interview (I'll have the reply from them till end of September), I'm gonna work there maybe from October of Novenber.

I'm now staying at the YHA in Wanaka, for the NZSIA Teremark Certification Course just starts from today. It's not just a test, but a 5-day course to become a instructor, and I'm having much fun with other members in the course. As I'm a Japanese, yeah, there're some problems to have the comunication to teach in English, but I'd like to try my best to pass the exam.

The course has just begun.
Hope to be able to tell you a good news on Friday.

See you then! ;-)

Nori

2009年9月4日金曜日

musya-burui

NZSIAテレマーク指導員試験の幕開けまで、残り二日となりました。

試験がはじまるまでのウォームアップとして自分に課した「(先日の案内メールに添付されてきた)参考資料の翻訳作業」は、枚数的には三分の二を終えながら、じつのところまだ最も難解そうな技術解説部を残しており、はたして月曜日までに終えられるのか!?といったところです。
「翻訳」というものは、なにぶん大学が英文学の専攻だったのでそれなりに経験はあるのですが、スキー技術ともなるとニュアンスは十分に理解できても、日本語の文章に置き換えるのがひと苦労で、英語と同時に日本語の勉強もしているような気分です。

月曜日まで時間はあるといっても、明日土曜日は恒例のテレマークレッスン最終回。日曜日は夏にむけた仕事探しの一環で、Aoraki/Mt.Cook国立公園のThe Hermitage Hotelまで、日帰りで面接に行ってこなくてはなりません。パートタイムとはいえ、歴史あるハーミテージホテルでの日本人観光客相手のネイチャーガイド職。滞在資金が残り少なくなってきたのをさて置いても、是非とも合格かりたい仕事です。
しかしその面接にMt.Cookまで行くためのレンタカー探しや、春も近づいてきたこの期におよんでの30cmもの降雪によるパウダースキー(……本当は勉強のためにスキーはガマンするつもりだったのですが、新雪/深雪の響きと低気圧通過後の晴天に誘惑に勝てずに、行ってしまいました^^;)で、なかなか勉強にも専念できずに参ります。

それでも試験は試験。5日間の指導員キャンプの最終日には実際にテレマークスキー初心者をレッスンして、その評価を受けることになります。
いけるのか?英語でレッスンとか、本当に出来るのか!? 不安とワクワクで武者震いのうっしーです。