2009年4月29日水曜日

行者小屋open

小屋入り三日目。
いよいよ今シーズンも行者小屋スタートです!

事前に支配人が雪かきや小屋内の掃除などをしておいてくれたおかげで、今年はこれ以上なく楽チンな小屋開け。ぼくらが来たときにはすでに電気ガス水道が通っているという開きっぷり!
ぼくがGWまでということもあり、どんどん冬仕様を解除していっているところです。

小屋入り当日はチラホラ雪が待っていた天気も、西からの高気圧の影響で昨日からはすかっ晴れ。初日の朝方こそマイナス10℃まで下がりましたが、日中はギラギラにまぶしい太陽の陽りでぐんぐんと気温が上がっていきます。
現在は小屋のまわりで積雪1mってとこでしょうか。

とはいえ、上のほうはやはり雪がしまっているようなのでアイゼン・ピッケルは必需品ですよ!
北アルプスでは何件か遭難があったらしいし、八ヶ岳でも昨日300m以上滑落して(幸いに怪我だけで済んだようですが)ヘリで救助された方がいらっしゃいました。

天気のよい大型連休。雪山に行かれる方は計画や装備に抜かりなくm(__)m

2009年4月26日日曜日

最後のバイトは

明日から、出発前としては最後のバイトとして、いつもの八ヶ岳・行者小屋まで行ってきます。

27日支配人一家と小屋入り、29日から営業開始、来月6日で行者でのぼくの仕事は終了。その日は親しくさせてもらっている頂上山荘に一泊させてもらい、その後下山の予定です。東京に帰ってくるのは7日か8日でしょうか。そうなったらもうNZ出発まで一週間、ですね。
昨年同様、小屋にスキー板を持ち込んで、また滑れそうな斜面があれば滑ってみようとおもいます。とりあえずは中岳周辺。地蔵尾根付近の沢筋はどうだろう?赤岳は、、、無理だろなぁ。

ちなみに行者小屋はこれで3年目。昨年小屋閉めをして下山したときは「来年はNZ行くから、絶対来れないッスよ!」と啖呵をきって別れたのに、航空券の値段などの都合でふたを開けてみれば出発はGW後。それなら最後のおこづかい稼ぎにと、呼ばれてもいないのに「仕事ないですか~?」と支配人に電話してしまったのでした。
まったくオハズカシイ(^^;)

でも、もうしばらくは会えなくなると思っていた小屋番仲間にまた会えるのは楽しみなこと。
そして支配人といっしょに行者小屋にあがってくる支配人の子どもたち!4歳の長女と1歳の長男なのですが、かわいいんですよ。離れていた半年のあいだにそれぞれどれだけ成長したか、前夜のうちからワクワクなうっしーでした。

2009年4月23日木曜日

愛するモノとの別れ

本日、相棒と別れました……

共にあちらこちらと旅に出て、ちょっとした重たい荷物ですぐ足下がふらついたりと、ヤワなところもあったヤツですが、こころから愛して止まない、自転車でした。

思えば、前のマウンテンバイクからこの自転車に乗り換えたのは約4年前。
それ以降、電車代の節約兼トレーニングのための大学通学をはじめ、天気が良くて目的地が山手圏内くらいの距離なら極力自転車で行ったし、マクドナルドや個人指導塾、クロネコヤマトなどのバイトにも愛車をかっ飛ばして行っていました。
こいつに乗って出かけた旅をざっと思い出してみれば、、、
・荒川を水源の秩父湖から東京湾までツーリング
・大学から東京湾と帝釈天ツーリング
・大学から明治通り一周ツーリング
・大学から銚子までツーリング
・トトロの森へ行ってみようかツーリング
・長野市の友人邸から八ヶ岳の美濃戸口までツーリング
・自宅から浜松の友人邸を訪ねるツーリング
・5年生夏の北海道横断ツーリング
・ワンゲルの同期3人で行った卒業旅行、ニュージーランド縦断ツーリング etc...
ツェルトに寝袋、食糧と本とカメラをうしろに積み込み、登りは時速8km下りは時速60km、越えた峠は両手に余り、折れたスポーク、パンクしたタイヤは数知れず。ぼくの持つ20万分の1地勢図には、歩いた山道の破線に対し、これまでに自転車で走ったルートが赤い実線で、東京から放射状にあらゆる方向に伸びています。
平均時速25kmで走った富士スピードウェイは、あいだわずか5分の休憩のみで、太股が攣ったのを手で持ち上げながらなんとか150kmを規定の6時間でクリア。それが大会の規定上、最後の一周は足切りされて、一周を残して完走ならずと思い込んでゴール直後に勘違いの悔し涙がこぼれたのも、いまとなっては良き思い出です。

雨の日はずぶ濡れになり、風の日はフラフラし、NZでは日差しが強すぎて腕がすり剥けるまで日焼けして、それでもじぶんの足だけを原動力とするこの乗り物が楽しくて楽しくて。
ペダルをまわし続けるうちにだんだんあたまのなかがカラッポになってきたら、眼と耳に最低限の注意力だけを残して、あとは自由な想像の世界に没頭しているだけ。あたまのなかの小人が、順調に回転する足のメーターや特に注意をはらう必要もない周囲の状況を監視し、ぼくの脳内ディスプレイには通り過ぎたキレイな教会とか、青々とした苗が植わった春の田んぼとか、ただひたすらに打ち寄せては砕け散る海の波だとか、あるいは好きな女の子の後ろ姿とか、いまごろ懸命に働いているであろうバイト先の同僚とかが浮かんでは消えてゆく。そうなればしめたもの。どこまでだって走れる気がするんです。

そうやって今日までの4年弱で積み重ねた距離、7300.2km。
一年平均になおすとだいたい2000kmを少し下回るくらいだから、ちょうど毎年、東京~福岡間を往復した(ちょっと足りない?)ような感じかな?こうやって考えると、ずいぶんと行動を共にしたわけです。

譲った相手は、3月でめでたく定年を迎えられた学校の先生。母の仕事場で中古の自転車を買いたい人がいないか当たってみてもらったところ、引退もしたことだし、以前からサイクリングをしてみたかったのだと申し出てくれたので、これまでぼくが使っていた小物装備もセットにして、すべて手放したのでした。
なにせ一年間も誰も乗らないでただ置いとかれるだけよりも、自転車を始めたいけど初期投資も高いしなかなか始められないって人に譲ったほうが、資源の有効活用にもなりますもんね。

鮮やかな赤と白が印象的だった、FUJI Newest3.0。

新しい持ち主のところでも、大切に使われるといいな。
そして、あたらしく持ち主になったひとも、そいつとたくさん思い出をつくってくれるといいな。


いままでのありがとうと、さようなら。


2009年4月22日水曜日

高谷池ヒュッテ小屋開きツアー No.3

またまたつづき♪

19日 日曜日

テントの外は、ずっと風に揺さぶられっぱなしの夜でした。風避けをしっかり作っておいて良かった良かった(^^)v
テントの中はというと、3シーズンシュラフだった相方は着込むに着込んで、新品のエアーマットを敷き、さらに空にしたぼくの100ℓザックに足までつっ込んでちょうど快適な寝心地だったそうですが、それを見ていつも以上に重装備で寝てしまったぼくにはむしろ息苦しいくらいの夜でした。

前日までの疲れのせいか、外が明るくなってもうつらうつら。他のテントがバサバサ畳まれていく時分になってようやく朝食。昨晩、本当にテント泊で大丈夫か?と心配してくださった仲間のみなさんに「生還しました」と朝のご挨拶兼報告をし、テントを撤収して小屋に入ったら、小屋もちょうどお客さんがでて掃除の時間。コーヒーをいただき、火打山ピストンのビルさんたちを見送り、管理人の本宮さんと小屋の設備や荷揚げについて談義を交わしているうちに、気がつけばもう午前10時。
最初は荷物を小屋に置いて、火打と反対側の大倉山あたりで身軽にスキーを楽しんでから荷物を回収し下山しようという計画だったのですが、この日いったん下山する小屋従業員のkanさん、スギさんに倣い、大倉山の下にある黒沢池に荷物をデポする計画に変更。小屋前で集合写真を撮ってもらい、全装背負っていざ出発したのでした。

今日の行程は、高谷池ヒュッテから黒沢岳と茶臼山のコルを越えて黒沢池に下り、そこに荷物をデポして大倉山に登り、北面の緩やかで気持ちのよい斜面を楽しんでから下山する、というもの。

ガイド役のYさんや本宮さんによると、この大倉山北面は、小屋からの近さや斜面の気持ちよさの割りにほとんど訪れる人がいないという穴場的スポット。事実、小屋周辺や火打山の斜面には大勢の(というほどでもないが)人影があるのに、ちょっと黒沢池付近まで来ただけで自分たち以外の人影は皆無。目の前には、どの方向を向いても、チョロっと登って楽しむのに良さそうな無垢の斜面がひろがっています。
いつの間に現れたのやら、管理人の本宮さんも小屋を他の従業員に任せて参上し、みなでわいわいと黒沢池ヒュッテの上から大倉山に登りはじめます。それぞれの足下は、ぼくと相方がテレマークにシール、ベテランのBさんが山スキーにシール、本宮さんを含めた残りの6人がステップソールのテレマーク。この日は本当に、春ツアーでのステップソールとシールの実力差を見せつけられましたヨ。

大倉山の斜面を登りながら、ステップソールの面々は気持ち良さそうなバーンがあるとそのままピューと滑っていってしまい、またそのままサクサクと登ってくるんですね。それが悔しくて、ついついぼくもシールをつけたままヒューと滑ってしまうのですが、そんなことをいくども繰り返さないうちにシールの粘着力はびしょ塗れて皆無となり、しまいには貼り流しのシールを手拭いで板に結わえておかなくてはならない始末。いやー、悔しいですね。
そんなかんじで寄り道しつつ大倉山山頂に至り、ようやく本番斜面。斜度は中級ゲレンデほど。
バーっと滑り、ダーっと転げ、水分たっぷりの雪に顔面突っ込み、メガネが飛び、脱臼癖のある右肩は外れ、前転中にかってにハマり、起き上がってみれば渇き気味だった口のなかにはたっぷりの氷が含まれておりました(笑)しかも、すぐ後にきたYさんも、ぼくがつくった大穴でやっぱり顔面から突っ込んでるし(笑笑)

あんまり気持ちよく滑ると登り返しが大変だからと標高差150~200mくらいでストップ、本宮さんから周辺の地形の説明を聴きながらお昼を食べ(本宮さん、アンパンご馳走様でしたm(__)m)、荷物をデポしてきた黒沢池へと戻ったのでした。

あとはルンルン下山、、、できれば良かったのですが、人生そうは甘くない!
黒沢池から黒沢岳をまわりこむように富士見平まで出たのは良かったのですが、そこから黒沢の橋に出るまでが今回のツアーで最大の試練でした。岩場のある十二曲りを避けるため一本横の広い沢を下りたのですが、ここがまぁ急で急で、おまけに午後2時の雪は高い気温でグサグサに腐り、しかも背中にはテント、ガソリンストーブ、寝袋、デジタル一眼などで25kgはあろうかという100ℓザック(--;)
板をずらすこともままならない腐れ雪。ターンしようにもザックが重く、こけたらそのまま谷底までノンストップしそうな急斜面。当然テレマークターンどころの話ではなく、なんとか橋についたときは心底ホッとしましたよ。ホゥ。テレマーク一年生の相方もよく頑張ったものですが、なによりも今回のツアーで最高齢参加者であるBさんが果敢に先頭を下りていっていた姿が印象的でした。やはり、いざというときは経験がものを言うのですね。

けっきょく午後3時過ぎに全員笹ヶ峰の駐車場に帰着。そのまま全員で温泉に移動して三日間の汗と垢を落とし、国道沿いの有名ラーメン店(?)ニューミサの味噌ラーメンで飢えた腹を満たしてから(貧しい我々に奢っていただいたMさんには本当に感謝の言葉もありませんm(__)m)、各々の家路についたのでした。

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これまで冬は「妙高」で滑っているなんて言ってきたのが恥ずかしくなるくらい、今回のツアーでこの「妙高」山域の奥深い魅力を知りました。山としても美しいし、小屋のスタッフは本当にスキーが大好きだし、そこに(無償で雪掘りをするために)集まるのも気持ちの良い人たちばかりだし、なるほど誰もがここのファンになる気持ちがよく分かりました。
また、イチ小屋番としても高谷池ヒュッテから学ぶことが多く(特に山小屋らしさとお客さんへの気配りのバランスが見事!)、一週間後にひかえた行者小屋の小屋開きにも気合いが入るというものです。

今回のツアーでぼくらを妙高まで同乗させてくれたMさん夫妻、一から十までガイドしてくださったYさん、素敵な高谷池ヒュッテでぼくらを迎えてくれた本宮さんをはじめとする小屋のスタッフのみなさん、新参者のぼくらを陽気に仲間に加えてくれた常連(ゴールドメンバーズ?笑)のみなさん。そして、三日間スカッ晴れの好天を用意してくれていた妙高山と火打山。
愉しい時間を、本当にありがとうございました。



p.s. あとウェブアルバムのほうにも何枚か写真をupしたので、よろしければそちらもご覧ください~

高谷池ヒュッテ小屋開きツアー No.2

つづき♪

18日 土曜日

早めに起きて明け方の星空でも狙ってみるかとか話しておきながら、心地よい布団に眼が覚めてみれば、外はすっかり明るくなった午前5時半過ぎ。小屋のすぐ東側に稜線をかまえる行者小屋では、小屋開け後しばらくは6時の朝食の時間帯でも薄暗いというのに、その立地条件によってこうも朝が違うものかと驚くばかりです。
朝食は小屋の自炊部屋で棒ラーメン。いやそれにしても、ここまで自炊部屋の充実している山小屋は初めてお目にかかりました。大きさの違う数々の鍋、やかん、フライパンからガスコンロに食器に、食後のコーヒー(これは有料)まで!夜はカレーorハヤシライス、朝は中華丼という客飯のレパートリーの少なさを十分に補ってくれる設備ですね。常連の方はみな自炊というのも納得で、朝からフライパンで焼ソバをつくっているグループもありましたよ。

朝食後は荷物をまとめて小屋をチェックアウト。当初は午前中にまた雪堀りのお手伝いをして、午後、火打山に行こうと話をしていたのですが、今回ガイド役のYさんの提案で午前中のうちに登ることに。結果としてはこれが正解。滑るときは雪面が固すぎず、腐ってやわらかすぎずのナイスコンディションを楽しむことができました。
ルートはほぼ夏道どおりで、高谷池から緩い尾根をのっこし天狗の庭へ。そこから稜線をトラバースしつつ高度をあげて、雷鳥平を経て火打山というもの。写真を見てもわかるように、ルート中どこもかしこも広々としたオープンバーンとなっており、途中、誘惑に負けた(?)Yさんはヒャホ~と下に滑っていったまま戻らず(あとで聞いたら、滑ったはいいもののシールを持っていなかったため急斜面が登れずに引き返したらしい)、シール歩行の経験浅い相方はトラバースで苦戦し、頂上付近は顔を風上に向けるのも難儀なほどの強風だったりと、なかなか甘いアメに手が届かないような行程でしたが、二時間弱をかけようやく火打山の山頂に到着。
春霞を透して遠方を望めば、意外と大きくそびえる富士山や、我らが八ヶ岳連峰までしっかり確認できるじゃないですか。そして風は強くとも太陽がこれでもかと照りつける山頂であたたかいお茶とオヤツをほお張り、準備を整えたら、いよいよ滑走開始!













、、、っっひゃっほ~~~ぅと!!

ちなみに上がMさん夫妻、下が相方、ぼくですね。
最初が特に急ですが、登りながら「何もない」斜面であることは確認してるので飛び込むのにも安心感があります。テレマーク一年生の相方も、空身とはいえなかなかイイ滑りをするじゃないですか。
一時間かけて登った斜面も、滑ってしまえばわずか十分。適度なとこでトラバースし、登ったり滑ったりしながら小屋まで戻ってきたのでした。

空腹感を訴える胃のなかに、魚肉ソーセージとおつまみラーメン&柿の種mixのお昼を放り込んだら、次は今晩の宿、テントの設営。
ぼくの相方は雪中泊が初めてだというし、ぼくも久しく雪山テント泊をしていなかったため、事前に天気が良さそうならやってみようかと計画していたのです。といってもどちらも冬用テントをもっているわけではないし、相方に至っては3シーズンシュラフしかないというお粗末っぷり(汗) まぁ十分に着込んで寝れば死にはしないでしょと高をくくって、なにはともあれテント周りの風避けだけはしっかりしようと、ふたりでテン場作りに勤しんだのでした。で、出来たのがこれ↓↓


目算でやってたら風避け内の床面積がぎりぎりになってしまったのですが、テント入り口の真正面に、食事を作りながら北アルプスが覗ける展望窓つき♪張綱も落ちていた小枝で雪壁に埋め込み、テントも固定。夜中のテントを揺さぶる強風にも耐え、中にBD製のLEDランタンを吊るせば外が暗くなってもヘッドライト要らずの快適な宿でした。

テント設営後は、みんなで小屋の風呂場掘りのお手伝い。「もう出られないかもしれないと思った」(本人談)ほど深い場所で奮闘していたMさんの旦那さんと、勢い余ってスノーダンプをぶっ飛ばすほど奮闘していたMさんの奥さんが印象的でした(笑)途中からはMBSSツアーとしてお客さんをつれてきたビルさんも加わり、ビールを飲みつつひなたぼっこしつつ、笑いつつ、親しい人たちとの愉快な小屋開き作業でした。
テントでの夕食後はそのまま寝てしまいたいくらいの疲労感を感じつつも、小屋で宴会をしているはずのビルさんらを訪問。Mさんの美味しいパスタやビルさんのチーズなどに舌鼓を打ちながら、消灯の9時ぎりぎりまで会話が弾んだのでした。

またまた、つづく

2009年4月21日火曜日

高谷池ヒュッテ小屋開きツアー No.1

顔が痛いです。日焼けで(;_;)

帰宅後、額に手拭い焼けしたまま、以前働いていたマクドナルドに顔出したら「知った人だからイイけど知らなかったら完全に怪しい人だよw」と言われちゃいました(汗)

高谷池ヒュッテの小屋開き(&火打山)ツアーに行ってきました。

火打山とは妙高高原の町から見て妙高山のひとつ奥に位置する山で、妙高山と火打山のあいだにある高谷池のほとりに、三角屋根が印象的な高谷池ヒュッテが建っています。じつはココ、MBSSの講師でもある本宮さんという方が管理人をされていて、毎年小屋開きの週末にはスキー仲間の有志たちがはるか雪の下に埋もれた便所や水源を掘り出すために集まるんですね。
以前からいかにも楽しそうなお話は聴いてきたものの、行く機会に恵まれなかったこのツアー。今回、冬のあいだから仲良くしていただいていたMさん夫妻の車に同乗させていただいて、なんとかニュージーランドへ旅立つ前に実際に参加することができたのでした。
と言うわけで、以下そのレポートです。

16日 木曜日

夕方、この日が最後の御苑バイトだった相方と新宿で合流。小金井のぼくの自宅で装備チェックをして、Mさん夫妻との待ち合わせをしている田無駅へと向かう。聞けば奥さんはほんの30分前に出張先の福岡から帰ってきたばかりだとか。そんな多忙ななか同乗を快諾していただいたMさんには、本当にどう御礼を述べたら良いものやら、、、ありがとうございましたm(__)m
深夜の高速道路を車は快調に走り、午前1時ごろ懐かしの妙高高原は赤倉ユアーズインに到着。サッと温泉につかりすぐに就寝。一ヶ月前は従業員として働いていた場所で宿泊客として客室で寝るのが、なんだかコソバユイ一夜でした(笑)

17日 金曜日

6時半朝食で7時出発。予報どおりいまいちパッとしない天気の中、うねうねとつづく林道を車で笹ヶ峰まで上がり、そこでやはりよく一緒に滑っていたYさんをはじめとするツアー参加者と合流。服を着替え雨具をはおり、板にシールを貼って準備ができたらいよいよ登山開始!

ルートはほぼ夏道に沿って取り、最初はなだらかな登りの森を進んで黒沢の橋を渡ったところで一本。
その後の十二曲りの急登はスキーを脱いでツボ足で登る人、そのまま頑張る人それぞれでしたが、どうも大人しく板を脱いだ方が良かったようです。ぼくは数年ぶりに背負った雪山テント装備のデカザックにかつてのワンゲル根性を刺激され(ザックがデカイ上に板を背負いたくなかったというのもあり)、最後までスキーのまま登ったのですが、途中でツボ足組に追いつかれ、しかもその疲労度はツボ足で登った相方と見比べれば一目瞭然。さらにこの先に二箇所ほど岩場が出ていると聞き、さすがに観念して板を脱いだのでした。

岩場はほとんど雪が付いていたため岩場と言うほどには恐くないのですが、スキーが木の枝に引っかかるのでなかなか難儀。それでも急な箇所を越えひろびろとした富士見平についてみれば、いつの間にやら雨雲ははるか足もと。晴れ渡った青空と眩しい太陽のした、右手には妙高山と外輪の三田原山、左手には火打山、影火打、焼山とつづく稜線が見えています。
ここからはほとんど登りもなく、黒沢岳の斜面を横切って高谷池ヒュッテまで一時間弱。のんびりのんびり登って、小屋に到着したときはもうお昼過ぎでした。

ひとまず小屋に入り行動食で腹ごしらえした後は、女性は布団敷き、男性は先に到着して作業を開始していた人たちに加わり、便所や風呂場、小屋の前の高谷池から水を採るための井戸堀りをお手伝い。
各々スコップやスノーダンプを手に、締まった雪をブロックに切っては放りあげ切っては放りあげ…… 慣れない身にはなかなかの重労働ですが、人数のチカラとは凄いもの。みんなで交代しながらワイワイ声をあげてやっていると、みるみる人の背丈以上の深い穴が、立派な階段つきで掘られていくのでした。
今年は例年より積雪が少ないこともあり、初日のうちに便所が完堀、井戸も半分くらいまで掘れて、みなさんご機嫌(?)のようでした。

4時ごろに作業は終了。小屋の営業は土曜日からなので、この日は無料で小屋には泊めてもらえるけど食事はそれぞれ自炊。
ぼくと相方は夕焼けの写真を狙うために外で自炊。文字通り海のような雲海と対岸に浮かぶ北アルプスの高峰が、ぼくらのいる雲上の世界をより強調して印象付けているようでした。けっきょく待っていた夕焼けはイマイチだったのですが、日没後の宵闇の藍々さが素晴らしい、晴天の夜でした。




つづく

2009年4月10日金曜日

カメラをもって新宿御苑

暑いですね。もう春というよりかは夏に近い気がするのは、ぼくだけでしょうか。

昨日は相方がバイトをしている新宿御苑に花を見に。せっかくなんでNZに持っていく予定のカメラもいっしょに持ってきましたよ。
ひとつは、いつも使っているCANONのEOSKissDigital。105mmのマクロレンズで持っていったら近くの桜の全景が入らなくて、、、失敗しましたね。広角レンズにしとくべきでした。



そしてもうひとつ持っていったのが、先日UFOキャッチャーでGetしたコンパクトデジカメ。その画素数はなんと驚くなかれ、最大30万画素!低っ!!笑 デジカメというにはあまりに軽く安っぽいプラスチックボディ。単4電池2本使用。画像を確認するディスプレイもなし。なのに動画も撮れる。USBで接続しているときはウェブカメラにもなる!
下がそのカメラで撮った画像デス。



なんかピンホールカメラっぽいですね。下手に高性能のコンパクトデジカメを買ってしまうと、EOSの方はその重たさから次第に持ち歩くのを敬遠してしまいそうなので、このくらいならちょうど好し☆
ちなみに、一回200円のUFOキャッチャーで5回、つまり購入価格1000円でした。(高校時代なら3回あれば確実に獲れただろうに……それだけが悔しゅうございます--;)

今回初めて入った新宿御苑でしたが、良い場所ですね。芝生は広いし、食べ物はOKだけどアルコール禁止だから見苦しい花見をしている人もいないし(持ち込んじゃってる人たちもいるけど)。
なにより、そのあまりの広さに、あれだけの観光客が入っても中は混みあっているという印象を与えません。中をぐるっと一周すると優に30分はかかるでしょうか。昨日は満開ちょっと過ぎで風もあったので、あちらこちらで桜吹雪となっては観光客の歓声があがっておりました。
あと、桜ももちろんですが、個人的にはヒマラヤ杉の偉容と陽光を透かした新緑のもみじも印象的でしたよ。

おとな一人200円、こども一人50円。新宿駅南口から徒歩10分。
みなさんも一度訪れてみてはいかがでしょうか?
(新宿御苑→http://www.env.go.jp/garden/shinjukugyoen/

2009年4月7日火曜日

出発日決定

NZに向けた準備でココロばかりが逸るなか、一週間ほど福岡の祖父母宅に帰ってきました。
現在でこそ東京に住んでいますが、もともとぼくの生まれは福岡県。おまけに父方も母方も福岡市在住なればやはりもっとも心休まる場所にして、いっしょに帰っていた従兄弟と遊んだり、ふらふら散歩したり、読み残していた南方熊楠の随筆集なぞを読んでリラックスしていたら、アッという間に時間が過ぎてしまいました。
インターネットもない環境でありながら、陽だまりの庭にむいた縁側で本を読むというのは、なんとまぁ贅沢な気分に浸らせてくれるものでしょうか。

、、、なんてやっている間にも、いくつかの進展が!

まずは、仕事をあたっていたガイド会社からお断りのメールが。
「残念ですが現在していただける仕事がありません」だそうで…… まぁ募集していたわけじゃないところにメールしたからね(^^;)
仕方がないのでふつうにスキー場での仕事を検討中。できればスクール関係がいいんだけど、なにしろ母国語が日本語の日本人だし、なければ皿洗いでも我慢しなきゃね。

もうひとつ。いっしょにNZに行く相方がうちらの航空券をget!

当初はGW後の5月10日あたりで考えていたのですが、そのへんはすでに完売されており、結局5月15日の19時成田発の便となりました。ニュージーランド航空の留学・ワーキングホリデー用プラン(365日open)で、ひとり94,000円。燃油サーチャージ、手配料などなど含めると115,000円。
ふーむ。きっとNZ航空も4月になったら燃油代を下げるに違いない!と待っていた甲斐はありました。だって20,000円だったのが、6,500円ですよ。ありがたいことですp(T-T)

しかしとにかく早いこと職を決めなくては、もともとわずかな資金は減っていく一方。航空券の次は旅行保険。むこうの会社に円送金している分も、ドル高がこれ以上進むまえに替えとかないと!

東京にいると不思議とだんだん消えていってしまう、ぼくのお財布の中身たち……
こんなんで本当に海外に一年間もいってられるのかと脳裏に一条の不安がよぎる、うっしーなのでした。