先週のことですが、歩荷中になんの種類か、野鳥の雛を拾いました。
場所は赤岳鉱泉から行者小屋に向かう途中にある中山乗越のつづら折れ。なにやら音がすると思いフと足下を見てみると、まだまだゴルフボール大の小鳥が羽をバタバタさせながら登山道上を転げ回っているではないですか。
あっけに取られて歩荷の荷物の重さも忘れて見ていると、どこかケガでもしているのか、羽をバタつかせるばかりで飛べない様子。幅の狭い登山道のこととて、そのままにしておいても登山靴に踏まれるか 、そうでなくともキツネあたりに喰われてしまうのは目に見えており、ぼくは思わずハチマキにしていた手拭いをほどいてその小鳥を拾い上げていたのです。
間近で見てみると、オリーブ色の羽毛は生えているもののまだ密生というほどではなく、足もケガをしていて立てないというよりも、まだ足腰がしっかりしていないようで、誤って巣から転落してしまったようでした。
手拭いの上に乗せたまま行者まで持ちかえると、子どもも大人も大興奮!とりあえず彼(彼女?)を「ピー助」と呼ぶことにし、子どもたちが菓子箱に草を敷き詰めて巣箱をつくっているあいだに図鑑をめくってみると、どうやらセンダイムシクイの雛であることが判明しました。
彼を巣箱に移すと、次なる問題は食べもの。スプーンで水や温めた牛乳を差し出すのからはじまり、米粒や水でふやかしたタマゴボーロ、成鳥のムシクイに倣って羽虫やイモ虫もそのままや潰したやつと色々試してみたのですが、結局彼が口にしたのは水と牛乳のみ。よく鳥の雛にはピンセットやスポイトで餌を与えているイメージがあるけど、あれにもなにかコツのようなものがあるんですかね?
子どもたちも餌を食べないピー助を心配しつつも、巣から落ちたショックといきなり人間に囲まれた恐怖で動転しているのではないかと、ときどき誰かがチェックをしながら、とりあえず巣箱ごと静かな場所に移して落ち着かせることに。
が、客飯作り中、支配人の奥さんがゆで卵の黄身をすりつぶしたものをあげてみようと行ってみたところ、目を閉じて静かに息を引き取っていたのを発見したのでした。
野鳥の雛が巣から落ちたら、もう永くは生きられないというのは自然の摂理であり、そんなことは重々承知で拾ってきたはず。
それでも必死に生きようと羽を不自由ながらにバタバタさせたり、スプーンの牛乳を啜ったりしていた姿をみてしまうと、このわずか数時間のみの邂逅でも、その死が(悲しくとまではいかなくとも)残念で仕方ありません。
ピー助の死を知らされた5歳と2歳の子どもたちは、死が、もう二度と目覚めの訪れない眠りであることを知り、5歳の子は「じゃあなんで『生き返る』って言葉があるの?」と父親の支配人に尋ねたそうです。
その話を支配人から聞いて、彼を連れ帰ってきたのはぼくという人間のエゴだったのだろうかという心の重荷がすこし軽くなった気がしました。
申し訳程度に石を積んだだけのピー助の墓は、行者小屋をすぐ脇の砂利斜面の上から見守っているお地蔵様の隣にあります。